シュペルターと歩んでる?15年記 #9
コラム6:充電期間(仮題)
日本帰国後何やってたの?
2013年3月末をもって中国赴任を終え、日本に帰国。
結局、梱包された箱から出されることのなかったシュペルターの部品や
プラモ用工具達も、私の後を追って船便で帰国中。
1か月くらいしたら到着するでしょう。
”程無くしてシュペルターの製作を再開したはず!”
と思っていたのですが
製作ノートを確認すると、
シュペルター製作再開は2015年9月10日。
なんと2年半もの空白期間が!
(サブタイトルにまだ”コラム”が付いているので、最初からわかってましたよね?)
はて!その間何をしてたっけ?
ということでデジカメの画像にて何をやっていたのか、振り返ってみました。
その前に改めて家族紹介
私:トトム・クルーズ
奥さん:銭ファー・コネリー
娘:ポコぞう
娘を巡るあれや、これや
入園
2013年4月 春です。
とはいっても実際には3月下旬に帰国し、引っ越し作業やなんかかや。
ポコぞうは幼稚園の年長さんから、日本の幼稚園に転入。
まずはその準備で、幼稚園を訪問。
銭ファーは一時帰国の時に、手続きなどで来てましたが、トトムは初めて。
園長先生にお会いしてドキドキ。
ドキドキプリキュア
近所のショッピングモールにプリキュアショーを見に行ったり。
ドキドキプリキュアといえば、
トランプ王国のキュアソード(スペード)と、
キュアハート(ハート)
ダイヤモンド(ダイヤ)
そしてロゼッタ(クラブ)でしたね。
ところでクラブ=クローバーが何故ロゼッタなのでしょうか?
クローバーといえば、思い浮かぶのは”四葉のクローバー”。
アルファロメオに付けられているクワドリフォリオのマークですので、
個人的にはロゼッタ推し。
ただしトランプのカードは圧倒的に遭遇率の高い三つ葉の絵柄で、
まっこと謙虚なのですが、キュアロゼッタに変身するのは四葉ありす。
四葉財閥のお嬢様だけあって、
プラスワンの葉の数は譲れない線のようです。
ついでにキュアロゼッタの声優の渕上舞さんについて調べてみる。
他の作品では、おぉ『ガールズパンツァー』の西住みほ役かぁ~!
他に『暗殺教室』の渚くんもやっているなかなかの実力者と見た。
なお、クローバーは日本名ではシロツメクサ。
一方でロゼッタはおそらくロゼット葉の植物からきている名称
ロゼット葉というのは茎から放射状に地面に沿うように広がっている状態の葉で、代表的な植物はタンポポ。
タンポポの葉はどう見てもトランプのクローバーには見えないのだが?
答えはトランプのクラブの意味を調べるとわかりました。
トランプのクラブのマークは三つ葉のクローバーにしか見えないのですが、クラブの意味は”クローバー”ではなく、棍棒を意味する”クラブ”で
植物とは無関係!というのが、トランプ界の『公然のトリビア』。
棍棒財閥のキュアクラブでは、謎の財閥が裏金で作った怪しげなクラブのようで、お子様に夢を与えることはできませんからね。
夏祭り
7月
幼稚園の夏祭り。
やっぱり日本の夏も暑いです。
(プリキュアに比べて夏祭りの扱いが雑い…)
そうこう言ううちに一年が経ち…
小学校入学
小学校入学!
ピカピカの一年生ですが、幼稚園では先生に言われた通りに、
”席を立つときにはイスを机の下に静かにしまったり”と
みんなお行儀よかったのに、
小学校は先生の言う事を聞かずに騒いだりする子がいて、
そのカオス状態にしばらく慣れなかったようです。
幼少期から秩序を愛する者、ポコぞうです。
研究テーマ
何とか小学校にも慣れた5月
夜に自分の机(まだ娘の自室はなくリビングのすみっこにIKEAの小さい机を置いているだけ)で何をしているのかとチラっと覗いてみれば、
” ときめき♡プリンセス☆チャート ”
いつの間にか女子力磨きか!
