石川優実『#KuToo 靴から考える本気のフェミニズム』批判と疑問【「クソリプ」編】

1.はじめに

 今回は「クソリプ」をめぐる批判についてです。

2.「クソリプ」の定義

 『#KuToo 靴から考える本気のフェミニズム』は、「フェミニズム運動へクソリプを飛ばす人たちのメンタリティと労働を真剣に考える一冊」である。著者自身が言っているのだから間違いない。

 では「クソリプ」とは何か。著書の中では二つの定義が登場する。

2.1.脚注1(7頁)

クソみたいなリプライ(ツイッターの返信機能を使って、見当はずれな内容や中傷的な言葉を投稿すること)

2.2.編集部による第2章前書き(58頁)

彼女へのリプライや引用リツイート機能による誹謗中傷、#KuTooのハッシュタグをわざわざつけたバッシングツイート――いわゆる“クソリプ”

2.3.「クソリプ」定義の検討

 多くの人が「クソリプ」と聞いて思い浮かべるのは、おそらく脚注で示されている定義であろう。しかし、第2章前書きで「彼女へのリプライや引用リツイート機能による誹謗中傷、#KuTooのハッシュタグをわざわざつけたバッシングツイート」が「クソリプ」であると定義されている以上、該当するものは「クソリプ」とする。

 ただ、第2章前書きで示された定義を用いるにしても問題点がある。

 ・当該ツイートが誹謗中傷若しくはバッシングに当たるのか 

 ・#KuTooのハッシュタグを「わざわざ」つけたのか

 ・著書掲載時に割愛された部分に#KuTooのハッシュタグが含まれていた場合、「クソリプ」とするのか

を検討しなければならないのである。

 それぞれの観点から批判の余地はあるが(そもそも第2章前書きで示された定義では広すぎるという批判も勿論考えられる)、煩雑さを避けるため、今回の検討における「クソリプ」の定義は以下のものと定める。

 「クソリプ」とは、「石川優実氏へのリプライや引用リツイート機能による誹謗中傷、#KuTooのハッシュタグがついているバッシングツイート」である。
 但し、#KuTooのハッシュタグの有無は著書での掲載状況ではなくTwitter上で確認を行うものとし、また、誹謗中傷若しくはバッシングには当たらないという理由で「クソリプ」であることを否定することはない。

 要するに、著書に掲載されているツイートで「石川氏へのリプライ」「石川氏に対する引用リツイート」「#KuTooのハッシュタグがついている」のいずれかの条件を満たしているものは「クソリプ」であるとするということである。

3.引用は「クソリプ」に限定される

 著作権法32条1項は「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」と定めている。

 冒頭でも少し触れたが、『#KuToo 靴から考える本気のフェミニズム』は「クソリプを飛ばす人たちのメンタリティを研究する」本であり(以下も参照のこと)、その目的のためには、「クソリプ」以外を引用する必要はない。

――新刊では、100ページにも渡って実際に石川さんが受けたクソリプを紹介していて、さらに石川さんがそのひとつひとつを分析したうえで解説やコメントを入れているのがとても面白かったです。アカウントごと引用している点が画期的だなと思いました。

石川:クソリプはスクリーンショットに撮って保存しているんですが、本に載せるにあたっては約50種類のクソリプを厳選しました。推敲の時点では、倍の100種類近くはありましたね(笑)。

 公表された著作物は、引用して利用することができるという著作権法第32条を担当編集さんに教えてもらいました。今回の書籍はクソリプを飛ばす人たちのメンタリティを研究するという正当な範囲内で引用しています。最初は相手のアカウント名まで載せるのはどうなんだろうって話にもなったんですけど、引用のルールに則ると出典を明示することが必須なのでアカウント名を入れました。書籍からの引用も、著者を明記しますよね。私としては「責任を持って書き込みしないとこうやって使われることもあるぞ」と示したい気持ちもあって、最終的にはアカウント名も載せました。URLも載せていて、きちんと法に則って引用しているので、もし変に絡まれたとしても問題はありません。

 著作権法から考えないとしても、著書では以下のような記述が登場する。

この章では、石川を攻撃したクソリプをツイッターの中から引っ張り出し、スマホを少し脇に置き、「物言う女」に嫌悪を抱くメンタリティーの危うさを読者とともに考えていきたい。(編集部、59頁)
この本のためにツイッターのアプリから取り出したクソリプ集。よく読んでみると、私が対抗しているのは日本全体の強要という空気なのかもしれない。(163頁)

