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20220421ワークショップ③豊平

開催日時:2022年4月21日 13:30~15:30
場所:グレイスヴィルまいづる-東京(Zoomオンライン)
内容
1 ストレッチ
2 詩の朗読
3 英語の歌を唄う   
4 もう一度砂連尾さんが指定した詩の朗読
  Aさんは唄うように『時雨』の詩を読む。それに乗っかって砂連尾さんはほかの人も歌うように読ませようとしたが、うまくいかず。 
5 砂連尾さんに合わせて全員でダンス
6 Aさんに「カラスの詩」(『時雨』)、「会いたくて」(『たんぽぽ』)を唄うように読んでもらう。

***
豊平豪(文化人類学・torindo)

 今回の砂連尾さんの「声という存在の中に存在するダンス」ということばを読んで、ココペリ121が主催していた『星の王子さま』の読書会で、臨床哲学の西川勝さんの以下の発言(2018年11月)を思い出した。

 実際には黙読してても声帯のあたりにやっぱり微妙な振動が出ていることが最近いろんなところでわかっています。黙読だけじゃなくて、もの考えてるだけでも実は震えています。

 内言、内語と言われてたやつですけど。「これからどうしようかな」って無言で思ったら、「これからどうしようかな」っていうふうに声帯は小さく動いていることが、最近の生理学的な検査がわかってきています。
……
 自分にも自覚できないからだの動きがあるっていわれると、「え?」と思うけど、本来振動なんていちいち自覚してないですもんね。声帯は自分が声を出すところだから、自分が全部意のままにしてるかのように思ってるけれども、実はそうじゃないところがあるのかもしれない。

 だから「脳で考えてる」って言うけれど、声帯がなかったら考えにくいかもしれない。ひょっとしたら、みたいに思いますね。 

第15回ケア塾茶山「『星の王子さま』を読む」

 もし、ダンスの根源を、身体の震え、揺れに求めるのならば、声は間違いなくダンスと強いつながりがある。というより、それをわけて考えることもない。

 西川さんは朗読はその人の解釈が出るとも言っていた。これはすぐ理解できる。「からす、からす、巣に帰れ」を大絶叫で喉から絞り出すようにいうのか、ささやくようにいうのか。そこにはもう話者の解釈がある。

 解釈は、そして人の意見は、単にテキスト(ことば)に現れるものではなく、声色にも、身体の動き、そしてそれらの自分で認識できない震えにも映る。最近の砂連尾さんのワークにはそれが強く出ているのかもしれない。

 それを感受できれば、とてもおもしろい。それは不可能な試みかもしれないけど、それに敏感になっておくことには重要な意味があると思う。

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