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無意味な仕事とは何なのか③

無意味な仕事について1回目のブログではその定義と働く人に与える悪影響について、2回目はそうした仕事がどう形成されてきたかを人の価値形成の観点から見ていきました。
3回目は市場形成の過程を通じて見ていき、どうすれば無意味な仕事がなくなるかの考察をしたいと思います。

金融業をベースとしたヒエラルキーモデルが無駄仕事を増やした

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(参照: EPI analysis of Bureau of Labor Statistics and Bureau of Economic Analysis data)

上の図はアメリカの労働生産性と実質賃金の推移をグラフ化したものです。
79年代までは生産性の高まりに合わせて従業員の報酬も上昇しましたが、
70年代以降、生産性の向上に対し報酬は平行線をたどります。
同様のことが日本でも95年以降に起こり始めました。

報酬に還元されなくなった利益の行先について、著者は情報産業に関わる雇用の増加を挙げています。

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(参照:歴史の教訓、製造業の衰退を理解する)

上の図は経済の3部門のが占める割合の推移で、農業、製造業が衰退していくのに対し、サービス業が増加している傾向にあることは広く認識されています。
サービス業といえば、ショップスタッフ、介護福祉士、美容師などで、私はそういう対人的なケアを伴う仕事が増加しているという認識を持っていました。

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(参照:国家情報経済の微細構造のための単純化されたモデル)

2つのはサービス部門をサービス業と情報産業に分けたグラフです。
情報産業にはマーケティング、デジタルエコノミー、行政官、コンサル、事務職、会計スタッフなどの仕事が含まれています。
これを見ると増加してるのが対人ケアを伴うようなサービス業でなく情報産業であることがわかります。

労働生産性の向上に伴い得られた利益は投資家、企業幹部、専門的管理者階級の資産を増大させ、彼らのとりまきとして専門的管理職、事務職員の増加をつくりだしたと著者は推察します。

しかしなぜ、実際にものを製造し、運搬、保全する仕事でなく、ものや財を管理、分配にするような職員を重視するようになったのでしょうか?

金融業の急成長

銀行は貯金があるのにすぐに使う予定のない人と、貯金はないがお金が必要な人を結びつける仕事です。
お金を借りたい人に対し銀行はリスクを負う代わりに利子や手数料を徴収することで利益を得ます。返済してもらわなければ銀行は赤字になるため、お金を借りる人が将来返済できるかどうかを見極めることは銀行にとって大事な仕事でした。

しかし、1920年代以降、市場の急激な成長に伴い、それを支えるための借金の額が爆発的に増大します。
お金の流動性が高まるなかで、銀行は自身がリスクを負わずに利益を得る方法を生み出しました。貸し付けた債権を細かく分割して、預金よりも高い金利で投資家などに販売するモデルです。

回収リスクは投資家が負うため、債務者の貸し倒れリスクを担保でき、
債務者と投資家双方から利息を得ることができます。
銀行はこの手法で爆発的な利益を得ることに成功しました。

しかし回収リスクを負わないで済むようになった銀行は、貸出先の返済見通しに力を入れなくなり、ただパソコン上で数字を入力するだけでお金を流通させるようになっていきます。

実際に存在するお金以上に金融関係のお金の量は増加し続け、2007年末には世界の金融資産規模は実体経済の4.2倍にあたる230兆ドルとなりました。

管理・分配する仕事の増加が無駄な仕事を生んだ

リスクを負わない仕組みと企業、投資家という二重の収益モデル、金融資産の膨張により、金融業は莫大な富を得ました。

潤沢な資金力を持つ金融業は、出資や貸し付け、買収などを行い異業種の企業へもその影響力を広げていきます。

金融業はお金を保有して管理、分配する形態の仕事です。
金融業の発言力が高まるにつれ同質の仕事、つまりものや財を保有しそのリソースを回す作業のほうが、実際にものを製造し、運搬、保全するより重要なものと扱われはじめました。

その結果、監督する人と実際に作業をする人というシンプルだった組織形態の上に、サブプロデューサー、エグゼクティブプロデューサー、コンサルタントなどが配置されはじめます。

