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大改造人間キシワダ_1

1.先生

  男が一人、事務椅子に腰掛けている。皺が寄った背広の上に白衣を羽織った男は机に肘をついて両目を閉じて、何かを考えているようだ。男の左腕は人間のそれだが、右腕は奇妙にゆがんでいた。右のワイシャツの袖口からは鈍い真珠色の触手がはみ出て絡まり、人間の指のような形を作り、時折、不随意に痙攣している。
 男の名前を呼ぶ者はもういない。彼が作ったモノたちは男を先生と呼んでいた。
 先生のそう広くはない部屋の壁には本棚が並び、無数の本が詰め込まれている。そのすべては埃を被っていた。背表紙にはあらゆる言語が並んでいる。理化学から医学、宗教……生命に関する無数の文字の集まりが死につつある。
 部屋の一角、一カ所だけ本棚の代わりに二本の換気管がつながった奇妙なガラスの直方体がある。その中ではあぐらをかいた大男が燃え続けている。炎の合間から炭化したような墨色の胸部が見える。それはゆっくりと上下していた。呼吸に合わせて全身を這う炎はうごめき、その光が目を閉じた先生の顔を橙色に染める。
 扉がそっと開く音に、先生の目が開く。椅子ごと向き直り、濁った白目がニジの姿をとらえた。目元の深い皺がゆがんだ。

「ニジ。私を殺しに来たか」

 利き手に拳銃を構えたニジは歯ぎしりをする。とっさに引き金にかかった指を引くことが出来なかった。

「私を殺してどうするつもりだ」

 先生が立ち上がり、ニジの方へと一歩踏み出す。床に足がつく前に革靴が内側から壊れた。まるでヤマアラシのようなトゲが足の甲から足を這い上がるように先生の皮膚を突き破って生えていく。ニジは後ずさりするが、ぼんやりと立っているキシワダにぶつかりこれ以上は下がることも出来ない。

「本当に私を殺すつもりか。ほら私の身体が反応している」
「クソ!てめえ自分の体もいじってやがったのか!それは俺の記録にないぞ!」
「君に全部渡すことが出来たから、やっと自分の体を探ることができた」

 先生は白髪交じりの頭を左の人差し指でついた。その指が引き攣れたように変形し、かぎ爪に変わっていく。

「ありがとうニジ。さあ、撃つならここだ。早くしないと私でもどう、変わるか、わからない」

 ふふふと笑う先生の口が横に裂けていく。歯を食いしばりニジは引き金を引いた。

「ぎゃっ!」 
「ニジ!」

 キシワダが叫ぶ。悲鳴を上げたのはニジだ。反動で跳ね上がる銃身の衝撃をニジの枝の様に細い腕は抑えられなかった。弾丸は先生の体を逸れ、燃える大男が眠るガラスケースの表面に蜘蛛の巣状のヒビを入れた。

