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愛したい・愛されたい

私は叔母夫婦に育てられました
だからなのか甘えるということを知らないで育ちました
大事には育てられましたが、抱きしめられた事は記憶にありません
宗教にどっぷり浸かっていた祖母や叔母たちは、他人の子を育てるのは何よりも偉いことだと教えられたので、大事に育ててくれたのだと、後になって思いました
よその子を預かっているから怪我をさせてはいけないという感じの大事さだったのです
なので、親の愛情を知りません

おとなになる前から、そしてなってから恋愛は何度かしました
でも、本当に好きなのかどうか良く分からなかった
この人なら私を気にしてくれると思って付き合ったり
親切な人だから好きになったりしましたが・・・

何か叔母が不満に思う人ばかり連れてきたように思うけど
本当は、叔母は私が他に心を向けるのが嫌だったみたいです
それは30歳の時に出会った嫁さんに言われたことです
「お義母さんは貴方の彼女を全部嫌っているみたい」と言われたのです

そうか、嫁さんを気に入ったのは、何でも言うことを効く人だと思ったのだ
都合の良い嫁さんになると思って許したんだと思いました
でも、そんな嫁さんは病を持っていました
心の病です

心が壊れると嫁姑が喧嘩をします
その時、心が壊れているのだから優しくしてくれと頼んだら拒否されました
叔母には人を優しくするという感情が無かったのです
そうか、そんな人に愛情を求めても駄目だったんだと思いました

でも、その時には叔母との間に共依存が存在していました
だから、叔母をなんとかしたいと思っても何も聞いてくれませんでした
叔母いわく「私は人の言うことは、一度も聞いたことは無い」でした
凄い人だと思いました
そんな人だと何となく感じていましたが、言葉に出されて愕然としました

結局、嫁姑問題は共依存だったので叔母を取り、離婚することになりました
今考えても、あの時は嫁さんと子供を連れて家を出ればよかったと思います
愛することは尽くすことだと思っていたんです
自分が我慢すれば良いことだと思って、嫁や子供の気持ちなど考えなかった
客観的に見たら嫁さんと子供を取らないと駄目なんだと思います

壊れた 人間関係の中で育っていたので、それが当たり前だと思っていました
愛することも、愛されることも、わからなかったのです
それは、今もぼんやりとしかわからないでいます

子供にも言われました
叔母さんは私達の家庭を壊した人だと
それでも、子どもたち3人は曲がらず育って、今は自立しています
私はご飯を食べさせるくらいで何もしなかった駄目とも言わなかった
子供には放置していたと言われます
99%のパワーを叔母に向けて使っていたのだと思います

でも、子どもたちはチャント育ちました
ありがたいと思っています
元嫁さんとは仲良くしています
今も時々、心が壊れて喧嘩しますが、落ち着くとなんとかなります

叔母が死んで二年たち、いまやっと自分に目を向けています
娘とは毎日、仕事関係でLINEで連絡を取っています
元嫁とは通い婚みたいで週末遊びに来ています

愛することの第一歩は、自分の愛することだと思います
いまそれが出来なくて心がフワフワしているようです
明日は今日よりもっと自分を愛せるかなあ・・・

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