彼らはマーケティングとファイナンスに関するMBAで武装した人たちですが、実際の業務の経験や知識は何もありません。

現場で働く従業員は彼らの仕事に正当性を持たせるための仕事(企画書作成やプレゼン資料、見栄えのいいレポートなど)のせいで無駄な作業が増え、実際の生産やサービス提供に費やす時間が減少していきました。

金融業という財を管理、分配する仕事の社会的立場が高い状態のなかでは、
企業の規模が大きくなるほど、コンサル、管理職、事務職などの従業員が増加します。

そしてそのような人々からなるヒエラルキーの組織では無意味な仕事が増え続ける循環が生まれるのです。

非生産的な方が儲かる仕事がある

金融業が経済力を武器に発言力を握った結果、コンサル、管理職、事務職などの物や財の配分を行う職業群が増えたことはわかりました。

しかし、市場成長と効率性は比例するはずです。
Aという作業を1時間で仕上げるより、30分でこなせた方が2倍多いものや財を生み出したことになるのだから、「金融業が儲かっている=効率の良い仕事をしている」という図式が成立するなら、同じようなモデルを展開すれば、効率性が高まるもしくは下がることはないのでしょうか?

著者はPPI産業(支払保護保険)を例に出し、非効率であるほど儲かる仕事を説明しています。

PPI(Payment Protection Insurance)とは銀行からお金を借りる際に、万一返済できなくなった場合(事故、病気、失業など)に備えて借主が契約する保険商品のことです。
PPIは借主によって条件や保証対象などが異なる複雑な保険商品でしたが、
十分に商品説明をせずに契約を結ばせたことで、保険金がおりないといった顧客の苦情が相継ぎ問題化しました。

イギリスでのPPIの補償請求は2015年度までで1,650万件に上り、210億ポンドの補償金が消費者に支払われました。

これだけ大きな補償金の案件では支払いを代行する大きな組織が必要になります。そして、補償金の支払いを代行していた会計事務所は

「従業員数×作業にかけた時間」で報酬を得ていました。

この場合、より多くの従業員を雇い多くの時間をかけた方が得られる報酬は高まります。そこであえて社員を十分に教育しないで意図的に間違いを犯すよう仕向けることで仕事を遅くする仕組みを意図的に作っていたといいます。

「業務を複雑化、不透明化し難しくたいへんそうに見せることで多くの利益を得る」ビジネスモデルの中では、無意味で非効率な仕事にも必然性が生まれます。

こうした仕組みは、お金を吸い上げ、分配する業態に多く、
物や財の配分を行う職業群が優遇された環境下で企業の規模が大きくなるほど、無意味な仕事のヒエラルキー構造がより重層化していくのです。

管理・分配の仕事が増えるほど会社は顧客から離れていく

売上や会社の規模を目標に掲げる会社がありますがその意味は何なのでしょうか。

確かに収益をあげなければ会社はつぶれてしまうので必要条件ではあります。しかし、毎年今年以上の売上目標を設定して社員に無理をさせることにどれだけの意味があるのか疑問です。

確かに身の回りに食糧や物資が不足していた戦後の復興期であれば、会社の利益が上がるほど従業員の給与に還元され、不足している身の回りのものをそろえていくことで便利になり生活しやすくなるので、その目標設定にも意味があり、従業員のやる気を高める誘引にもなったのだと思います。

しかし現在は商品が手ごろな価格で買うことができ、必要なものは一通り満たされています。なおかつ労働生産性を高めたところで、報酬に還元されることもないならば、売上や利益を上げることに従業員の働くインセンティブが働かないことは明白です。

会社の従業員を増やし大きな会社にするにしても、増えるのはリアルワークをする従業員でなく、管理・分配系の従業員だけで無意味なペーパーワークが増えるだけなら、従業員からしたらかえってマイナスでしょう。