運動会とバレエがんばってネ
9月 運動会とバレエの発表会
モビルスーツ応援団がエールを送る。
ちなにみシャアザクを作る時に、正確極まりない部品磨きの技術を伝授しようと思って、ポコぞうにやらせてみましたが、(あっ、ここまで書いて思い出しました。ガンダム、シャアザクは中国赴任中に作ったので、少なくとも持って行ったプラモ用工具は活躍したのでした。)
最初は面白がってやったものの、メンドクサイとすぐに放棄。
残念!史上最年少女子モデラー誕生せず。
(写真のモデルはいつも喜んでやってくれたけど)
プラモデルを作ることはしませんでしたが、3歳半の時から安心してRGガンダムを触らせることができます。
物心ついた頃から秩序を愛する者ポコぞう。
バレエの発表会
最終リハーサル風景
ポコぞうはトトムに似て体が硬く、
Y字バランスなんかは苦労していたのですが、
発表会での可愛い衣装を着るのが楽しみで、
中国で幼稚園からバレエを始めて、小学校6年生まで続けました。
”打ち込み過ぎず、一定のペースで続けられる”という能力は
私には無いもので、素晴らしい!と感嘆することしきり!
健康にまつわること
入院
2013年4月19日、帰国後早々に入院しました。
4年に亘る中国生活で知らぬ間に、
トトムの身体は病魔に冒されていたのです!
ということでは全くありません。
前々からしようと思っていた痔の手術を、
帰任直後の業務がたて込んでいないうちにやっておこうということです。
切る手術ではなく、注射により薬を注入し患部を除去する方法にしました。
再発率は少し高いが、入院が2泊3日で済み、術後も楽です。
(何が楽かというとわかりますよね!)
手術前日の午後に入院し、次の日の朝から手術なのですが、
手術は感染防止のため抗生物質の入った点滴を打ちながら実施する
ということで、
手術時にスムーズに点滴ができるようにと、
『前日から血管にカテーテルを入れておきましょう。』とのこと
何かにつけ準備が良いのはよろしいのですが、
血管に針を差し込んだまま一晩寝るというのはぞっとします。
しかもまだ経験が浅い看護師さんなのか、
『トトムさんは、全然血管の位置がわかりませんねぇ』と
まるで人をゾンビのように言いつつ、
あーでもない、こーでもない、とだいぶ時間をかけて準備完了。
カテーテルが付いただけで、重病患者になった気分で
グッタリと一夜を過ごす。
次の日、手首にカテーテルが刺さっていることを除いては、
全然元気なのに車椅子で手術室に運び込まれる。
トトムは手術どころか入院もしたことがなかったので、
手術室などまるっきり初めてだったのですが、
周囲の壁がステンレス製でまるで厨房に運び込まれた魚の気分です。
『じゃあ点滴しますね』
『・・・』
『トトムさん!』
『なんですか!?』
『カテーテルがうまく血管に入ってなかったみたいなので、刺し直しますね』とサクッと抜き取り、サクッと刺される。
『ハイ、これで大丈夫です』
昨晩やったのの10分の1くらいの時間で出来ましたね。
とはいえ、いよいよ手術なのでそんな些細な事にこだわっている余裕はありません。全身麻酔?局部麻酔?痛いんかな?ドキドキ
結婚披露宴でのウエディングケーキへの入刀が、
新郎新婦の初の共同作業とよく言われますが、
注射による痔の手術は真の意味での医師と患者の共同作業です。
医師はこう言った!『麻酔はしませんよ』
直腸には痛点がないのですが、括約筋にはありますので、
注射針を少しずつ刺し込んでいき、痛みを感じたら教えてください。
そこから少し針の位置を戻して薬を注入します。
すわ大変!事前に聞いてませんでしたよ、そんな話!
痛みを感じる括約筋に深々と注射針を突き刺されては大変、
さりとてびびって早めに”痛い”と言ってしまい、
直腸の浅いところに薬を注入されるのもイヤなので、
全神経をおしりに集中。
じゃあ少しずつ注射針刺しますよ。どうですか?
まだです。
どうですか?
まだです。
チクッ!
今!痛み感じました‼
ハイ、じゃあ薬入れます。
はぁ~、患部が完全に取り除かれるまでにこれを何回繰り返すのだろう?
手術が終わった時には、もう息も絶え絶え!
病室にはストレッチャーで運ばれる。
手術の後、もう一泊して無事退院することができました。
ダイエット
痔が良くなったのは良いのですが、
2014年8月の健康診断で出た結果がメタボ予備軍。体重は74㎏
とはいえたちまち食生活改善、運動習慣を付けるといった
模範的な生活態度に改めることなく、しばらく静観(放置ともいう)
体重のことなど忘れたまま(本当は少し気になりながら)
2014年終了!お疲れ様~
2015年元旦 あけましておめでとうございます。
銭ファーの実家(コネリー家)、自分の実家(クルーズ家)と渡り歩き、
おいしい物を食べてはゴロゴロと過ごしたお正月明け、
体重を測ると78㎏! 80kg台も夢ではない状態になっており
これはよろしくない。極めてよろしくない。
とりあえず、歩くことから始めて、だんだんと走り始める。
まずは形から。(これ大事!)
