原稿用紙の話

 最近無性に気になったことがある。原稿用紙という存在についてである。原稿用紙というのは明治の偉大な作家も使っていたと思うのだが、いつから登場したのかとふと気になった。

 そもそも江戸時代には文字というのは草書で書かれるものであるから升目にする意味がない。だから江戸時代にはほとんど存在しなかったようだが、どうやら縦の罫線が書かれたものまでは存在していたらしい。
 原稿用紙という存在が本格的に普及し始めたのは明治時代中期以降の話のようで、内田魯庵という人物が作った19×10行の190字詰用紙が最も原稿用紙に近いようらしく、夏目漱石も愛用していたようだ。
 活版印刷によって新聞が盛んに作られるようになってから、新聞に掲載する小説の文書の量を正確に計量できるというのは非常に魅力的な長所であることから、多くの作家によって用いられるようになったようだ。

 現在、英語の文書の量は単語数によるのに対し、日本語の文書は字数で数えるのは日本語の文法構造の他に原稿用紙の存在が大きいのではないかと思う。だが私は新たな疑問を覚えた。原稿用紙というのは日中韓で用いられるらしいが、欧米では文書を執筆する際、手書きで行う際にはどのような紙を用いるのだろうか。日本の原稿用紙のようなものは存在するのだろうか。筆記体で書いていそうだし、升目のようなものがあっては日本の江戸時代の話のようにかえって邪魔となるだろう。ただ罫線が入っただけのものを使用するのだろうか。

 このような疑問は今となっては無意味なものであろうか。最近は文書を執筆する際はまず間違いなくパソコンで行うものだ。文書を綴る速さが全く違うし、パソコンであれば文字数を1文字単位で正確に出せるものだ。さらに修正もしやすく管理も容易である。
 パソコンの利点があまりにも大きく、手書き勢の減少は止むを得ないだろうとは思うが、私としてはパソコン勢が増えても原稿用紙というデザインは無くなって欲しくないと思う。
 私は執筆と聞いて真っ先に思い浮かぶのは未だに原稿用紙であるし、パソコンで執筆する際にも使うソフト次第では原稿用紙を選ぶことができる。原稿用紙には独特の美しさがあると思うのだ。パソコンで執筆する際には白紙を用いても特に機能的に困る点は無くなってしまったのは事実だとは思う。だがそれでも、と思ってしまうのは私が古い頭を持つ人間だからなのだろうか。

 現在では原稿用紙を使うのは小論文だとか、感想文だとか、そういった場面くらいかもしれない。そして今原稿用紙が使われているこれらの文書でもそのうち原稿用紙は使われなくなってしまうのであろうか。

 いや、原稿用紙が登場した時のように、時代に合わせて新たな書式が誕生するのかもしれない。

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