「いってええ!」

 手首を押さえてニジが叫ぶ。拳銃が床に転がった。

「もう少し強い体にしてやればよかったかな?さて一度、君を解体させてもらおうか。この体でまた君を直すのは骨が折れそうだが」

 触手の絡まった先生の右手が変形し、瘤だらけのハサミになる。ニジの白い顔がさらに血色失う。

「まずは首と体を切り離そう……」

 ぱんと間抜けな音とともに先生の頭に小さな穴が開いた。言葉半ばに先生が仰向けに倒れていく。

「え……」
「ニジ……」

 キシワダが銃を取り落とす。火薬の臭い。それから先生の頭からあふれ出す苦い血の臭い。ニジは床に崩れ落ちるように座り込んだ。

「すげえ……おまえ、俺が撃ったのを真似したのか」
「うん……」
「すげえ……よくやった」

 ニジは力を失った先生の体に這い寄ると恐る恐るうろこまみれの首筋に手をやって脈を確かめた。

「ああ、死んでる!」

 ニジはよろよろと立ち上がると先生の体を蹴った。

「クソ!ざまあみろ。はは、あっけねえな」
「ニジ」

 キシワダが小さな声でニジに声をかける。ニジは笑いながら泣いていた。ニジはクソとつぶやき、ごしごしと雑に袖で涙を拭う。

「あ、ありがとうな。そしてすまん。おまえにやらせるつもりじゃなかった……」

 ごうと部屋中の空気が震えた。すさまじい破裂音にキシワダの意識は一瞬途絶えた。意識が戻るとニジの腹から何かが突き出ている。

「あ?なに?」

 ニジの腹から鋭いガラスの破片が生えている。ニジは目を見開いて、腹部を貫通するガラス片に手をやった。

「火葬!」

 炎をまとった太い腕がニジの体を横殴りにした。ニジの体は本棚にたたきつけられ、無数の本がその上に降りかかる。

「祝いだ!おまえのことは知らんが参列!」

 半壊したガラスケースを背にして炎の巨人が倒れた先生と立ち尽くすキシワダを見下ろしている。炭化したような真っ黒な坊主頭を天井に擦り付けながら巨人はゆっくりと歩いてくる。その足が踏みつけた本が燃えていく。

「先生を燃やそう!この家を燃やそう!おれはそのために目覚めた!おれは炎のミチナガ」

 ミチナガが真っ白な歯を打ち付けて笑うと火花が散り、その体表を這う血管のようなオレンジ色の筋が白熱する。燃えるような暑さにキシワダの頬と首を伝って汗がしたたり落ちた。

「おお先生、ついに冥路か。地獄への道は暗いぞ。祝いの炎がいるだろう」

 ミチナガは落ち着きなく先生の亡骸の側をぐるぐると歩き回る。天井につかえた頭から炭化した皮膚が剥がれ落ち、床を汚していった。

「ニジ、どうしよう……」

 キシワダはフードの奥の水銀色の瞳を怯えにゆがませてニジの姿を探す。キシワダには出会ったばかりのニジを頼るほかはなかった。巨躯の背中を丸めて見わたせば、崩れた本棚の下、本の山の中からニジの白い髪がはみ出ている。キシワダは這いずるようにしてニジの側に行き、本をかき分けてニジの腕を掴んで引っ張り出す。

「ニジ!」

 ニジの赤い目は天井を見つめたまま動かない。ニジの体はあまりに軽かった。

「ひっ……」

 本の下。ニジの腹から下がない。焦げた検査着の下からアルミホイルのような色をした肋骨と半ばからちぎれた背骨がはみ出ている。奇妙なことに血は一滴もこぼれておらず、ただザクロの実のような色のゼリー状の塊がいくつか散っていた。

「ニジももれなく地獄行きだ!そこの木偶も祈れ!おまえもすぐに燃え落ちる」
 
 ミチナガはガチガチと歯を鳴らして笑い、先生の側にひざまずくと両手の平を先生の胸部に押しつけた。ミチナガの心臓のあたりから白銀の光が走り、キシワダは思わず目を固く閉じる。光は一瞬でミチナガの両手の平に集約し、先生の体が内側から爆ぜた。ばちばちとキシワダの顔に骨片がつぶての様にぶち当たる。

「先生!もういない!さあ冥路へいこう。道には連れが必要だ!」

 ミチナガが手を叩いて喜ぶたびに、墨のような体表に炎が波のように広がり、空気が熱をはらみ呼吸をするだけで気管が燃えるように熱くなる。キシワダは涙ぐみながら転げ落ちた銃を拾い、ニジを抱き寄せた。くたりとした上半身だけのニジは動かない。

「ニジ!どうしたらいい……」

 キシワダはニジの体を揺すった。あの小部屋を出てからキシワダはニジの言葉と背中だけを追ってここまできた。だからニジが動かなければもう何も分からない。

「ニジ……」
『はきだせ』 

 声。それはニジの声ではなかった。キシワダはキョロキョロと辺りを見回す。『吐け』それはキシワダの頭の中から聞こえた。

「うえ……」

 キシワダは何度もえずく。皮膚と筋肉の下で内臓が勝手に動いていた。キシワダの体の中で何かが組み変わり、喉の奥から熱を持った何かがせり上がっていく。

「さあ木偶よ。おまえも供物だ!」

 狂い笑いながら先生の肉片を一つ一つ手のひらで潰しまわっていたミチナガの発光する目がキシワダを捉えた。キシワダは水銀色の目を見開く。その白銀の表面に赤い輪が浮かんでいる。