アシックスのランニングシューズ GT-2000 NEW YOKE
さらに上下のランニングウエアを揃えて本格ジョギング開始。
平日は会社の帰りに電車を途中下車して、残り6㎞をランニング。
休日は海岸沿いの道(歩行者用信号がなくて止まらなくても良い)を
気分に任せて走ります。
だんだん走れる距離も伸びてきて、調子に乗って30㎞を超えた時は
さすがに苦しかった。
人体的に30㎞が一つの壁で、フルマラソンというのは体にとてつもない負担をかける(42.195㎞走破後には疲労で免疫力も落ちるらしい)という知識を自分の体で体感したので、30㎞を超えたのはこの1回のみ。
カロリーを消費しているのであって、
上級ランナーになるのが目的でなかったことを思い出しました。
お腹が引っ込んでくると嬉しいので、ワンダーコアスマートを買ったり
You Tubeでバベバニさんの有酸素トレーニングをしてみたり。
日々の努力の成果が出て、翌年の健康診断では見事!
目標体重である64㎏をクリアーして、62㎏。
ただし、”打ち込み過ぎず、一定のペースで続けるのは苦手”
と前述した事をネガティブ有言実行。
だんだんトレーニング負荷がエスカレートしていって、
やるのが大変になり最後はやめてしまうというパターンです。
大学で、波が砂浜に押し寄せてだんだん波が高くなる時の、
波の進む距離と高さの関係は正接曲線(=tanカーブ)である、
と学びましたが、数学的には90度で無限大の高さになる所が、
現象的にはその手前で波が砕けてしまうのと同じです。
しばらくすると体重がまた増えては、慌てて減量、の繰り返しが続いていますが、そろそろ4回目くらいの減量作戦を開始しなければならなくなってきました。
トトムファミリーズ
トップガンマーベリックを24回も観に行ったとはいえ、
トトムは家族で孤立しているわけでは決してありません。
これは家族理解のうえ、そのうち1回は家族みんなで観に行ったし。
家族と過ごす時間がやはり一番大切です。
トトムファミリー春夏秋冬のうち、旅行やグルメといった
”今までnoteで書いたような内容”以外について振り返ってみます。
アウトドアアクティビティ
この時期、トトムファミリーとして異例だったのはアウトドアブーム
まずは神戸生物倶楽部
学校ルートからもらったのびのびパスポート関係の情報で、
神戸の自然に触れることができるという神戸生物倶楽部に入会
(期間は1年間限定だったので安心して)
あきらかに今までとは違う方向性ですが、
中国広州では自然に触れる機会もなかったので、
やはりポコぞうが小さいうちに1度は自然に触れさせておこうという計略。
年間で6回くらいエクスカーションがあったのですが、
印象深かった回のみチラっとご紹介
≪記念すべき第1回 2014年5月 神戸市西区≫
田んぼのあぜ道とか護岸工事していない小川とか、
人の親しみやすいようなほのぼのとした自然。
ただ田んぼ仕事をしながら、わらわらと押し掛ける家族を睨む地元のおじさんの視線は、ほのぼのとしていなかった。
人の住むところ近くなので、珍しい動植物観察というよりも、
みっちりと雑草類の知識を教えていただきました。
≪10月菊水山≫
ちょっとだけ奥深い自然に分け入ります。
印象的だったのは、自然よりも引率していただいたインストラクター(ボランティア?)
キノコの研究をされている方で、キノコが大好きらしく、
Tシャツ、ポシェット、バンダナすべてキノコ柄。
電話が掛かってスマホを取り出すと、スマホケースもキノコ柄で、
周囲の参加者からも
『やっぱり、スマホケースもキノコ柄なんやぁ』と
ささやき声が聞こえきます。
そんなインストラクターに続いて山道を歩いていた時、
ふとガードレールの外側を除くと、ガードレールの支柱の陰に
大きいキノコがあるではないですか!
