最高の喜び 34 家族のチカラ!
年明けに母が入院することになった。
母さん、あたしは毎日行きたいけど、0歳児の駿しゅんと環かんの双子と、小学校一年生の康輔こうすけは連れて行けないので、本当、ごめんな。
それも、母が、幼い子供達を連れて来る事を禁止した。抵抗力の弱い子供達に、配慮しての禁止だった。
ベッドの横のサイドテーブルに、母は子供達の写真を飾ってたけど、偶々、お掃除してくださる人が誤って、床に落としたのを見て、飾るのをやめた。
1日2回、朝と夕方に双子を散歩に連れて行く。
近くの公園、やっとお座りが出来るようになってたから、お砂場に座らせて、遊んでる様子を横に座って見てるあたし。
見てる?ちゃんと見てる?
目は駿と環を見つめてるけど、頭の中は、母の事でいっぱいやった。
ぼっ〜としてた毎日。
母の顔を見たくて会いたくてたまらない。
そこで、毎週末、単身赴任中の旦那げんちゃんが、東京から帰っきてくれることとなった。
げんちゃんは、金曜日の夜、夜行バスで帰って来てくれる。そして日曜日の夜、夜行バスで、東京へ。そのまま出社。
疲れてるやろなー。ほんまにありがとう。
げんちゃんが帰って来てくれるお陰で、土曜日も日曜日も、母に会いに行けた。
朝イチで、母の好物をお弁当にして、病院で、一緒に食べた。母があたしのお弁当で、あたしは、母の病院食。
朝出かけて、夕方に家に帰る週末の、母との時間やった。
週末に帰って来るげんちゃんを、最初の頃は、あたしの後ろに隠れてる、怯えた小動物みたいな、駿と環やったけど、毎週なんで、徐々に慣れていってくれて、ほっとした。
最初はギャン泣きやったけど、げんちゃんは、
行っといで!行っといで!いつか泣き止むやろ!気にせんと、母さんとこへ早よ行き‼️
ありがとうげんちゃん😊行って来るわ。
そうこうしてるうちに、母は、頭に癌が転移してしまった。母には癌のことは告知してた。
でもこんなに早く?
頭に転移してしまった事を、あたしは母から聞いた。
ようちゃん、あのな、とうとう頭に転移してしもたらしいねん。ごめんな、ごめんな!心配ばかりかけて。
その言葉の辛さをあたしは、忘れられない。
母は、自分の身体より、あたしの気持ちばかり考えて、ずっとあたしに謝った。
この母の思いが、優しくて、辛くて、母にしがみついて泣いてしまった。
頭に放射線当てるために、ツルツルになった母の頭に、マジックで、印がつけられてた。
普段帽子を被ってる母が、おどけて、ホレッと脱いで見せてくれた。
母は、笑ってた。
すごい人やなー母さんは。
母さん、すごいです。
その頃、隣の人の毎朝やってくる
『また、泣いてたな攻撃』に、かなりあたしはピリピリしてて、夜中に、駿と環が泣くたび、追い詰められていく。
時折、自分がダメ人間で、何も出来なくなる思いに、疲れてしまって、座り込んでしまう。
そんな時、帰って来てくれるげんちゃんが、優しく包んでくれるんやけど、ヒステリックに泣き叫んでしまうねん。
あたしなんかあたしなんか!いてへんほうがええねん!!
その時、初めてげんちゃんにほっぺたを叩かれた!
痛いってゆうより、ヘナヘナと座り込んでしまい、ぎゅーってげんちゃんが、抱きしめてくれた。
何も言わんと長い間、抱き締められた。
やっと、息が出来る感じやった。
げんちゃんが何回か、隣に、
一生懸命子育てしてますので、泣けば抱いてますし、毎朝、家内に言いにくるの、やめてほしいと、言いに行ってくれた。
それでも、毎日ではないけど、やはり来る。
もう、わかってます…。としか、ゆう事ない。
勘弁して。
そんなこんなのあの頃の時間。
そんなこんなのあの頃のあたし。
もっと強くならなくては!と、自分に、発破をかける。
普段、頼りになるのは、一年生の康輔。
学校から帰ってくると、いそいそと、一人を背中におぶって、子守してくれる。
その間にあたしは家事をせっせとこなし、
メインイベントは、毎日のお風呂。
2人分の洋服をセットして、湯冷ましも。
1人をお風呂に入れ終わると、
にいちゃーーん!!
っと呼ぶと、ハイハーーイ!と康輔が受け取る。
そして、裸になってるもう1人をはいっと渡される。
サッサと康輔は手慣れた感じで洋服を着せてくれて、湯冷ましを飲ませる。
そして、あたしはほぼのぼせて自分の体を洗うこともなく、もう1人を抱っこして出てきて、お風呂終了‼️
最大の戦力!!となってくれてる康輔。
頼りになるわ!康輔
ありがとうねーーー!
本当に、助かった。
そして、みんなで寝る時、あたしは、今日のご苦労様の分、康輔を抱き締めて、寝る事にしてた。
明日もよろしく、康輔くーん!
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