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シュペルターと歩む15年記 #25

コラム17:ヘリテイジ de アート


deって何だよ!

いきなり安易なタイトルで始めてしまいました。
〇〇 de △△
身の回りでよく見る安易な商品名の代表格。

例えばコレDIY店で売っているメロンの苗です。

このラベルの表示には2つの間違いがあります。さて何でしょう?

ご丁寧に、”de”に””と読み仮名がふってある。
なぜなら本来のフランス語では”ドゥ”と発音するからだ。

で育ててみたのがコレ


雌花が実になる確率は低い

ぐんぐんとが伸び、そしてが茂り、あっと言う間にが咲きます。
雄花雌花は蜂などが飛び回らない限り、自然には受粉しないので、
結構大変ですが手作業受粉させる必要があります。

お見事!

ちなみにマスクメロンのあの網目は、
実の成長につれて、表面の皮が裂け
裂けたところがかさぶたのように盛り上がりながら
どんどん細かくなって出来たものなんです。

素晴らしい
重量は500g弱です。

1㎏にはなりませんでしたが、ちゃんとベランダでメロンが育ちました。
ラベルに偽りなし。

ただし、メロンの実が熟す頃には、
それまで光合成をしてデンプンをせっせと作り続けてきた
親が我が子の成長を見届けて、自らの生涯を終えるように
枯れてしまうのですね。

さすがにラベルには、この切ない命の物語を表現することはできなかった。

ちなみにdeフランス語の辞書でしらべると

de[ドゥ]前【de+le→du;de+les→des;母音ょび無音のhの前ではd’】
(英of, from)
①(所有・部分・所属)…の;…のうちで
▶le chapeau de Pierre ピエールの帽子
②(素材・用途・性質)…(製)の;…(用)の;…の(性質の)
▶un vase de cristal クリスタルの花瓶
③(内容)…の(入った)
▶une tasse de cafe 一杯のコーヒー 
④(起点・出身)…から、…(から)の
▶rentrer de l'ecole 学校から帰る 

⑤以下略

デイリーコンサイス 仏和・和仏辞典 三省堂

したがってベランダ de メロンを本格的にフランス語で表記すると
Balcon de Melon

翻訳するなら、deが場所を表す前置詞でなかったのが幸いし、
メロンのバルコニー
商品の企画からしても、あまり違和感ないですね。

ちなみにベランダはポルトガル語のヴァランデが英語になったもので
外国では”建物の1階の外に張り出している屋根付きのスペース”
のことなのだそうですよ。

安易な商品名だと思っていた、〇〇 de △△ですがなかなか奥が深い
今度から、街で見掛けた時にはもれなく記録するようにしておこう。


アートとの出会い


2016年11月末、インターネットを見ていると
こんな情報を見つけたのです。

Artistic Cars At The World Heritage

インパクト大

カウンタック VS. 512BB
少年の頃のスーパーカーへの熱い想い再び!である。

場所は京都二条城
正式名称は『元離宮二条城』
1994年に古都京都の文化財の1件として世界遺産に登録されています。
なるほど、それでAT The World Heritageなのだな。

10月31日から始まっており、最終日は12月11日
まだ間に合う!

トトムの趣味全開ですが、
秋の行楽を兼ねて12月3日家族全員で行ってみました。

ただスーパーカーに関しては1977年当時のスーパーカー小僧から
何も進歩しておらず、
皆さんにご披露するような特別な知識など何も無いのですが、
自分のお勉強のためインターネットでちょっとは調べて見たり、
自分の思い込みで話してみたり。
どんどん流していきたいと思います。

このどんどん”流していきたい”という最初のお約束
なかなか守れないんだよなぁ。これが!

以降、実際に撮影した写真とネットで検索したものを区別するために
会場で撮影した写真には”実撮No.”を付していきます。

二条城到着
会場入口です。ドキドキ

実撮1:知らない人達すみません。

会場はざくっといえばコの字形

実撮2:赤字が順路


コの上の横棒の左側から入り→
コの縦棒へ進み↓
コの下の横棒を←左向きに出るわけである。

まずは最初の上の横棒のエリア

アバルトに迫れ!