『先生!キノコを見つけました!』
ピューε≡≡ヘ( ´Д`)ノ、『どれですか?』
『これですが、なんですかね?』と手渡す。
しげしげと眺め『これは○○シメジですね。』(名前忘れました)
『シメジ⁉食べられるんですか?』
『食べられないことはないですが…』
(ん?食べられるけどおいしくないのかな?)と思っていると、
〇〇シメジを手にしたまま、すーっと去っていくキノコ先生。
(ん?俺の見つけた〇〇シメジ、さり気にとられた?)
キノコ先生は、キノコと見るやすぐ食べてしまいそうな俗物から
キノコを守りたかったのでしょうか?
(普通シメジと言われたら、食べれるのか気になりますよね?)
ぶらキャン▽
神戸生物倶楽部でアウトドアの味をしめたトトムは、キャンプにも挑戦。
キャンプ場でテントやバーベキューの道具を全て準備してくれる
手ぶらコースなので、『ゆるキャン△』どころか『ぶらキャン▽』である。
≪2014年7月 蒜山高原≫
蒜山高原で乗馬体験などしてから、休暇村キャンプ場へ。
キャンピングサイトへは車で横づけ出来て、
管理センターから借りた道具一式を運ぶのも楽チン。
テントは予約分だけ事前に張ってくれているようで、
テントはピカピカ、周囲に無人テントはなく広々。
夕飯はテントの近くの大きな蚊帳(これもキャンプ用品なのだろうか?)の中でガス式のコンロを持ち込んでバーベキュー。
朝ご飯は休暇村の宿泊施設のレストランで食べれますので、
朝の片づけも楽チンでした。
≪2015年8月 琵琶湖キャンプ場≫
琵琶湖の眺望がきれいな、小高い斜面にテントが立ち並んでいます。
このテントは常設されているようで、
風雨に晒されて外見は少々ヤレています。
この斜面のふもとに管理棟があり、車もその横に駐車できますが、
借りた道具一式を大八車でテントのところまで運び上げるのが大変。
バーベキューは薪を燃やしてから炭をおこすやり方。
なんで、そこだけキャンプの醍醐味が味分ける本格派なんだろう?
てか今時は便利なキャンプグッズも多く(たぶん)、
リアルキャンパーでもそこまでしないんじゃないかなあ?(おそらく)
最初の関門が、薪を束ねた太い針金を切るところ。(そこからかい!)
結局針金は切れず、薪を束のままコンクリートの地面にぶつけたりして
薪を割り、束から強引に抜き取る方法で薪ゲット!(動物番組で見た、猿の知能テストみたい)
第二関門は薪への着火です。新聞紙にチャッカマンで着火してから
薪へ火を移すのですが、なかなか簡単には燃えません。
いろいろと試行錯誤した結果わかったのは、
薪一本だけだと火を移すことは不可能で、
何本かの薪を組んで火を付ければ良いということ。
薪は隙間を開けて組み上げ、特に中央部には空間を開けておく。
そして薪の下に火をつけた新聞紙を入れてやると、
熱い空気が中央の空間から上に抜け、
新鮮な空気が自然とどんどん下から供給されて、火が大きくなっていく。
もう轟々と燃えて怖いくらいです。
こうして何とか炭にも着火出来て、
夕飯のバーベキューにありつくことが出来ました。
このキャンプ場も琵琶湖湖畔にある大きな宿泊施設で
お風呂や朝ごはんのレストランを利用することができて便利でした。
銭ファーはお風呂の後、脱衣所で急にギックリ腰となり、
ポコぞうに手伝ってもらわないとパンツも自分では穿けないという、
大事件が発生しましたが、それはまた別のお話で!(いや、もうないな)
アウトドアブームは2014年、2015年で一旦終了。
さすがに小学校低学年にはアウトドアは大変だったのか、
ポコぞうには、それ以来”アウトドアお断り!”と言われ続けています。
特に中学生になってから文学に目覚めたポコぞうは基本インドア派で
”どこかに行こう”と声をかけると
『たまの休みくらい、家でのんびりしたい』と
日曜日のパパみたいな事を言い出す始末。
まぁ、そうはいっても、なんやかんやで家族3人でお出掛けすることはよくあるのですが、新型コロナ感染拡大が発生してからは
それもめっきり減ってしまってます。
コロナ騒ぎも収束に向かっていますし、
ちょっと今から試しに、ポコぞうに声をかけてみます。