 ここから、『#KuToo 靴から考える本気のフェミニズム』の「第2章 #KuTooバックラッシュ実録 140字の闘い」で引用するのは「クソリプ」に限られることがはっきりと分かる。

4.「クソリプ」定義に当てはまらないもの

 それにも拘らず、「クソリプ」の定義には当てはまらないものが引用されているのである。以下に示す。

4.1.62頁に掲載されているもの

 このツイートに至る過程も以下に示す。

 石川氏に有利になるように言おうとすれば、そもそもの始まりはal氏による、石川氏に対する引用リツイートである。
 しかし著書で引用しているのはその後のツイートであり、返信先も紗華❁⃘*.゚臨時便氏のみであり、「クソリプ」の定義に該当するものではない。

4.2.70頁に掲載されているもの

 ※掲載時に「靴の写真を変えてましたね 当然でしょう ハイヒールの写真だと、誇大キャンペーンです」割愛(割愛表記あり)

 Twitterカードでは#KuTooのハッシュタグが見えるが、ツイート本文でハッシュタグをつけている訳ではない。また、「from:miyabi39mama #KuToo until:2019-06-24」でTwitter検索を行ったがこのツイートは引っかからなかった(2019年6月20日、2019年6月24日に行われたツイート(#KuTooを含む)は表示されるが、このツイートは表示されない)。

4.3.72頁に掲載されているもの

 ※「#kutoo」という文字列は含まれるが、前にスペースが無いためハッシュタグとして機能していない。

4.4.76頁に掲載されているもの

 ※掲載時に「根本厚労相『パンプス強制、パワハラに当たる場合も』」及びリンク割愛(割愛表記無し)

4.5.84頁上に掲載されているもの

 ※掲載時に「パンプス強制『やめて』 署名活動で訴え 見えぬ差別、声上げて グラビア女優・ライター石川優実さん‐琉球新報‐沖縄の新聞、地域のニュース」及びリンク割愛(割愛表記無し)

4.6.86頁に掲載されているもの

4.7.106頁に掲載されているもの(削除済み)

ハイヒールが嫌だの化粧が嫌だの挙げ句の果てに女性差別だの言う人間は、役所の窓口で金髪髭ボーボーの職員が出てこようと、謝罪に来た下請け企業の社員がジャージ履いてようと、病院の受付が乳見えそうなタンクトップ着て爪伸ばしてても文句言うなよ?そこで程度問題とか言い出したら失笑しかない。

 ※石川氏へのリプライ・引用リツイートではない(スクリーンショットで確認)。

4.8.108頁に掲載されているもの

 リプライ先は以下、石川氏ではない。

4.9.140頁上に掲載されているもの

 ※リプライ先は凍結済み、石川氏ではない。

4.10.144頁上に掲載されているもの

4.11.152頁に掲載されているもの

4.12.160頁上に掲載されているもの

5.「クソリプ」定義の広がり

 なぜこのように「クソリプ」ではないものまで引用され、さらにそれが止められることもなかったのであろうか。これだけの数「クソリプ」ではないツイートが引用されているのである。単なるミスではない。確認不足であることに加え、著者・出版社ともに定義を守る意識が低いことが原因であると考えられる。
 以下ではそのような意識の低さを示す、「クソリプ」定義の拡張が見られる言説を検討する。

5.1.石川氏のツイート(2019年12月1日)

 「わざわざハッシュタグや私のフルネームを使って呟いたものは私は運動そのものへのリプライだと思って引用してますよ。」とあり、「私のフルネームを使って呟いたもの」が追加されている。勝手に定義決めて楽しそうなのは(ry

 なお、この定義に従うと
「4.5.84頁上に掲載されているもの」
「4.10.144頁上に掲載されているもの」
「4.11.152頁に掲載されているもの」
「4.12.160頁上に掲載されているもの」
は「クソリプ」の定義を満たすことになる(但し「4.5.84頁上に掲載されているもの」について、フルネーム「石川優実」が含まれる部分は著書掲載時に割愛されている(割愛表記無し))。

5.2.石川氏のツイート(2019年12月14日)

