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無理するな

何かをはじめるとき、三日坊主で終わらないようにしようと思うのは誰でも同じ。それでも続かない経験をしたことを経験している人はほとんど。

継続は力なりとは言うが、どんなに簡単なことであってもずっと続けたら必ず身につくものがある。入学してきた新入生には、必ず「授業で習ったことを毎日5分でいいから思い出しなさい」と伝えている。騙されたと思ってそれを継続していた生徒は、テスト前にそれほど苦労せずに試験準備ができるようになったと言っていた。

多くの中学校では、自主学習ノート提出ということが毎日行われている。ページ数を指定するのだが、それだと何を書けば良いのか悩む生徒も少なくない。つまり、無理をしてやっているのである。真面目な生徒はそれを決して欠かさないのだが、それをやるだけで大きなストレスになってもおかしくない。先生の立場から言えば、習慣にさせたいからと言うのだろうが、自分だったらやるのだろうか?私はやらないしやれない。目的をもたずにノートに何を書いても時間と労力の無駄と思ってしまう。

継続することができることは、簡単にできること、それをすることの意義が感じられることである。意義を感じると言うことを、スポーツに例えるならば、このトレーニングがやがて〇〇に役立つとわかって取り組むと言うことである。中学生の分際で、「これをすると何に役に立つのですか?」と聞くことは勇気がいることだし、場合によっては聞いても答えてもらえないこともあるだろう。でも、指導者として何かをせよと指示するとき、何に役立つと言うことが説明できないならば、指示したことの意味をわかっていないことになるだろう。掛け算九九を覚えることを指示されたとき、何の疑いもなく頑張って誦じたことが、いずれ買い物の値段を計算する時に役立っていることに気付く。役立つのはどんな場面なのか、勉強していて疑問を持つことは誰にでもあるのではないか。その時には、指導する側が簡単な言葉で教えてあげれば良い。

最近、何かを指示すると、「無理」という言葉を発する生徒が少なくない。そんなとき、わたしは「無理はしなくていいよ」という。場合によっては、「じゃあやめようか?」と言う。そうすると、多くの場合、生徒は「やります」と言葉を変える。無理と言う言葉が反射的に出てしまうだけで、その言葉に反応してあげるとできるかもしれないと思い直すようだ。

中には何も言わずに指示に従い続けることで自分を追い詰めてしまう生徒も時折見られる。指示したことに従順にやる生徒が良い生徒と考える教師が多いようだが、私にはとてもそうは思えない。

自分の限界を一度見ると、自分んはここまでなら大丈夫ということが身を持ってわかる。だから、最初のうちだけは少し無理することも必要かもしれない。でも、その時だけでいい。あとは、自分位無理なく継続することの方が大切なことだ。

中学校3年生が入試前に寝る間も惜しんで勉強したと言うような話を聞くたびに、そんなことを思う。

限界は自分が決めているもの。限界はどこまでかは一度とことんやってみないと分からない。だから、無理をするのははじめだけ。

あとは、決して無理するな。続かなくなるから。

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