『ポコぞう!今年の夏に、またキャンプに行く?』
『行かない! 誰が行くの? わざわざそんなに不便なこと!』
(リアルタイム実録です。予想では”絶対イヤだ!”くらいの言葉が
返ってくると思っていたのですが、大人になったなぁ。ホロリ😿)
幸せな猫プント
実は銭ファー実家であるコネリー家の猫である。
もともと銭ファーの実家には、2匹の猫がいました。
仲人猫の”なっちゃん”(♀)と、ちょっとおバカな”メリちゃん”(♀)
そこに2004年の冬に拾われて来た仔猫(♂)がプントである。
トトムは銭ファーと結婚前ですが、実家にお邪魔してミルクをあげ、
”プント”という名前の名付け親になったので、
この子はトトムファミリーなのである。
プントは”拾われて来た”と書きましたが、まさに拾われてやって来たのです。
ある日、『コネリーさ~ん、仔猫拾ったんけど、どうしよう。』
と銭ファー実家のご近所の人が突然、仔猫を連れてきたのだとか。
”コネリーさんのお家なら、もう猫を2匹飼ってらっしゃるし、
あと1匹なら大丈夫かと思って!”ということらしいのですが、
なかなか大博打である。
自分で飼えないのに猫を拾うのは、”博愛精神”なのか”無責任”なのか
人間の理屈では決着がつかないところかもしれませんが、
拾われた猫にとってはどちらでもよい事。
冬の寒空のなかで消えてもおかしくなかった、小さな命は、
温かく居心地の良い家の中で、自由気ままに(先輩猫2匹には気を遣いながら)のびのび育ち、こんなになりました。(↓)
まさにあの時、拾われるのと拾われないのでは天地の差。
ご近所さんは”結果ファインプレー”ですね。
”幸せな猫”というのは、このエピソードからです。
赤ちゃんのときはなっちゃん、メリちゃんにはおっかなびっくりだった
ポコぞうも、プントとは良く遊んでいました。
そんなプントも2020年7月に16歳半の寿命を全うして亡くなりました。
その他 動植物・無機物
≪ヒメダカ共和国≫
2015年7月に我が家にやってきた、5尾のヒメダカとその子孫達。
既に4世代目か5世代目ですが、今もヒメダカ共和国は繁栄しております。
ただし1度だけ絶滅の危機がありました。
マンションの改装工事の時に外装塗装をするということで、
ベランダからは避難させていたのですが、それでも水に塗料が入ったのか?メダカたちはプカリと浮いて全滅。
かわいそうにと思いつつ水鉢を洗って片付けようかと思っていた矢先に、
水鉢の中に稚魚が泳いでいました。メダカたちが死ぬ前に水草に卵を産み付けていたようです。
あわてて汚れた水から稚魚を保護して、小さな水槽で飼育。
彼ら、彼女らは立派に大きくなって、一匹も買い足すことなく
また卵を産んでくれました。
メダカ共和国奇跡の復活です。
≪マハラジャの宮殿≫
一時期ブームになった、多肉植物マハラジャ。
ユーフォルビアの仲間ですね。
いや、家に来た時はちっちゃくてかわいいな。
赤いフリルのようなところが、貝殻を合わせたようになっており、
ここが部分的にパカッと開いて、中から新しい果肉(?)がはみ出てきては
フリルが更にビロんビロんになっていくような形態で成長していきます。
ある日、急に半分近くがバサッっと折れて取れてしまったのですが、
その断面からはサボテンが生えるような別の形態でドンドン成長して行き、奇怪な形になってきています。
これぞビザールプランツの真骨頂。
≪鉄器、陶器のある暮らし≫
日本の伝統、南部鉄瓶のヤカンと中国3000年の歴史、紫砂壺。
ともに存在感がハンパないので家族の一員としています。
特にこの南部鉄瓶をガスレンジに載せて湯を沸かしているときは、
キッチンの中で異彩を放っていますが、
この写真の日本の夏!といった風情にはよく似あってます。
海外出張など
日本に帰任してからも、短期間の海外出張には行きました。
2014年12月 ジョージア州サバンナ
日本ではあまり知られていませんが、
小説『真夜中のサバナ』の舞台であったり、
市内の歴史地区が『フォレスト・ガンプ』のロケ地になっているようです。
ここは現地のアメリカ人に少しだけ歴史地区を案内してもらいました。
”お薦め”のステーキは、でかくて、硬かった!