フィアット アバルト750 RECORD MONZA サガート(1959)

実撮3:一言でいえばだるまちゃん

のっけからカワイイの出たな!

実撮4:プラモ的なデザイン

この後の吸気孔みたいなところの造形がなんとも良い。

車の名前に、たくさん文字がくっついてますね
RECORD MONZAっていうのはイタリアの
モンツァサーキットで記録を出したということなのだろうか?

それ以外は会社名だが、なんで3つも⁉
フィアットはイタリアの巨大自動車会社(日本で言えばトヨタ
アバルトは・・・、そうあのアバルトだ!
ザガートはボディーをデザインしたり作ったりするカロッツェリア

特にフィアットアバルト
あをによし 奈良

たらちねの 母
くらい一心同体少女隊なのですが、
実はこの2つの会社の関係があんまり良く分かっていないので
この機会に調べてみます。

まずはフィアット再確認から始めよう
フィアットのカワイイ車と言えば間違いなくこれですよね。

前から見たほうが次の695と比較しやすいのですが、
比べようにも結局は同じ形なので、よりカワイイ後姿にした!

フィアット・チンクエチェント(1957)
愛称は”コマネズミ”らしいので、
コマネズミのイタリア語がチンクエチェントなのかと思っていたのですが、イタリア語をかじってみると
5がチンクエ、100がチェントなので、チンクエチェントとは500
500㏄エンジン排気量を表しているのである。

それでこのチンクエチェントにそっくりなのが
フィアットアバルト695

ボロいとか言うな!

同じやん!
もうお分かりと思いますが、695はやはりエンジン排気量なので
エンジンを大型化してパワーアップしたスポーツ仕様車

運転するなら別ものだが、プラモデルで作るだけならばほぼ同じ
実際にグンゼ産業ハイテックモデルで両方発売されていた。

フィアット500、フィアット695どっちが好き?どっちもフィアット♪

金属パーツとかが付属して高額だったのでどちらも買わなかったのですが
仮に買うとしたら、勿論フィアットアバルト695だな!

だって695はイタリア語で
セイチェント ノーバンタ チンクエ”なんですよ。

なんとも響きがカッコいい!ただそれだけなのですが。

まぁアバルトに関する知識というのが実はこの程度なんですね。

現代を生きる自分にはそんな古い車の事など預かり知らない
という方! チッチッチッチッ
車前面のエンブレムを見てください。
このサソリのマーク

中二病的ではあるが!

名前は500だけど排気量は1240㏄もある3代目フィアット500に見えて、
実は500じゃない、エンブレムが”FIAT”のロゴではなく
このサソリのマークに付け替えられたヤツを
街中で結構頻繁に見掛けるハズです。

排気量は1368㏄。予約が締め切られていたら悪しからず。

あれもフィアットアバルト695なのです。

はい、これで全員アバルトに対する知識が横一線になりました。

あとはいつもの通り安易かつお手軽にインターネット検索ポチッ

アバルト(Abarth)は、ステランティス N.V.におけるイタリアの自動車子会社である。

1908年にオーストリア・ウィーンで産まれたカール・アバルトは、バイクのレーシングライダーとして活躍したのちイタリアに移住し、カルロ・アバルトと名乗りチシタリア(en:Cisitalia)の技術・モータースポーツ責任者を経て1949年に会社「Abarth & C.」をトリノ市コルソマルケ38に興し、自動車マフラーなどのパーツを販売。
それらの資金を元に主としてフィアットの小排気量車をベースにしたエンジン・チューンやレース車の製作を行った。

1971年にフィアットに買収され、その後は同社の自動車競技部門としてフォーミュラカーやラリーカー、ツーリングカーの各マシンの開発に携わった。1980年以降はフィアット傘下のフェラーリ、ランチア、アルファロメオなどの競技車両を開発。037ランチアラリー、グループA仕様のランチアデルタ・インテグラーレ、ドイツDTM参加マシンアルファロメオ155 V6 TIなどを次々と開発。ラリーやツーリングカーレースにおけるイタリアンマシンの活躍を支えた。

その後、フィアットの自動車部門を統括するフィアットオートモービルグループ社のもと、アバルト&C.社(Abarth & C. S.p.A.)が再組織され、アバルト・ブランドのもと市販車の販売展開が開始された。

ちょっと待て~い
アルファロメオがフィアット傘下となっていたことは当然知っていたが
DTMチャンピオンに輝いたアルファ155のレーシングバージョン
155V6 TIを開発したのがアバルトだと!

