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みんなと同じでいいの?

子どもが親に何かをねだるとき、「みんな〇〇だよ!」という言葉は殺し文句。今の子どもたちでいえば、スマホを買ってもらうときに親にいう言葉ではないだろうか。親によっては、「みんなって誰?」という言葉で子どもを黙らせることもあるらしいが、そのあとには「そろそろなのかな?」と考える。

そもそも、誰かと同じということは子どもたちにとっては重要なことであり、仲良く遊ぶときには共通のものやことが大きなポイントである。わが家の三兄弟は、小さい頃から仲良く一緒に遊んでいた。幼稚園の頃、2人の息子と1人の娘は、決まって一緒に公園や庭で外遊びをしていた。公園に行けば他の子たちもたくさんいて、仲良く砂場遊びやブランコ遊びをしていた。幼稚園では、それぞれが同じ歳の子と楽しく生活していたようである。

子どもは嬉しいことはすぐに誰かに話したがる。何かを買ってもらった時などは自慢したくて仕方がないものだ。我が家の子どもたちが小学生の頃、かのニンテンドーDSなものが発売され、多くの子どもたちが持つようになった。自分はゲームに入り込んでしまうことで人と関わって遊ぶことができなくなるのではないかと心配して、すぐには買い与えなかった。当時、なかなか手に入らないことも理由ではあったが、クリスマスプレゼントに欲しいものを書いたサンタさんへの手紙に「DSをください」と書かれていたことで、子どもたちが我慢していたことに気づいた。手にしたことで、友だちと一緒に公園でDSで楽しそうに遊んでいる様子に安心した。一緒に遊びたいのに、共通のアイテムがないという理由で仲間に入れないのは、寂しいだろうから。

中学生くらいになれば、自分はこうなんだという意識を持ち始め、同じ考えの友だちとの仲がそれ以外の友だちよりも深くなっていく。それ以外に、その友だちと仲良くしたいから、考えを寄せていく場合もある。

誰かと同じとことは、安心材料である。しかし、どんなことでも誰かと同じというわけにはいかないことも出てくる。高校選びまでそれに含まれてしまう生徒も見かける。家庭の事情も関わるし、成績も考えなくてはならないのに。

大人になってもそんな様子を見かける。何か仕事をするときに、特に都合が悪いことについて同じ仲間を探す癖がある輩も見られる。要は、自分だけではないという安心感が欲しいのだが、悪くいえば責任逃れとも取れてしまう。

自分がどうしたら良いのかわからないときには、誰かの真似をすることは決して悪いことではない。しかし、いつまでもそれを繰り返していては、人として成長しない。経験したことや教えてもらってきたことを参考にして、自分で判断してやってみることこそ大切なのではないだろうか。

それができるようになるには、周囲との人間関係がきちんとできている必要がある。どのように考えているかを話し、それに対する意見が聞けることが大切である。

みんなと同じでいいと思っているうちは、自分にとって個性を発揮できる環境にはないということかもしれない。人はひとりとして同じものはいないのだから。

自分らしさを大切にすること。

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