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習慣にすること

いま、自分が日々やっていることの多くは、習慣としていること。朝起きたら、その日に収集されるゴミを集積場に運ぶことやコンビニで缶コーヒーを買ってきて飲むことなど、ほぼ数年間変わっていない。

自分が置かれた状況や自分の役割が変わると、それに関する習慣は変えることになる。これまで経験してきたことを少しだけ変えれば済むこともあれば、全く新しくやらなくてはならないこともある。新しい状況や環境に馴染むのが早い者もいれば馴染むのに時間がかかる場合もある。

中学生の場合、小学校からの変化は誰にでも同じように起こっているもの。この時期になれば、ほぼ馴染みつつある生徒が多い。
しかし、馴染もうとしなければ、馴染まないものである。

例えば、教科の学習について。
担任の先生がほとんどの教科を教えていたのに、中学校になれば教科ごとに先生が違う。多くの先生たちとの関係を作っていかなければならないことになる。先生側も多くの生徒を担当するのだから、自然と1人ずつとのコミュニケーションの機会は減ってしまう。すこし前、中1ギャップということが問題になったことがある。このコミュニケーションの状況変化によるところが多いのではないだろうか。

そこで、中学校は小学校との話し合いをもとに、小中学校の指導の連続性を意識するようになった。しかし、その内容は中学校側が小学校に寄せていくという対応が多かったように思う。結果、今ではあまり中1ギャップという言葉は聞かなくなったが、私の目で見る限りは「中学生が幼くなった」ように思う。特に、1小1中という、同じ小学校の生徒は原則同じ中学校に進学する環境にある学校では、その傾向が顕著ではないかとも思う。

通う学校が中学校になっただけで、クラスにいるのは小学校の時と同じ顔ぶれ。新入学とはいえ、すでに生徒同士の人間関係は出来上がっており、場合によっては自己紹介は担当の先生に向けるだけのものとなる。まれにいる中学校入学を機に転居してきた家庭の生徒は、まるで学年途中の転入生のようだ。新しい学校の環境に入って、自分たちを守ろうと思う生徒たちには、新しい仲間を受け入れる余裕がない生徒も多い。

そんな中で、「中学生として〇〇」という言葉が生徒には多くかけられ、それをどう受け入れるかに悩つつ日々が過ぎていく。
その代表とも言えるのが、自主学習。何をやれば良いのかわからないのにノート何ページという課題。毎朝の提出が求められる。自分は、「その日の授業で勉強したことを、もう一度書けばいい」というのだが、提出を求める担任からはそのような指導はないのではないだろうか。ある時、ある男子生徒の自主学習ノートを見せてもらったことがあるのだが、そのノートにはほぼ数ヶ月にわたってアルファべっての書き取りだけ。「まだ最後まで覚えてないの?」と聞いたが、「面倒だから、かんたんにノートをうめているだけ」という。

習慣とは、繰り返すことによって自然と行えるようになることである。アルファベットを書く生徒はその行為は習慣となるのだが、それ以上のことではない。本来、自主学習と呼ばれるものは、家庭学習をする習慣をつけてほしいという思いからはじまったものである。その思いが忘れ去られて、毎日提出しなさいということが、先生側の習慣になてしまってはいないだろうか。

自分で習慣になっていることを考えると、それをすることが必要で、それをしないことで自分の不利益や不都合につながってしまうことがほとんどである。また、自分で何かを求めて毎日繰り返していることもある。

人間は、新しい環境や状況になった時であっても、これまでのことを続けていこうとする場合が多い。しかし、変化した環境や状況にであえば、新しく習慣をつけることもできるはずである。私がnoteを書くように。

変化に対応するには、ほんの少し勇気をもって一歩を踏み出せば良い。その一歩が新しい習慣となっていく。
新しいことに出会うことで、人間は進歩していく。

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