全く知らなかった

しかも、それだけではなく
ランチャラリー037やランチアデルタ・インテグラーレなど
レース史上に燦然と輝く名車達までもが
アバルトの手によるものであったとは。

アババババアバルトすげぇ!

UFOは料金所がお嫌い⁉

パナール GILCO  ”ディスコヴォランテ” MM(1952)

実撮5:さながらムッシュフランスパンのような姿

あまり聞き馴染のないパナールというフランスの自動車会社の車。

パナール社のことを知って言っているわけではないのですが、
フランス車以外でこの見事なまでの
フレンチブルー車体色が許されるはずがない。

とはいってもフレンチブルーという色に決まった色味があるわけではなく
レーシングシーンにおけるフランスのナショナルカラー
ブルーである、ということらしい。

言い換えればフランス車に塗った青はすべてフレンチブルー
ということなのだろうか。


後から見ても、いや後姿こそ一分のスキもない造形

実撮6:後ろ姿は十分にスポーティ

フロントフェンダーから異様な張り出しのあるドアへの繋がり。
後部座席(があればだが!)の両側と後面の宇宙船のようなウインドウ
リアフェンダー後端の1/4円形切り欠きなど見所が一杯ですね。

ちなみに後部座席はありませんでした
ガソリンタンクのようです。ゾ~

実撮7:ガソリン満タンはどのレベルで?

名前につく”ディスコヴォランテ”とは空飛ぶ円盤のこと。
ダブルクォーテーションが付いているので、
おそらく”コマネズミ”同様に愛称なのでしょう。

理由は正面から見ると一目瞭然

実撮8:矢追純一マター


ちなみにアルファロメオのレーシングマシンにも
ディスコヴォボランテと呼ばれる車があります。

なんと1964年のCar Graphic誌の記事


ところで話は変わりますが、左ハンドル車に乗っていて一番つらいのが
高速道路駐車場の発券やお金の支払い。

有人の料金所であろうが、自動支払機であろうが、
あの頑強な基礎張り出しを何とかしてほしいものだ。

今はECTを付けたので高速道路は良いが、駐車場はまだ難敵

左ハンドル車右側の窓から、
なんとか係員さんや発券・支払機に手が届くように
車をギリギリまで寄せようとすると、
タイヤのホイールが料金所の基礎ガリッと擦ってしまうことがあり、
さりとて安全を見過ぎると、全然手が届かないということになるのです。

しかしディスコヴォランテの場合にはもっと大変だろう。
なんせ未確認飛行物体、空飛ぶ円盤なのだから!

料金所との第三種接近遭遇を試みる時は地球人とだけでなく
ホイール基礎コンクリの接触にも、
ドア料金所ブース本体の接触にも
気を付けねばならないのだ。

左ハンドル車の悩み

そしてギリギリに寄せられたとしても、
ウインドウから係員さんまでの距離は気持ち的には
一天文単位ほども離れているのである。

箸休め

フィアット SIATA 500 PESCARA (1939)

実撮9:デザイン的にはライトの位置に一考の余地ありと思う。

さすがに戦前1939年製だけあってヴィンテージ意匠を身にまとっている。
ドライバーズシートとナビシートで別体フロントガラス
後輪の側面を覆うスパッツ
全体も葉巻型の車を進化させたような趣がありますね。


こいつを横に2つ繋げれば!

OSCA  MA MT-4 2AD(1956)

実撮10:オスカといえばマーカー(ホワイトベースのオペレーター)

フェラーリ250GTOを彷彿とさせる流麗なスタイリング

リアビューも隙がありません。

実撮11:背中で語る

ん? 運転席の後ろにあるのは、フェラーリ312Tのような
シュノーケル式エアインレットだろうか?