2015年9月 オーストリア ウイーン
写真はドナウ川の美しい景色ですが、
ホテル近所の景色で名所でもなんでもありません。
”ウイーン出張いいなぁ”、と思われるかもしれませんが、
これは弾丸出張でした。出張者4名。
ウイーンには午後18:00に到着。
次の日の朝6:00にホテルを出発。
ウイーンの支店で、担当者のオーストリア人の女性と合流。
その人が自家用車で、高速道路で2時間くらいの近郊の都市にある取引先の工場に連れて行ってくれることに。
駐車場へ行って車に乗り込みます。
おおー。ポルシェカイエンではないですか!
本日はよろしくお願いいたします。
出発直後、というかまだ駐車場内で徐行している時、
スピードを落とさせるためのキャッツアイが目の前に!
キャッツアイを静かに乗り越えようと更に減速しようとした時、
カイエン急停止!
キキッ! ガックン! ピョコッ!
今、みんなシートからお尻が浮いたよね!
どした⁉
『いやー、前の車から乗り換えたばかりなんです。』だそうです。
いや、カイエンがそれほどまでブレーキ激効きってことはないだろうと思っていたのですが、よく考えると前の車は多分マニュアル車(ヨーロッパでは皆さん普通にマニュアル車に載っています)。
それがカイエンに乗り換えて、初めてのオートマ車ということで、
クラッチを踏む用のなくなった左足でブレーキを踏むもんだから、
力加減ができなかったんだろう。
わかるー。自分でやってもそうなります。
昔は必ずマニュアル車で免許取ってたので、
アクセル・ブレーキは右足で加減しながら、
クラッチは左足で奥まで踏み込む。が当たり前
オートマ車に乗っても右足は同じなのですが、
最初からオートマ免許取る人ってどうなんだろう?
誰か教えてくださいな。
最初はクラッシュの不安が頭から離れなかったのですが、
その後は急停止することなくスムーズに。
もしかして”右足でブレーキ踏めばいいんだ!”って気付いたのかも。
ほんとにカイエン納車したばかりだったのでしょうね。
取引先での打ち合わせも終わり、
その日のうちに無事にウイーンのホテル帰ってくることができました。
ホテル着は18:00で、担当者の女性とGood By。
ちなみにこのホテルはウイーンの歴地地区とはドナウ川を挟んで反対側。
ホテル周辺はもう全く見るものはないのですが、
もともと次の日は6:00出発で空港に向かい帰国なので、
見るものがないほうがむしろ、ウイーン観光に後ろ髪引かれることがなくてちょうどよい。
ただ困るのは、その日の夕食をどこで食べたものやら、
何の情報もないまま、日本からの出張者4名だけで置き去りにされた
ということです。
(昨日の晩は機内食を食べていたのでよかったのですが)
歴史感ゼロの街並みをうろうろして、”AKAKIKO”という
何語なのか全くわからない名前の日本料理屋を見つけて入りました。
いやー、お疲れさまー。ビールで乾杯しようと、ビールを注文すると
『今ビールが冷えてません。』
うーん、営業する気があるのだろうか?
じゃあビールに氷を入れてとお願いし、
後にも先にも1回きりの氷入りビールでの乾杯でした。
最初のドナウ川の写真は、最終日に早朝に起きて、
一人でホテル周りを散歩したときに撮影したものです。
ものづくりのタマシイは潰えてはいない
シュペルターのガレージキット製作は7年半ストップしていましたが、
その間も”いろいろなもの”を作っています。
ラブリーコミューン
≪2013年5月製作≫
4月にプリキュアショーも見に行き、ちょっと気持ち的に盛り上がっているドキドキプリキュア‼
変身にはラブリーコミューンを使います。
我が家では何故か、”電池で動くおもちゃは買わない!”が不文律になっているのを知ってか知らずか、ポコぞうさん、
それほどラブリーコミューンを欲しがりません。
トトムは、そんなポコぞうの”いじらしい我慢(?)”と
”我が家の不文律”を知ったうえで、ラブリーコミューンづくりに乗り出したのでした。
材料は主に得意の段ボール
”光らぬのなら、文字を変えて見せようラブリーコミューン!”
と設計に余念なし。
ご覧のようにダイヤルを回すと、L.O.V.E!と文字が変わる。
”これで変身できるよ!”
