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無意味な仕事とは何なのか?①

私は社員500名ほどの企業で事務職として働いていたことがあります。
仕事自体は別にきつくもありませんでしたし、給料も生活する分には不足がないくらいはもらっていました。けれど、その仕事をするのがとても苦しく感じることがありました。

会社の費用を分割して社内の部門ごとに振り替えたり、内容が同じような資料を市役所ごとに異なるフォーマットに書き換えて送ったり、ただハンコをもらうだけなのにわざわざ申請書類を書いたり、

その先にエンドユーザーの喜ぶ顔が見えない仕事を繰り返す毎日にモチベーションを維持することは私にとって難しいものでした。

それに数ヶ月学べば一通りできるようになる仕事だったので、これを続けたところで知識や経験が上積みされることもなく、簡単に代わりを当てがうことができる。
そうした仕事を続けた先に待ち受ける未来について考えると不安に襲われました。

同時に追い討ちをかけたのは数年前からよく使われるようになった「生産性」という言葉です。無駄な作業を削減して、有意義な業務に時間や人のリソースを集中することが世の中的に全工程されている空気感が、意味のない作業への非難や攻撃に感じられました。

けれど一方で、非生産的な仕事や無意味な仕事についての正体を捉えられていない違和感も強くありました。

・無意味な仕事は誰が決めるのか?
・自分の仕事が無意味と思っている人はどれくらいいるのか?
・無意味な仕事の共通点は何なのか?
・市場経済のなかで無意味な仕事が生まれる必然性はどこにあったのか?
・給与が高い人ほど専門性が高く有意義な仕事をしているのか?
・生産性を測る基準は何なのか?

無意味な仕事の定義や原因を捉えられていないのに末端の手段に着手することが、どうも気持ち悪いと考えていたなかで、『ブルシット・ジョブ』という書籍を見つけました。このブログはその書籍を私なりに解釈し、まとめたものです。

仕事を無意味かどうか決めるのは自分の「主観」

著者はブルシットジョブ(無意味な仕事)の定義を以下の2点にまとめています。

無意味な仕事の定義
①本人が自分の仕事が無意味であると思っている
②その仕事を価値があるように取り繕わないといけない

仕事がブルシットかどうかを決めるのは他の誰でもない、仕事をしている「本人の主観」であるとしているのです。

確かに、人が自分以外の仕事について無意味だと決めることは基本的に不可能だと思います。
人はそれぞれ仕事を通じて多くの人と結びついていて、
どんな仕事でも感謝されることもあれば批判を受けることだってある、
自分の仕事が、大きな成果物の一部になっている場合もあります。

たとえ同じ会社の人であっても、同僚の業務における関係性をどれくらい把握できているかといえば、1割にも満たないと思います。

他者の関係性の断片やメディアの情報などだけで無意味だと「決めつける」ことはできても、テーブルに挙げられるだけの根拠をそろえることなど不可能ではないでしょうか。

そのためこの本で論じる意見はYouGovによるイギリスでの世論調査を根拠としています。そして調査の結果、

「イギリスの労働者中の37%が自分の仕事になんの意味もないと感じている」

という回答結果がでました。

以下は「自分の仕事は無意味である」と自己申告したひとのそう考える理由をまとめた結果、類型化した無意味な仕事の分類です。

無意味な仕事の5分類

(1)取り巻き(権力や威信を誇示するための仕事)

取り巻きは「だれかを偉そうに見せるためだけに存在する仕事」のことで、
「私は責任のあるとても難しい仕事をしてます。忙しいので簡単な業務は部下にやらせてます。」とアピールしたいために作られる仕事のことです。

自分にはその仕事をする余裕は十分あるのに、見栄をはるために部下を雇うため、仕事の大半は部下が行い、上役である本人は何もする仕事がないようなケースが散見されます。

(2)脅し屋(相手を脅し、欺く仕事)

内心全く役に立たない商品やサービスを、
すごくいいものに見せたり、無理に買わせようとするような仕事を脅し屋と呼びます。

押し売りをしたり、嘘をついたりしないと誰も買ってくれないことが、
自分の扱う商品やサービスが無価値であり、それを売っている自分の仕事が無価値であるという考えを引き起こす原因になります。

(3)尻拭い(問題を解決せず取り繕うだけの仕事)

表面上取り繕ってるだけで根本的にはなんの解決にもなってないと、分かりながらする仕事のことを尻拭いと呼びます。

ある情報を別のフォームに打ち込むだけの作業や
上役の書いたでたらめなプログラムの修正作業、
職人が対応できない時に、職人に代わり依頼者へ謝罪するだけの仕事など。

自動化や、不足している職員を雇うなど、問題を解決することが難しくないのに、目先の結果だけ問題ないように取り繕っておけばいいと考えるために生まれる仕事です。

著者はこの仕事を「屋根に雨漏りがあっても、金がかかるからと修理せず、穴に下にバケツを置いて定期的に水を捨てに行く従業員を雇うようなもの」

と表現しています。

今はとりあえず何とかなっていても、また同じトラブルが起こることが明白なので、”いたちごっこ”を繰り返す無意味さを感じてしまうのです。

(4)書類穴埋め人(やっている風の書類を作る仕事)