参考写真

まさか!フロントエンジンに見せかけてリアエンジン車

いや、只のヘッドレストの延長みたいです。
中は空っぽかな?

実撮12:ナビの人の分は良いのか?


エランは夢か幻か?

ロータス エラン+2 PROTOTYPE METIERⅡ(1965)

実撮13:唐突にドーバー海峡超えました。

エランには特別な思い入れが有るようで、
実は実車とは全然縁が無いのです。

ところでこのエラン+2は普通のエランとは全く違っている。

エラン+2とは、2シーターのエランに対して、
補助的な後部座席が付いた2+2モデルだが、こいつはいただけない

なぜならポルシェ914そっくりさんだからである。
言いがかりのようだが、相乗効果的好みではないのである。

参考写真その2

改めてこうして並べてみると、
断然エラン+2のほうがカッコ良いことに気付いてしまったのだが、
風評被害だったとは全く申し訳ない

しかしこのエラン+2 PROTOTYPE METIERⅡ PROTOTYPEとやら、
風評被害の元となるウインカー
視認性の良いフロントライト両側の位置から消滅している。
(いや、無い訳は無いので、バンパーの下にちょこんと収まっている
ちいさいオレンジ色のものがウインカーなのだろう。)

実撮14:風評被害に対して悲しげに憤りを覚えるエラン

不安全極まりないがカッコ良い。

実撮15:和英折衷

二条城の風景の中にあっても十分Artisticな存在感をアピールしている。

何者なのだろう?
ネットで調べたところ、PROTO TYPEと言うだけあって
エラン+2の量産型開発のための試作品の一つであり
世界の1台のみののロータスエランなのだそうです。
(ガンダムでも同型機が3機あったのに!)

このように
人としてエランと出会い
人としてエランに迷い
人としてエランに傷つき(傷つけた?)
人としてエランと別れた理由とは!


昔、車検の切れたロータス エランを買って
近所の無人となった家屋の庭にひっそりと置いていたのです。
確かグリーンロードスターでした。

勿論夢の話です。

こんな夢をみた。



どうも”近所の家”というのは実家の近所左隣木工所
そのまた左隣のレン君という白いワンコを買っていたお家の間に
細い道があり、その道をだいぶへと入った所にある家のようなのです。

(記憶より)隣の木工所には木材が積み上げられていた。
レン君の家の前だけ溝のフタが無く、キャッチボールのボールが溝に入ると、
会所へ落ちる前にレン君をかいくぐって拾わなければならない。
細い道の奥にある”近所の家”には確かに塀に囲まれた庭があったはず。

何回もその夢を見るので、しまいには本当にエランを買って
その家の庭に置いたっきり、忘れているのではないかと心配になり、
真相がどうなのか、だいぶ怪しくなったことがあります。
(やっぱり夢でしたが)

夢日記をつけてしまい、発狂したわけではありません。

この”細い道”というのが夢の中に現れる
私にとっての不思議スポットなのです。

或る時は近所にUFOが飛来したというので、
ちょっと玄関から表へ出てUFO探しをしていると、
ちょうどこの細い道から現れた宇宙人鉢合わせをしたこともありました。もちろんですが。



あつ、思わず最初のエリアに長居してしまった。
次はいよいよ、コの字の縦棒エリアだ。

ただこのエリアは思った以上に
ヘリテイジかつエレガントすぎる車が集う紳士の園のようであり、
自分が乗って運転しているという想像の翼が広がらない。

我ながら紳士たちを傷つけない、うまい言い方をしたな。

まずはクラシックカーの部類

ランチア ラムダ ティーポ 221 CASARO(1928)

実撮16:ルパンザサード♪

アルファロメオ 6C 1500 SPORT(1928)

実撮17:ルパンザサード♪ アゲイン

こういった車にはとんと疎く、
すべてルパン三世が乗っているように見えてしまう。

ルパン・ザ・サード♫

次はエレガントな車

アルファロメオ 6C 2500SS ベルトーネ(1942)

実撮18:タケモトピアノのお取り扱い?