とポコぞうに見せたとき、ポコぞうの口から出た言葉は
『トトは偽物づくりの名人だねぇ!』
お姫様ベッド
≪2014年2月製作≫
Book Offで『パパ、ママ作って!段ボールで作ろう、子供の家具』
などという本を見つけて、”面白そうだな”と買ってしまったのが運の尽き。
何でそうなのかというと、とにかく
大量の段ボールを集めてくる。
段ボールをシート状に開く。
木工用ボンドで貼り合わせる。
寸法を測って線を引く。
大型カッターで線に沿って切る。
切 り出した部品を木工用ボンドで貼る。
すべてが重労働なんです。
ひとつひとつの部品がでかいし、
強度を持たせるために、3枚貼り合わせた段ボールの分厚いこと。
ママさんにはお勧めできない作業であることは保証いたします。
その本の中でも大型家具の部類に入る”お姫様ベッド”
『ポコぞう、このベッドで寝てみたい?』
『う、うん…』例によってそれほど欲しがられたわけではないが
沈黙を以て同意とみなす。というカリオストロ公国の風習にならい
製作に着手。
大変だったのは最初に書いた通りですが、
大変だからといって手を抜くわけにはいきません。
頭側の板にはハート型の窓をアレンジ。
段ボールむき出しというのではお姫様感がないので、
布を貼り内側は、段ボールに切れ目を入れて木目込み細工の要領で
キルティング状に加工(ただし貼り付けは木工用ボンド)
レースの布でお姫様ベッドの条件である天蓋も付けて完成!
これはラブリーコミューンのような運命は辿らず。
写真の通り、ポコぞうは結構気に入り、
ベッドから足がはみ出すくらいに成長するまでは、
本当にベッドとして使っていました。
たまごっちシリーズ
≪2015年1月製作≫
2014年にアートクレイを使って、ポコぞうと一緒に
母の日プレゼントを作ったのですが、
このアートクレイというのが、いつもガレージキットで使う
エポキシパテと違って、コネコネの段階から絵具で色が付けられて、
べとつかずに形が自由に作れるのでなかなか楽しい。
他にもいろいろと作ってしまいました。
粘土造形にあたり自己設定したレギュレーションは以下の通り。
①絵具で色を付けた粘土で形をつくる。
②形を作って乾燥した後での色塗り、塗り分けはしない。
③細かい部品は別製作して木工用ボンドで接着しても良い。
なんのためにレギュレーションを作るのか?ですって。
だってそっちのほうが楽しいじゃないですか?
メロディっちのまつ毛なんかは究極の細かさです。
粘土に混ぜた絵具は、特に赤系は退色が激しく、製作時と現在でかなり色が違います。
製作時に写真をとっていたのは”くるるっち”だけだったので、
今現在の全員集合を撮影しました。
(メロディっちのバイオリンの弓だけが行方不明。)
銭ファーへのプレゼント
≪2015年5月製作≫
5月はゴールデンウイークがある月ですが、
母の日と銭ファーの誕生日があるゴールデンマンスでもあるのです。
2015年は、2014年の粘土細工(note未掲載)より
グレードアップした手作りプレゼントにしよう!
母の日と誕生日ということで2つのものを作ってみようと画策します。
1つ目は ”可愛いものビックリ箱”。
神戸元町にある、お気に入りの雑貨屋さんで可愛いアクセサリーとかを買って、ビックリ箱風に飾り付けしたいと思います。
箱は100均とかで買ってきたものに、
ユザワヤで買った布を貼ってゴージャスに。
外面はベージュの革風の生地。内側はピンクのベルベット生地を貼ります。
ビックリ箱なんで本当は蓋をあけると、
びよよ~んと飛び出さなければならないのですが、
なかなかこれだけの大きさのバネというのは売っていないものです。
いろいろと考えましたが、張りのあるケント紙を折ってバネにしました。
紙なので完全な弾力性はなく時間が経つと、しなりと曲がってしまうのですが、金属製のバネよりもデザインや色が面白いので、
これもアリかと思います。
デザイン、材料調達、工作という各工程を実行するうえでのポイントは
銭ファーに気付かれないように、隠密行動をすることです。
ポコぞうと示し合わせて、”別室でポコぞうと遊ぶ”とか言いながら
せっせと作りました。
2つ目は”ファミリーピクチャーフレーム”
これまた100均で買って来た、写真立てにアートクレイで作った花を取り付けます。
フレームの右上は銭ファーの好きな、トルコ桔梗とカラー。
左下はセージ、シロツメクサ、マリーゴールドです。
これらは確か、あんびるやすこ氏の魔法の庭ものがたりで調べた、
