見出し画像

20220825ワークショップ④豊平

開催日時:2022年8月25日 13:30~15:30
場所:グレイスヴィルまいづる-東京(Zoomオンライン)
内容:
4人の参加者とそれぞれ1対1で砂連尾さんとワークショップ。
1.Aさんと1対1で20分程度
2.KTさんと1対1で20分程度
3.Kさんと1対1で20分程度
4.AKさんと1対1で20分程度

****
豊平豪(文化人類学・torindo)

 noteで『とつとつマガジン』「とつとつダンス研究所」として、グレイスヴィルまいづるでの砂連尾さんのオンラインワークショップの記録(記憶)をはじめて今回で20回目になる。

 月一回のペースの割にそれなりの分量になってきた。ぼくはともかく、砂連尾さんとグレイスヴィルまいづるの職員さんたちの記録がうれしいし、ときおりのゲストの記録もうれしい。

 たまたまきいていたラジオ番組からの又聞きだから真偽は定かではないけど(※1)、アーティストの甲本ヒロトと真島昌利がインタビュアに「お二人の書く歌詞がほんとうに素敵で大好きなんです」とほめられたとき、「指だけほめられてもなあ」と返したという。「月をみてくれないと」と。

 歌詞というのは何かを指し示す人差し指みたいなもので、伝えたいのは指そのものではなくて、指し示す先にある表現したい「月のようななにか」だということみたいだった。

 これたぶん禅僧の仙厓(せんがい)(1750~1837)の「指月布袋画賛」(※2)でも有名な仏教の教えが彼らの出典元じゃなかろうか。もっともこちらもぼくはたまたま展覧会(※3)のチラシで知ったのだけど。

仙厓義梵『指月布袋画賛』

 ともあれ、表現活動の動機というのはすべからく「あれをみて、あれをみて」って指差し騒ぐことかもしれないなあ、と思ったりして、この話が妙にしっくりきた。

 伝えようとしてもうまくいかない、ことばにしてもはみ出してしまう何かを必死に指差す態度こそが大事で、だからこそみんな示し方を工夫する。その指差しが手法や技法、メッセージなんだろう。先人たちの歩んできた道を参照しながら、なんとか示す指を上げ続ける。

 今回の砂連尾さんにしろ、浦岡さんにしろ、石田さんにしろ、いろいろな角度で目の前で起こっている現象を丁寧に、丁寧に観ている。

 砂連尾さんは微笑みを「笑顔」という言葉になるべくしばられないように、石田さんは座ることを「座る」という言葉になるべくしばられないように、浦岡さんがいうようにゆっくりと待ちながら、認知症の人との「ダンス」が指し示す先を探っている。

 たとえば、認知症の人の「笑顔」が何分継続しただとか、「座る」姿勢が何分続いただとか、会話のキャッチボールが何分あったとかということだけではたぶん医療的な何かを示すことはできても(それはそれでもちろん大事)、認知症の人とともに起こした現象を示すことすらできていないんじゃないか。

 大事なことは、一緒に踊っている認知症の人が示している指先の向こうを、目を細めて必死に見出し、ともに指先で示し続けることやもと思ってみたりする。


≪註≫
※1:2022年9月8日TBSラジオ『赤江珠緒たまむすび』でのお笑いコンビスピードワゴン小沢一敬の発言

※2:禅僧の仙厓義梵が禅の根本を説いたとされる教訓「指月布袋」の図を描いた絵画。
http://idemitsu-museum.or.jp/collection/sengai/sengai/01.php

※3:『仙厓のすべて』(出光美術館、2022年9月3日~10月16日)http://idemitsu-museum.or.jp/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?