この車は今回の展示車の中で
Concorso d’Eleganza Kyoto 2016
を勝ち取った最もエレガントな車なのだそうです。

このコンコルソ・デレガンツァとは?

フランス語ではコンクール・デレガンス

古くは、コーチビルダーにオーダーメイドで製作させた自慢の自動車を紳士淑女が持ち寄りその美しさを競うコンクールであったが、現代では転じてクラシックカーのコンディションや時代考証の確かさなどを競うイベントとして認知されている。

大規模な大会では、年式とテーマによって分けられたそれぞれのクラス内で審査と受賞車の選出が行われ、イベントラストにフィナーレとして総合優勝車が選出される、といった形式が多く取られている。

通常は車両本体のコンディションや所有者の美的感覚(ボディカラー、etc.)などがその主な審査対象となる。
ただしより権威のある著名な大会においては、車両の美しさだけでなく、個々の部品のオリジナリティやエンジンの挙動、さらにはレストアの経歴や車両独自のヒストリーまでもがその審査対象となり、それらは各国から選び抜かれたその道の専門家によって厳正に審査される。

そのためこの厳しい審査を勝ち上がったトロフィークラスの自動車には、それ相応のステータスと資産価値が付与されることになる。
加えて著名な大会では、そういった破格な資産価値を持った出場車らのオーナーとして、世界各国から桁違いの富裕層や上流階級が会場に集う(この様相は大会における一種の伝統であり、古くから社交界・サロンとしての役割を担っていた)。
それ故に大会によっては、限られたごく一部の者しか入場できない日にちを設けていたり、ドレスコードを定めている場合などもある。

Wikipedea『コンクール・デレガンス』より抜粋

何やら大変そうなイベントである。
この展示会では最終日の12月11日に行われたのだそうです。

ドン・ロプレスト、ぜってーマフィアだ。(ウソウソ)


実撮19:触ったらめっちゃ怒られるゾ!


フィアット 8V SECONDO SERIE(1954)

実撮20:後方には付かれたくない顔
実撮21:パネルラインの無いルーフからリアフェンダー

これをエレガントといって良いのかどうかわかりませんが
ヌメッとしているのをエレガントというのならこれもそうなのだろう。

インパクトとボディーの成型技術はスゴイ

他のエレガントな車達はこんな感じでした。(興味メーター 残2%)

実撮22:おじさん趣味だからといっておじさんが好きというわけではない


BIZZARRINI A3C CORSA(1966)

実撮23:ポッツリー二

エレガントカーの一団から少し離れてポツンと置かれている。

設計者はジョット・ビッザリーニ
フェラーリ250GTO(このnoteで既に登場)の開発エンジニア
だったのだそうですが、完成間近にフェラーリから謎の大量解雇に遭った
1人に含まれるらしいのです。

ふ~む。こいつはチャキチャキのイタリアっ子のハズなのに
何故だかアメ車の息吹を感じる。
と思ったらエンジンはシボレーのV8を積んでいるらしい。

単なる思い過ごしかもしれませんが、フェラーリへの怨嗟なのか?

シェルビー・コブラデイトナクーペ こちらはフォードエンジン


そんなことを考えていると
知らぬ間にコの字の下の棒に差し掛かっていました。

実撮2の配置図を見ればわかりますが
コの字の縦棒エリア存外幅広く
下の棒の長さは幾らも残っていません

アルピーヌルノー A310(1972)

実撮24:フレンチメタリックブルー

フィアットにとってのアバルトのように、
ルノーにはアルピーヌがある。
ただしエンジンルノーボディーアルピーヌ社製なのは
フィアット&アバルトとは逆のフォーメーション

あ、だから名前はアルピーヌが先に着いているのか。

言わずと知れた、葛城三佐愛車

葛城三佐って誰かって。
エヴァンゲリオンのミサトさんです。

プラモデルのパッケージ

このA310、N2地雷の爆風横転したりとひどい目にあっていましたが
ミサトさんが三佐になったときはもう廃車になっていたのか?

