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テストの得点のこと

テストの点数を気にしない生徒はほぼいない。返却のときに喜びの声をあげる生徒もあればうなだれる生徒もいる。
感想を聞くと、「点数が良かった」「点数が悪かった」というがその基準は人それぞれ。満点に近くても満足しない生徒もいれば、答えていない問題が多くても答えたものが正解だったら満足する生徒もいる。

自分が受けてきたテストのことはあまり覚えていないが、中学校のとき、音楽のペーパーテストで解答欄を間違えて悔しい思いをしたことははっきりと覚えている。悔しかったからだろう。

ある高校の英語の入学試験尾長文は、広げれば新聞紙くらいの長さだった。読み進めていく間に、たったひとつだけ初めて見る単語があった。文章の代替の内容から意味は推測できたが、なかなかの骨のあるテストだった。

高校3年生の数学の試験、B4の紙の左上にそれほど長くない問題が書いてあるのが数枚というテストがあった。ほぼ歯がたたなかった。でも、解いてやろうという気合だけで、知っている方法を駆使して、なんとか30点くらいは取った気がする。

教職に就き、テストを作る立場になると、自分がテストを受けていた頃のことは忘れて、「授業でやったのだから、これくらいは解けるだろう」と、いま考えれば無謀な問題を出題しては、生徒の点数を嘆いていた。

テストを作るとき、平均点は65点から70点を想定して作るようにしている。また、教科書の記述をもとにして、教科書の中身が理解できていれば解答できるようにしている。平均点は想定通りでも、得点分布は決して正規分布にはならない。最近は、フタコブ型の分布が多い。

平均点を気にする生徒や平均点をクラスで比較する先生もいるが、私は平均点を生徒には伝えないようにしている。平均点に届かなかったと嘆かれても、頑張って準備をした結果ならば良いだろうと思っている。

先週行われた学力診断テストの問題の解答を、教科書を見ながら考えさせる時間を持った。きちんと教科書を読み直すと、その中から正解に辿り着ける生徒は約8割。その生徒たちは、教科書を繰り返し確認することで、まだまだ得点を伸ばす余地がある。困ってしまうのは、教科書をいくら読み直しても、どう解答すればよいかが分からないと答えた生徒。少し前、「AI 対 教科書が読めない子どもたち」という本が話題になったが、まさに教科書が読めないのである。これは決して教科の勉強の問題以前に、読解の問題。正しく読み取れない問題に正解できるはずはない。

勉強したのに点数が取れない生徒の中には、正しく書けないことが原因という生徒もいる。インプットばかりでアウトプットしていなければそうなることは必然である。これをなんとかしたいと思い、今年は生徒のアウトプットに授業時間の半分ほどを充てている。

生徒のテストに対する答案と得点は、その生徒への支援の方策を見つけるためのものととらえるようになった。

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