実際現場で働いている人が何を目的としているのかと考えると

「お客さんに感謝してもらえたかどうか」
「いつもより少ない工数で商品を作れたか」
「品質のいいものを作れたか」
「身の回りの人とスムーズな連携をとれたか」
「トラブルなく使い続けてもらえているか」

などではないでしょうか。

そうした、従業員の働く動機付けに起因した目標ではない、売上高や会社規模を目標として設定する理由は、雇用者が現場や顧客の声をキャッチできないほど実業から離れすぎてしまったからではないかと思います。

離れすぎてわからないから、
売上高や利益、従業員数など分かりやすい結果数字しか見えなくなる。
そうした人たちも自身が影響を与えられている実感を求めるため、自分が把握できる指標で自分の存在意義を確かめずにはいられない。

しかし、売上や利益を目標にすれば、生み出されるプロダクトやサービスはユーザーが求めるものでなく、より手間なく稼げるものに偏っていきます。

現場から遠い、管理・分配する従業員を中心としたヒエラルキー構造は、
顧客の利益と乖離したプロダクトやサービスを生み出す原因になるように思うのです。

「生産性」が無意味な仕事を作り出した

生産性とは『付加価値÷投下した労働力(労働者数×時間)』で計算されます。
この計算は何時間工場を稼働させれば、何個のプロダクトが出来上がるかといった、工場の生産ラインと同じような考え方です。

しかし、人の労働ははたしてこのように単純化できるものでしょうか。

仕事のほとんどは相手の求めるものを会話の文脈、相手の状況を踏まえて解釈したり、伝わりやすい言葉やタイミングを選んだりといった、他者とのコミュニケーションを含んでいます。

そうした労働のことを「ケアリング労働」と呼びますが、ケアリング労働の価値を、誰にでもわかる工場生産的な価値に置き換えたものが生産性の概念です。

作業を無理やり数値化して解釈するため、事業の専門性のない人たちでも意見できるようになります。

しかし、本来数値化することのできないケアリングの価値を取り巻くプロセスや成果をコンピュータが認識できるような形式へと転換するには膨大な労働力が必要になります。

数値化できないものを数値化するための膨大な人員をまとめるために大きな組織を作るためヒエラルキー構造が生まれ、その結果生まれるアウトプットは実際のニーズと乖離したものになっていきます。

仕事を「生産」として捉えることが、結果的に無意味な仕事を大量に増やす結果になるのです。

まとめ

無意味な仕事がそれをする人に与える悪影響は

・自分の独立性を維持できない
・罪悪感に襲われる
・精神的に不自由な状態を強いられる
・サドマゾヒズム的人間関係に陥りやすくなる

ことです。
しかし無意味な仕事には以下のような社会的必然性がありました。

・効率性の動機付けを阻害する雇用目的仕事の存在
・人の時間を売買しているという認識
・仕事=罰、苦行という宗教観
・管理・分配仕事の雇用増加
・業務を複雑化、不透明化することで儲かる仕組みの存在
・組織ヒエラルキー形成による顧客利益の認識関するズレ
・生産性概念による何でも数値化できるという誤認

無意味な仕事が人の精神性に悪影響を与えるなら、有意義と感じられる仕事が増えることは働く人の精神の健全性に寄与するでしょう。

そのための具体的な策は今の私にはありませんが、一つの手がかりとして無意味な仕事の必然性を生み出す社会構造を変えていくことにあると考えます。


雇用目的仕事を生み出す人の時間を売買しているという認識
→拘束時間でなく、アウトプットした仕事の対価としての報酬という考え方

仕事=罰、苦行という宗教観
→仕事=価値の創造であり、個人の感情に左右されないという考え方

管理・分配仕事の雇用増加
→実際にものを製造、運搬、保全する雇用の増加

業務を複雑化、不透明化することで儲かる仕組みの存在
→業務の透明性やわかりやすさを高める

組織ヒエラルキー形成による顧客利益の認識関するズレ
→組織のフラット化、コンパクト化

・生産性概念による何でも数値化できるという誤認
→数値化できない仕事を明確に認識する

アイデアが生まれればそうした社会形成にしていくための具体的施策についても書いていきたいと思います。

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