いやコミックス第5巻163ページにおいて肉眼で確認
健在でした。

そして出口直前にひっそりとたたずむ
ロールスロイス25/35HP スポーツ サルーン

実撮25:最高級車はでしゃばらない⁉

なんだか一人、いや一台で寂しそうにしていました。

ロールスロイスの左側の壁が出口?
ここを超えたら再入場できないのかな?

とりあえずゼニファーポコぞうには出口手前で待機してもらい
撮り忘れた写真がないかチェックしつつ
すべての車に別れを告げる。

出口に戻ってみると、家族の皆様はこんな状態
ゴメンゴメン、お待たせしました

実撮26:暇つぶしする人

右の順路と書かれている方向にあるのが、『台所
台所というのだから、きっと二条城の台所なのだろう。
と思いつつ中に入ると、

こんなん出ました~

ビモータ テージ1D(1991)/2D(2005)/3D(2015)

実撮27:1Dはふくよか
実撮28:2Dはダイエット成功!
実撮29:3Dよ、やりすぎは健康に悪い!

まさかビモータテージシリーズが一同に介するとは!

ビモータというのは1966年設立のイタリアのオートバイメーカー
創始者のアンキ、モーリ、ンブリーニの名前を繋げたもの。

まるで君江(みえ)、明美(けみ)、良子(ょうこ)、みれ
の最初の字をつなげて名付けた
NHI連続テレビ小説『べっぴんさん』(2016~2017)
の子供服メーカー、キアリスのような社名です。

ビモータ設立には立ち会えなかった人も、
キアリス設立のシーンは連ドラでご覧になった事でしょう。
私もリアルタイムで見ました。

ビモータの中で一番好きなのはこのドゥカティのエンジンを積んだdb1
大学時代に初めて買ったバイクの本に載っていた。

街中で見た事はない

国産レーサーレプリカとは一線を画するフルカバーのスタイルに
衝撃を受けたものです。

街中で時々見る

そして今となってはこの色と形からどうしても
(公社)全国宅地建物取引業協会連合会
を思い浮かべずにはいられません。



ところでテージというのはイタリア語で『論文』のこと

ビモータが半ば研究論文のノリで開発した
スイングアーム式のオートバイ前輪サスペンション&ステアリグシステム
が名前の由来だとか。

私はバイクはノスタルジックなネイキッドよりも
レーシーなフルフェアリングを選ぶ口なので
こういう未来的なバイクは大好きです。

未来的オートバイは1980年代に白熱!


ちなみに『台所』は台所ではなかった・・・

実撮30:舞台?


よし、これでおしまい!と台所から外に出ると、
予想外、たくさんのスーパーカー達が待っていました。

あー、そうだった。
もともとカウンタック VS. フェラーリ512BBの対決を見に来たのを
すっかり忘れていました。

GT ロマン

マセラッティ シャマル(1994)

実撮31:オレどう?

でた!マセラッティ

70年代 スーパーカーブームのいぶし銀的存在である
マセラッティ― ボーラはポセイドンの三叉の鉾のマークとともに
どこか繊細儚げな印象でした。

私、いかがかしら?


それは”レースに勝てず、撤退してしまったマセラティ”
という営業妨害のような当時の”少年向け解説”のせいなのか、
あるいは近所の駄菓子屋で買ったボーラのプラモデルの
透明部品が足りなかったせいなのかもしれません。

しかしこのシャマルは、なかなかふてぶてしい
良く言えば力強い
見方によってはヤンキー車っぽいのですが、好みは分かれるところ。

私は好きですけど。

そしてインテリア

実撮32:お宅探訪

マセラッティ伝統の縦長のアナログ時計ダッシュボードの中央に!
これは”一家に一台”ではなく、”一台に一個”欲しい。

なお広島県福山市に自動車時計博物館というのがありますが、
ここには、この名門マセラティ車内用の時計は展示されておりません。
なぜなら、ここは”自動車時計”の博物館ではなく
自動車”と”時計”の博物館なのです。

マセラッティ ギブリカップ(1997)

実撮33:ボクってどうかな?