誰かの「私は仕事をやっています」というアピールのためだけにあって、
何かを実行に移すうえでは一切役に立たない書類作成業務などを書類穴埋め人と呼びます。

上役がその上司に自分が仕事している風に見られたいだけのために作られるグラフやデータで彩られた資料、
会社の都合のいいストーリーだけを見せる社内メディアなど、

活動がなされたことを証明するペーパーワークのほうが、実際の活動自体より重要とみなされるために生まれる仕事です。

(5)タスクマスター(仕事を流すだけ、無駄な仕事を増やす人)

下りてきた仕事を関係者へ横流しするだけ、もしくは、自分の仕事に正当性を持たせるために、意味のないタスクを増やしてくる仕事のことをタスクマスターと呼びます。

依頼メールを転送するだけの管理職
予算や人員確保のためより無駄に細かい書類提出を要求する人
無意味ななセミナーへの強制など、

雇用者に向けて「自分のチームは忙しく働いている」風に見せるために、
無意味な書類作成や訓練、形式的手続きを増やし部下にも忙しく働くことを強制します。

無意味な仕事を作り出すうえで、非常に厄介な仕事です。

なぜ無意味な仕事はツラいのか

自分の仕事が無意味だと感じていると答える人の多くが、いら立ちや息苦しさ、憂鬱、体重の減退など、心身の症状を引き起こすことが調査結果を通じて分かりました。

ブルシットジョブは意外に給与や労働時間に恵まれていることが多いのに、
なぜここまでツラくなってしまうでしょうか。

自分という存在の独立性を維持できなくなる

人間は自分をとりまく環境に対して、自身が影響を与えられている実感を求めます。自分が周囲に与えた影響を通じて、自分がこの世界から独立した存在だと認識するのです。

「この影響をもたらしたのは自分なんだ」と自覚できなければ、いとも簡単に自分のアイデンティティが揺らいでしまう。それくらい人間は社会的な生き物です。

自分が有意義なことをできていないことは、自分がここにいなくても何も変わらないことを意味します。外界になんら影響を行使できないとわかれば、自分という存在の輪郭を維持することができなくなってしまうのです。

罪悪感が強くなる

役に立たないものを、それを分かったうえで相手に買わそうとすることや、
忙しいふり、仕事が充実しているふりをしなければならないなど、
無意味な仕事には「見せかける」行為のものが多くあります。

他人を騙していることや、自分がいることで無駄な出費を生み出しているのではないかと思うことなど、見せかける仕事をすることは本人の良心を傷つけ、罪悪感を強くします。

仕事を押しつけられる苦痛

働くふりや、何の役にも立たない業務、人をだます手伝いをすることなど、
無意味な仕事はたいていの人が押し付けられていやいややっています。

そのため無意味な仕事をしているということは、
自分が雇用者や上役から圧力と操作を受けていることでもあります。

先ほども書いたように、人間が自己の独立性を保つためには、自分の意思で影響を与える必要があります。ある程度の自由がないと影響力は行使できないため、不自由な状態というのは人間にとって耐えがたい状態なのです。

自分の仕事に関心を持つ人はいないと感じる

マズローの欲求5段階理論では他人から認められたいという「承認の欲求」があります。しかし、無意味な仕事とは本人が「この仕事は誰の役にもたたない」と感じる仕事のことです。

本人がこの仕事は誰の役にも立っていないと思いながら、仕事を続けることは、その仕事を通じて喜ぶ人の顔、関心を持つ人の顔が想像できない状態でいつづけることでもあります。

承認の欲求はいつまでも満たされることがないうえに、周りからも「あの人は何の役にも立っていない」と思われているのではないかという恐怖にも襲われやすくなります。

サドマゾヒズム的人間関係が生じやすい

無意味な仕事が職場で増えるということは、目的を持たない仕事が増えるということを意味します。

組織のなかで目的を共有している感覚が失われれば、仕事を通じて影響を与える他者である「社外」が無くなり、関心が内向きになります。

会社組織のなかで自分がどの位置にいるのかということが関心の全てになるため、仕事中に起こる些細な意見の食い違いや、予定通りに行かないことなどにも「自分の組織内の立ち位置が脅かされているのではないか」と過剰反応するようになります。

もともとヒエラルキー的な構造は、
上層に位置する人が権力を誇示するために支配をふるい、
下層に位置する人は上層の人の承認を得るために必死になる、
という心理的構造になりやすいのですが、組織が目的を失うことは、そうした心理構造に拍車をかけます。

無意味なプロジェクトがトップダウンで組織されたときに、雇用者から評価されたい上司が部下へ過剰なプレッシャーをかけるなど、サドマゾヒズム的人間関係に陥りやすくなるのです。


ここまでは無意味な仕事の定義と、無意味な仕事が与える悪影響をまとめてきました。無意味な仕事が形成されて、容認されているのかその社会的背景を別のブログで書きたいと思います。


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