「い、いたい」

 キシワダの視界の中央に瞳と同じく真っ赤な輪が浮かび点滅しはじめた。喉が焼けるように痛い。

「よく燃えろ!先生の冥路を照らせぇ!」

 ミチナガが祈るように眼前で手のひらをあわせると接触部が発光し、すさまじい熱が発生する。ミチナガは灼熱の手のひらをキシワダに向かってのばす。

「うがあああ」

 白熱の手のひらが触れる前にキシワダは自分の体内で起こりつつある変化に悶絶した。半分になったニジの体と拳銃が床に落ちる。かぎ爪のように尖った指で自分の胸をかきむしる。分厚いフェルト地が裂け、ボタンが割れて床で跳ね、タールのような光沢のキシワダの肉体が内側からの光で透ける。
 ひかり。それは刹那にキシワダの頭に浮かんだ言葉だ。開ききったキシワダの喉と口を通って熱量を持った光の矢が飛びたち、ミチナガの片腕と肩を撫でた。

「ぐがあああああ!」

 左肩ごと腕を失ったミチナガが沸騰する体液をまき散らしながら床を転げ回る。床材が溶け出し、散らばった大量の本に火がうつり黒煙が上がる。げほげほと胃液を吐いていたキシワダは怯えに足を震わせながらも、ニジの体と拳銃を拾い上げ、走り出した。ミチナガが苦痛と供に放つ熱波に背中を焼かれそうになりながらも、ぽかりと闇へと開いた扉へ転がり込むように逃げた。
 
 

 
 先生の部屋から黒煙が噴き出しキシワダを追い詰める。ニジを小脇に抱えてキシワダはよろよろと逃げ続けている。

「ど、どこへ……?」

 廊下を走るキシワダのか弱い問いに答える者はいない。等間隔に並ぶ扉、天井の蛍光灯が放つ青白い光。ニジの背中を追ってきただけのキシワダには出口どころか、今どこを走っているかすら分からない。

「ああ!くらい!」

 すべての明かりが一斉に落ちた。キシワダは思わず足を止めた。熱風が頭上をかすめていく。背後から照らすオレンジ色の光がキシワダの影を長く伸ばした。怒り狂う言葉にならない絶叫と何かが爆発する音が迫ってくる。いつの間にかフードが脱げて、汗で濡れた短い黒髪が頭皮に張りついていた。

「たすけて……ニジ!助けて」
「水でもぶっかけろ!」

 キシワダの脇に抱えられたニジが叫んだ。体の破断面からはみ出た背骨をびちびちと振り回し叫ぶ。

「おい、走れ!壁のどこかに消火栓があるはずだ!電源が完全に死ぬ前に探すぞ」
「ニジ!痛い!」

 べちん!とニジは背骨でキシワダの背中を叩く。キシワダはニジを肩の上に抱え直すと拳銃を強く握ったまま走り出した。

「クソ!ミチナガの野郎!足が速え!俺が壁を探すからおまえはとにかく走れ!」
「うん!」

 片腕が欠損した人型の光がどんどんニジとキシワダに迫ってくる。口と目から強い光を放ち、すでに何も見えていないミチナガはぶつかった物を燃えさかる片腕で破壊しながら走る。ニジの白い額に汗が浮かぶ。真っ赤な瞳が暗い廊下に輝く赤い光を探し当てた。

「よし!止まれ」

 ニジはキシワダの肩から身を乗り出す。キシワダはあわててずり落ちていくニジの背骨を掴んだ。ニジは逆さになったまま。赤いランプの下の黒いボタンを強く押した。じりじりりとけたたましいベルの音。キシワダは驚き、うっかりニジを床に落とした。

「ぐわっ!」
「ごめん!」
「俺は丈夫だから気にするな!そこの白い扉を開けて中のホースをだせ。わかるかホース。落ち着け、銃は一回、床に置け」
「うん、うん」

 ニジは肘で這い、キシワダから少し離れて指示を出す。キシワダは少し難儀しながらも扉を開けて、折りたたまれたホースを引き出した。

「ホースの根元のバルブ……赤いまるいやつを思いっきり回せ!まわる方に回せ!それからホースの先っぽの筒の先をミチナガに向けろ!そっからすごい勢いで水が出てくるから絶対に手を離すなよ」
「わかった!……ニジはなんでもしってる」