誕生月のハーブだったような記憶があります。
木のパズル塗装
≪2015年6月製作≫
もともとは2006年に大丸で買った、作家さんものの木のパズルです。
インテリアとして可愛いので買ったのですが、
本当は水族館モチーフの塗装済みのものが、いいなぁと思っていたのです。
塗装済の”水族館”は、より大型で部品数も多く、かつ丁寧な塗装が施されていたので確か8万円くらいの超高額で、さすがに買えなかった。
ということでカラフルな”水族館”のパズルの楽しい雰囲気をいつか自分で再現してやろうと、買った時から虎視眈々と狙っていたものです。
塗装の前に表面を紙やすりで磨くのですが、
もう少し立体感を出したいので、
部品毎に丸みやくぼみを付けたり(キノコの柄のあたり注目)と
ナイフや彫刻刀での削り作業から始めて、
表面を滑らかに磨き上げるまではなかなか大変で、
2015年6月製作といいながら、2014年からちょっとずつ作業をしていき、
完成した状態での2015年6月30日の写真が残っているだけなので、
実は製作日は不確か。
塗装は天然素材の木材の木目を生かす塗料
中国へ行く前にトーキューハンズで買っておいた、
ドイツ製のカラーオイル
”自然から生まれた自然健康塗料 リボス カルデット”を使っています。
(”自然健康塗料”って、飲むわけじゃないんだから)
これもかなり苦労のすえ、完成です。
自然の木の色も良いですが、色を塗ると俄然楽しい感じになりました。
すみっこぐらし シルバーアクセサリー
≪2015年8月製作≫
中国赴任中に、幼稚園やバレエ教室で一緒だったポコぞうの”ズッ友”
ママさんどうしも仲が良かったご家族が久しぶりに
日本に一時帰国されたので、銭ファー、ポコぞうと会うことになりました。
プレゼント何にしようかな?と迷っているので、
その時代に一世を風靡していた”すみっこぐらし”のモチーフで
シルバーアクセサリーを作ってみる。と宣言
今回はポコぞうとお友達がペアで持てるように、2つのアクセサリーを、
初めて扱うシルバークレイで作らなければならないのでハードル高し。
だが、何事も経験、経験。
ちなみにこの時の経験を生かして、ルミナスミラージュに持たせる
レイピアのナックルガードの装飾が作れないかなぁとたくらんでおります。
シルバークレイでは、アートクレイでたまごっちを作ったような精密な造形はなかなか難しいです。
水分があるうちはかなりべちゃっとしており、少し乾くと今度は形が崩れやすくなるという特性で、ちょうどよい水分量を維持するのはなかなか至難だからです。
ただし乾燥した後には、焼成する前でも削ったり磨いたりという切削加工ができるようです。
そこでエポキシパテで作った原型をもとにシリコンで型を作り、
その中にシルバークレイを詰め込んで、
元になるだいたいの形を作ったうえで、
それを削ったり、部品を付け足したりして最終形状にする
という作戦としました。
そもそもシルバークレイ売り場には既製品のシリコン型が売っているので、あながち的外れな手法ではなさそう。
作ったシルバーの単品部品は、ヤスリや紙やすりでの磨き、
ドリルでの穴あけもできますし、
他の部品とは水で溶いたシルバークレイを接着剤代わりにすれば
簡単にくっつきます。
形が出来たら、ガスコンロの上に専用の網を置いて焼成。
写真はありませんが、焼成中は
クラウンのザクが、うっかり大気圏に突入してしまった時のように
赤熱して、苦労して作った作品が溶けてしまうのではないかと
ハラハラしますが、規定の時間になり火を止めると
連邦軍のバケモノであるガンダムのように無事な姿を現してくれます。
焼成後はかなり白っぽいですが、専用工具で磨くと銀そのもののように
高貴な輝きを放ってくれます。(銀そのものなので)
あとはチェーンにつけてペンダントにすれば完成
シルバーだけでは寂しいので、またまたユザワヤで買って来たゴールドのアクセサリーと合わせて、ラインストーンのチェーンに取り付けすれば完成。
おまけ
2015年6月に姫路博物館で海洋堂展が開催されました。
海洋堂のガレージキットは作ったことはありませんが、
食玩フィギュアはたくさん持っていますし、
初期のファイブスター物語モーターヘッドの傑作キットを
世に送り出した造形集団
これは行かねば。
ちゃんと家族3人で行ってきました。
これでモチベーションをあげあげにして、
シュペルター製作再開に勢いを付けようと思います。
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