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授業のこと

コロナ禍である。オンライン授業が行われる学校もかなりある。
私の勤務校ではコロナ感染の影響で出席停止になっている生徒に向けて、期間限定ではあるが参加任意で授業を配信している。

「授」という文字は「授ける」「授かる」という言葉に使われることから、「あたえる行為」「いただく行為」の双方があってはじめて授業である。つまり、これまで知らなかった知識や考え方を教師から生徒に伝達する行為が授業と考えることもできる。

学校での授業は先生ひとりに対して多数の生徒で行なわれるため、ひとりひとりの生徒がどれだけ伝えたいことを受け取れたかがなかなか把握できない。生徒にとってはわからない状態のままに進んでいってしまうこともあるし、なかには分かりきっていることを確認するにだけになる生徒もいる。授業中には生徒たちが活動する場面が必ずと言って良いほど取り入れられている。その間に授業を担当する先生が生徒の様子を見て周りきちんと分かっていない生徒に補足説明をしたり、活動中に生徒同士が教え合ったりすることで「分かった」にたどり着けたら良い。それでも「分かった」にたどり着けない生徒は、「分からない」を抱えたまま次の授業に臨むことになる。

ほとんどの場合、中学校では回数はそれぞれだが定期テストが行われる。粘り強く学習を進めてはいたものの、その時点では「分かった」にたどり着けなかった生徒にとっては、返されたテストを見て辛い思いをすることもあると思う。元麹町中学校の工藤勇一校長が、麹町中学校在職時代に定期テストを廃止して単元テストに切り替え、そのテストは希望すれば再テストを受けることができるようにしたと著書で読んだ。考えてみれば、非常に合理的な考え方だと思う。時間をかけてでも「分かった」にたどり着いた生徒が、それを確認することが可能だからである。生徒によって、「分かった」にたどり着くまでに必要な時間には差があるのは当然のことである。

そうすると、授業はどんな生徒を対象に組み立てれば良いのだろう。通常、年度はじめには年間学習計画が作られ、それに従って授業は進められる。生徒の「分かった」の度合いが低ければ多少の調整はするものの、多くの場合はそれに沿って進められる。そうしないと、時期を決めて行われる県学力診断テストなどに対応できないからである。そうすると、自然と「分かった」にたどり着くのに時間がかかる生徒は置いていかれる。また、定期テストの得点を順位をつけて家庭に伝達したりするものだから、保護者も心配してしまう。

学校での授業では、先生と生徒や生徒どうしのコミニュケーションが大きな意味を持っている。講義型の授業は減りつつあり、活動を取り入れることが有効であることが分かったからである。

「これまで知らなかった知識や考え方を教師から生徒に伝達する行為が授業」だったものは、「これまで知らなかった知識を知り、その活用について教師と生徒が活動を通して考え身につけるための時間」になりつつある。だからこそ、これまでとは異なる授業が行われるようになっているのである。

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