 ごうごうと吹き付ける熱風の中、ニジを見てキシワダは口をぱかりと開けてうれしげに笑った。

「俺のなかには……いや今はそんな場合じゃねえ!ほらしっかり前見て狙え!」

 黒煙の中でミチナガが燃える涎を垂らしながら残った片腕をでたらめに振っている。飛び散る高熱の体液がキシワダの足下まで飛んできた。キシワダは眉間に皺を寄せて怒り狂うミチナガを睨んだ。

「よし!手のところにあるレバーを引け!外すなよ」
「ぐぅぅ」

 ホースの先から絞られた水の流れが一直線に飛んでいく。猛烈な反力にキシワダはとっさに腰を落として踏ん張った。黒煙を押しのける水蒸気にニジは目を固く閉じる。

「があぁぁぁ!いだい!いだい!ぜんぜい!」

 ミチナガの咆哮。水流に巻かれたミチナガの体の表面が冷えて固まり、内側から生まれ続ける熱に耐えられずひび割れた。ミチナガの命が水蒸気に変換されて外気に散っていく。

「キシワダ!もういい!ふせ!」

 ニジの叫びにキシワダはホースを投げ捨てその場に伏せた。轟音と共に超体積の水蒸気が爆風となってキシワダの頭の上を通り過ぎていった。
 

 
 びしゃびしゃびしゃと暴れるホースから水が流れ続けている。ニジは薄汚れて所々ほつれた検査着をべしゃべしゃにぬらしながら這っている。げほっとむせると口の中からゼリー状の血液の固まりがこぼれた。

「おい!生きてるか?」

 長い手足を伸ばして倒れ伏しているキシワダの背中には爆風で飛ばされてきた砂礫つもっている。ニジは埃まみれのキシワダの肩を揺すった。

「に、にじ……」
「よかった。ゆっくり起き上がってみろ」

 キシワダはニジの言葉通り、時間をかけて体を起こした。

「手足はそろってるか。ちゃんと動くか?」

 キシワダは手の指をゆっくり動かした。腕も指も本数はそろっている、動きも問題は無い。自分の腕の表面を見てキシワダは目を丸くした。体表に負った切り傷や火傷の周りの肉が盛り上がって傷に覆い被さっていく。肉体が目に見える形で再生を始めていた。

「俺ほどじゃないが、おまえもなるべく丈夫に作った。さすがにおまえは半分になったら死ぬから気をつけろ」

 ニジが途中でちぎれた背骨で砂礫まみれの床をコツコツと叩いた。キシワダはさっきまでミチナガが暴れていた廊下の先におびえた目を向ける。そこは暗く静かだ。

「ミチナガは……」
「多分死んだ」
「死……」
「もう追ってこねえってことだ。おい、這うのは結構つらい。悪いが運んでくれ」

 キシワダはうなずくと半分になったニジの体を小脇に抱えた。ニジはぷらんと揺れながら、がれきの隙間に挟まった拳銃を拾い上げた。

「これは何かに使えるかもしれねえ。さあ、さっさとこんなところ出ようぜ。予定が変わっちまったが先生は殺った。あ、出口はあっちだ」

 ニジが指さす方向をキシワダは見た。そこにはまだ暗い廊下が続くばかり。

「自由だぜ俺ら」
「自由?」
「そ、何してもいいってことだ」

 ニジはうれしげに口元をゆがめた。キシワダはぼんやりと考えたが、何もすることがうかばなかった。

「なにすればいい」

 ニジは重たげなまぶたの下の赤い瞳でキシワダを見上げる。せっかく着せた黒いコートはぐっしょりと水を含み、あちこち焦げたり裂けたりして衣服としての姿を失いつつあった。

「まずは着るもん。それから腹に入れるもん」

 ヒヒヒとニジは笑う。

「おまえも俺もひでえ格好だ」

 あたりには湿った暖かい空気が漂う。どこか低い場所に向かって流れ続ける水で足を濡らしながらキシワダは歩き出した。

つづく

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