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「鯉魚」 岡本かの子 感想文

引用はじめ

「恋愛関係に於いて、一方が悟ってしまったら相手は誠に張り合いの無いものとなります。悟るということは、生命の偏慢性、流通性を体証したことで、一匹の鯉魚にも天地の全理が含まれるのを知るのと同時に恋愛のみが全人生でなく、そういう一部に分外に滞るべきでないとも知ることです」新潮文庫 p.173

引用終わり

「悟り」が命の隅々まで満ちて、広く世界に通じることころまで、確かに体得するということがあれば、恋愛は生きている内の一部と考えられるであろう。

恋の相手は、十七歳の美しい姫、十八歳の多感で血気盛んな青年が果たしてその境地に至ったのだろうか。お互いが終年を迎えた時、断念への悔いは残らなかったのだろうか、成就しなかった恋への未練は、と凡人は思ってしまった。

一族郎党、皆全滅かもしれないという乱世の中で、一人取り残され逃げ落ちた細川方の幕僚の娘の早百合姫が辿り着いたのは、寺院の鐘が緑の山々に響き渡るようなの禅宗の詩そのままの風景に流れる大堰川のほとり。
その川は、京都の嵐山の禅宗の寺、臨川寺の近くに流れていた。
そしてその寺には「三要」という僧が住持していた。

「施餓鬼法要」というのはよく聞くが、僧たちが施餓鬼の為に食事の際に、ご飯を一箸ずつ脇に取り除いておいて、それを「生飯(さば)」というのを初めて知った。

「沙弥(しゃみ)」、修行僧である昭青年が、川の鯉魚(こい)に生飯を与える役。早百合姫の境遇と飢えとに胸がはりさけそうになり、生飯と水を毎日差し入れる内に、修行僧にあらぬ行いと揶揄された恋に落ちてしまう。川で泳ぐ二人は青春の当たり前の姿であった。
三要は、初めから罪のない昭沙弥を信じていたと思う。僧にとって昭青年は、いつか真理を見つける資質があるという確信めいたものを持っていたのではないかと感じた。

「昭公と大衆(たいしゅ)の法戦(ほっせん)」しか手はないと、三要にはきっと策があったのだと思われた。昭沙弥に与えた三要のヒント。

十八の昭沙弥が、身をもって早百合姫守るために「湧き出た力」を発揮する。法戦の中の三要の問いに「鯉魚!」「鯉魚!」としか答えない禅問答。

「昭青年の意気込みには、鯉魚と答える一筋の奥に、男が女一人を全面的に庇って立った死に物狂いの力が籠っています」p.172

純粋に汚れのない心で一人の姫を守ろうとする必死の覚悟を持つ昭沙弥に対して、野狐禅(やこぜん、禅を少し学んだだけで自分では悟りきったような禅者)では寄り付けないほどの威圧感を放った。

「鯉魚々々」と答えていると、
「いつの間にか鯉魚という万有の片割れにも天地の全理が籠っているのに気が付いて」 p.172
とは、鯉魚という宇宙全ての中の一部の仲間であっても天地の全ての道理が含まれているという意味で理解して良いのか。それにはたと気がついたのだ。
その後、抜きに出て活発になる答弁。
やがて物事が滞りなく進展して行く、生きていく上での立場を捉えるたのだった。
三要は、「生飯を施した鯉魚の功徳の報いだ」と落着するのだった。

運を天にまかせて、一触即発の法戦に果敢に立ち向かった昭青年の「鯉魚」の二文字が、昭沙弥を超脱させた。

昭沙弥は、優れた僧となり、早百合姫は、京町の名だたる白拍子となる。
「道味聴聞」、これは二人が禅の説教や経を共に聞いた結果であるということだろうか。

私には、早百合姫が錦の衣を纏った「鯉魚」に見えるのだ。


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