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高校入試のこと

いま、生徒たちは私立高校入試の真っ最中である。
普段はちょっとカッコつけている生徒、ちょっとオシャレしたい生徒が、優等生に見える。やっぱり意識するものだ。

自分の高校入試を思い出すと、当時は偏差値が大腕を振って学校内でまかり通っていた時代。何のことなのかわからず、ただ数字が大きくなればいいとしか思わなかった。100点をとったのに72とか、何だか損した気分だった。

当時の都立高校は学校群制度になっており、高校を志願する仕組みにはなっていなかった。住んでいた都営住宅のすぐ裏に、都立高校があったが、その高校が含まれる学校群を受験しても、そこに入れるわけではないという、いま考えれば何とも不条理な制度だった。

理由は何だったかはわからないが、私立高校をいくつか受験した。担任の先生は、とにかく安全圏と思える高校の受験をすすめてくれた。自分は別に受験するつもりはなかったのだが、なぜだか出願した。

一番最初に受験した高校は、千葉県のある高校。受験番号357。自分の中には合格しないわけがないという思いがあった。合格。
次に受験した母校となった高校。受験番号79。まず間違いないと思っていた。合格。
ここで、担任がすすめてくれた安全圏の高校の受験は取りやめ、ちょっと難関かなと思う高校に挑戦した。この高校には、都内に住む母型の従兄が通っており、同い年のいとこも受験していた。確か試験会場は大学の教室だった。とんでもなく大きな教室に圧倒されながら受ける試験問題は解いていて楽しかった。特に数学の問題は、自分で解法を見つけ出して当てはめ、別の解き方でも答えが一致するという、ワクワク感があった。一次試験に合格すると二次試験の面接に進む。確か、定員は600人だったと記憶している。発表は高校の構内。受験番号は2322。残念ながら一次試験でやられてしまった。発表を見に行ったときにいとことすれ違ったのだが、お互い結果を聞くことはなかった。いや、聞かなくて良かった。

最後に都立高校の入学試験。当時は3教科の試験。模擬試験では大体9割程度の得点を取っていたので、気になるのはどの高校になるかだけだった。よりによって、一番通いにくい高校。当時は補欠合格の制度もあったので、入学辞退しても問題はなかった。
その夜、両親に「私立高校はお金がかかるから、都立に行くように」と言われ、「だったら、何のために私立高校を受けさせたんだ!」と口答えをした覚えがある。翌日、母校となる高校の入学手続きをしてくれた。

当時の記憶から、進路指導をする際には「通わせられないのなら、私立高校は受験させないでほしい。」と言っている。受験はゲームではないのだから、行きたい高校を受験すれば良いと思っている。実際に、入学できる高校はひとつだけなのだから。

現在、子供が減ってきたことと中高一貫の私立が増えたことで、県立高校の入試倍率は平均して1倍程度。中学校で学習した内容しか絶対に出題されない県立高校の入試ならば、正しい勉強法さえ身につけていれば必ず突破できると思っている。事実、言われたことを実践してくれて、自分が望んだ県立上位校に合格した生徒を何度も見てきた。

受験だから塾に行くという生徒や保護者は非常に多いのだが、残念なことに、お金を払っている塾の宿題は学校でやるのに、学校の授業の課題をやれない生徒も見られる。本末転倒である。

高校は義務教育ではないのだから、行く意味が見つけれないならば進学しないという選択はありだと思う。また、通信制の高校で高卒資格をとりながら、自分が興味を持ったことに真剣に取り組むのもありだと思う。

高校入試で人生は決まらない。人生を決めるのは、ここぞという時の本気と努力である。
はじめての人生の選択。
できるならば、高校入試を楽しんでほしい。

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