シャマルのデザインを踏襲したギブリですが
フロントエアダムサイドスカートリアブリスターフェンダーなど
各部の意匠おとなし目になっています。

ボディーカラーが黄色でなければ、乗用車と言えなくもないレベル
やはりシャマルはやりすぎだったと思ったのでしょうか?
それでもシャマルが好きです。

でもこの系列で一番好きなのはビトゥルボ

ギブリシャマルのご先祖です。

特に西風さんの漫画”GT roman”に出てきた
ビトゥルボがエンジンを掛けるシーンが最高だった。

ロマン吉忠


イル・モンストロ達

アルファロメオ ES30 RZ (1992)

実撮34:RZはRoadstar Zagatoの略で英伊折衷方式の命名

こいつがイル・モンストロil Monstro)の主犯格
英語でThe Monster、=怪物と異名を持つES30 SZ
オープンモデルがRZなのです。

SZも同時に展示されていましたが、
SZの生産台数1000台に対してRZはたったの278台しか作られておらず、
なかなかお目にかかる機会がない貴重な車であるため
こちらを紹介いたしましょう。

SZRZもベースとなる車体はアルファ75であるだけに、
トランスアクセル配置のFRという最適な前後重量配分
ド・ディオン リアアクセルによる良好なタイヤ接地性を受け継いだ
スーパーハンドリングカーですが、
エンジンはV6 3.0リットル SOHCで出力はたかだか210馬力

必要にして十分なパワーではありますが、
モンスター級動力性能というほどではありません。

もう察しは付いていると思いますが、怪物と言う名前は
その異様なエクステリアデザインから来ているのです。

正方形のライトが6つ並ぶフロントマスク
垂直に切り立った崖のようなドアパネルなど、
お世辞にも整ったスタイルとは言えない。

アミダばばぁのように”醜いほどに美しく”がコンセプトなのだろうか?

コンセプトの正誤

ランチア ハイエナ ザガート(1992)

実撮35:ハイエナ、ハイエナねぇ。

こいつもある意味怪物

なんとこちらのベース車両
ランチアデルタ・インテグラーレ・エヴォルツィオーネ
生産数はたったの25台と言われる。

何が怪物なのか?といわれれば、う~ん、名前かな、
というかわざわざ名車ランチアデルタをこんなのに(失礼)改造して
こういう名前をつけた勇気です。

なぜハイエナと名付けたのか?

とりあえずWikipediaで素直に”ランチア ハイエナ ザガート”と
打ち込んでみたところ
”ハイエナの車名はハイエナ科に属する動物に由来する。”
とあっさり。

ハイエナ!ちょっと困ったような眼が似てなくもない

いやそれはそうだろうが、知りたいのはそう言う事ではないのだ。

次に”ハイエナのよいところ”と入力してネット検索したところ
非常に明確な答えが表示されました。

顎の力が非常に強く、硬くなった死肉や骨まで嚙み砕くことが出来る。

ライオンやチーターなど他の肉食獣が食べ残したものまで
食べることができ、食べ残しが全くないこともある。

骨を消化して栄養にすることができるため、餌が少ない時期には
骨を食べて凌ぐこともある。

ハイエナに抱くイメージ通り。

でもこの車のコンセプト
”ガソリンはハイオクでなくても大丈夫!”
”ガソリン代が安くつきますよ。”
ではきっとないのでしょう。

我らが主役

ランボルギーニ カウンタック アニバーサリー(1990)

実撮36:ロッキーのポーズ

カウンタックといえば、斜め前方からのショットがキメ角度なのですが
左右のドア跳ね上げた状態であれば
真正面から立体映えを無視して撮るのもまた良し。

実撮37:リアバンパーの存在が最も大きな変更点

カウンタックの生産開始から16年も経ったこのアニバーサリーでは
エアロダイナミックスに基づいて、各部のデザインが悉く変更されており、
特にリアビューもはや別物である。
スッキリとしたLP400も良いが、これはこれで魅力的である。

フェラーリ 512BB(1980)

実撮38:今となっては七三分けの銀行員のように折り目正しい

こちらもカウンタックと双璧を成す第一次スーパーカーブーム超主役

実撮39:四ツ目が通る

かつて我が町三原にやってきたフェラーリBBは365だったのだが、
4灯式のテールランプであることからも、これは512BBに間違いはない。

しかし今回の対決、爆進化したカウンタックに対して、
フェラーリが当時のままのスタイリングでは、
勝負の同じ土俵に乗る事すらできない

会場には1996年型512Mもあったのだが、
カウンタックアニバーサリーと年代が合わないし
なにより私的にはこれはフェラーリの大スランプ時代の車だと思うので
写真すら撮っていないのです。

そこでインターネットから対戦相手にお越しいただきました。

フェラーリテスタロッサ(1984~1992)

対戦相手ご招待

このサイドのド派手なスリット
ガンダム世代にはなかなかグッとくるディティールである。

1980年代後半~1990年代序盤
カウンタックアニバーサリーにしてもテスタロッサにしても
スーパーカーというよりもドリームカーと表現するのがふさわしい
両雄並び立つ時代であったということで、今回は引き分け

ところで””で済ませられないのが、お金の話。
また現代ではお金でも済ませられないのが二酸化炭素の排出である。

いったい今日、Artisticという名のもとに
World Heritageである京都二条城に鎮座している
車の燃費とは一体どのくらいのものだろう?

なお新車購入から27年経過している私のアルファロメオ155 V6だと
だいたい燃費は7㎞/ℓ弱10.77㎞/ℓ(良好値は本日給油時に算出したもの)
あまり褒められたものではないな。

道路状況や使用するギアエンジンの回し方によっても
燃費はだいぶ変わりますが、
何よりタイヤの空気圧適性値に維持するのが重要かと思います。

そしてArtisic Car代表のカウンタックお燃費は?
ネットで調べた結果、
極端に良い値と極端に悪い値を除いたおおよその範囲でも
1㎞/ℓ~8㎞/ℓと大きくばらついている。
最頻値3~5㎞/ℓくらいだろうか?

しかし、さすがにリッター3㎞を切ると、
いくらArtistic Carといえど京都には居づらくなるのではないだろうか?

なんせ京都は地球温暖化防止京都会議(COP3)
160か国京都議定書を締結した地なのだから。

ここは誠に僭越ながら
京都においてスーパーカー達が展示される新たな意味
探さなければなるまい。

そいういえば以前これと似た展覧会に行きました。
京都醍醐寺 de カルティエ

左はコンタックスRXで撮影

宝飾品と物は違えど、
京都の歴史・文化とゴージャスな物との組み合わせ。

あの時買った目録にはなんて書いていたっけ?

醍醐寺ー文化創造の場

前略

これは、お寺が古い文化の伝承者というだけでなく、文化の創造者であったという認識を再び取り戻すことを目的としたものでもあります。
中略
お寺が文化を生み出し、育む場であったということは、日本を代表する茶道や華道の成立から発展に深く関わっていたことからも明らかです。
お寺は、醍醐寺は文化の創造者、発信地としても存在していたのです。
中略
醍醐寺は、その世界文化遺産という地位に甘え、守るだけでなく、常に新しい文化を生み出す原動力とならなければなりません。
またそれこそが、文化の発信地でありつうけた醍醐寺の伝統に従うものであると考えています。
今回の「カルティエ展」、その展示品の素晴らしさや芸術性については、あらためて述べる必要はないでしょう。その西洋で愛された装飾具、人々を魅了してやまない装飾性が、醍醐寺という祈りの空間に置かれた時、どのような輝きを発するのか。
新しい文化を生み出す力となれば、この展覧会を催したものの一人として幸いです。
総本山醍醐寺執行長
仲田 順和

エットレ ソットサスの目がとらえたカルティエ宝飾デザイン展 
醍醐寺霊宝館 2004年3月13日―5月2日 目録

あぁ、そうか!

京都は過去の遺産ではなく、未来の文化を生み出す都市として
自動車文化の良いところ、そして悪いところまでも含めて
改めて人と車のあるべき関係を見出そうとしているのだ。

おまけ

この後みんなで紅葉の二条城をゆっくりと見て家路につきました。

実撮40:秋の二条城、また会う日まで。

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