 第2章でバックラッシュとして扱うツイートについて、「私へ直接的なリプライ、私のフルネーム、#KuToo のハッシュタグをつけて世界に発信した運動へのツイート、#KuToo を報じた記事に対してのツイート全て」と定義(二つめのツイート)。
 第2章前書きで「クソリプをツイッターの中から引っ張り出し」とあったことと併せて考えると、二つ目のツイートで挙げたものが「クソリプ」であるということになる。

 つまり、著書での定義に
 ・「私のフルネーム(=石川優実)」が含まれるツイート
 ・#KuTooを報じた記事に対してのツイート
が追加されたことになる。

 また、#KuTooのハッシュタグについて言えば、著書での定義では「#KuTooのハッシュタグをわざわざつけたバッシングツイート」であったのに対し、このツイートでは「#KuTooのハッシュタグをつけて全世界に発信した運動へのツイート」となっており、わざわざつけること・バッシングであることの要件が無くなっている。

5.3.石川氏のツイート(2019年12月21日)

 検討するのは三つめのツイート。「クソリプ」の定義について話しているわけではないが、「自分のツイートが返信のように見えることに、どの程度の名誉の毀損や侮辱があるのか…疑問です。」というルディ氏のツイートに対する引用リツイートで「私も同じことを思います。」とし、「私からしたら私に直接リプしたものも、ハッシュタグをつけたもの、私のフルネームを入れたもの、#KuToo に関する報道記事に対してのリプなど、どれも差はありません。」と続ける。

5.4.石川氏のツイート(2019年12月24日)

 「『ハッシュタグをわざわざつけたツイートなど』って書いていますから。」
 書いていない。あるのは「#KuTooのハッシュタグをわざわざつけたバッシングツイート」であり、「など」という曖昧な表現は用いられていない。

5.5.石川氏のコメント(Togetter)(2020年2月13日)

編集部の前書きには「リプ、ハッシュタグや石川の名前をわざわざつけたもの」などと書いてあるのですが、それを見てもなぜ私へのリプだと思うんですか?

 「編集部の前書きには『リプ、ハッシュタグや石川の名前をわざわざつけたもの』などと書いてあるのですが」
 そのような記述は存在しない。

5.6.石川氏のツイート(2020年2月28日)

 「『クソリプ』の定義からも外れているツイートが掲載されているのではないか」というツイートに対し「そもそも、クソリプの定義を示す必要が必ずしもありますか?」「だったら重版する時に『彼女へのリプライや引用RT機能による誹謗中傷、#KuToo のタグをわざわざつけたバッシングツイートーー』のあとに『など』って入れてあげますよ。」と「クソリプ」の定義を広げることで解決することを提案、さらに「ここでも『それに限る』なんて一言も書いてないんですけどね。」

 検討する気も失せるツイートだが、まず、「彼女へのリプライや引用RT機能による誹謗中傷、#KuToo のタグをわざわざつけたバッシングツイートーー」のあとに「など」と入れても「彼女へのリプライや引用RT機能による誹謗中傷、#KuToo のタグをわざわざつけたバッシングツイートーーなど」となり、意味が通じない。おそらく「彼女へのリプライや引用RT機能による誹謗中傷、#KuToo のタグをわざわざつけたバッシングツイートなど――いわゆる“クソリプ”」と書きたかったのだろう。

 また、「など」という言葉を入れれば解決すると考えているのだろうか。曖昧な定義で、クソリプを飛ばす人たちのメンタリティを研究することが出来るのか疑問である。そもそも誰が「クソリプを飛ばす人」に当たるのか客観的に判断することが出来なくなるのではないだろうか。

 さらに、クソリプを飛ばす人たちのメンタリティの研究を目的とする本の著者が「クソリプの定義を示す必要が必ずしもありますか?」などと発言しておかしいとは思わないのだろうか。著者ではない私ですら上段落のような懸念を抱いたにも拘らず、である。
 定義が示されないとなると本当にその人がクソリプを飛ばす人であるのか確定出来ない、また、取り上げられた人から「なぜ自分がクソリプを飛ばす人として扱われているのか分からない」「クソリプなどしていない」などの疑問や批判が噴出することは想像に難くない。

 「ここでも『それに限る』なんて一言も書いてないんですけどね。」
 最早何でもありだ。
 それを言うならば著書での定義についても「彼女へのリプライや引用リツイート機能による誹謗中傷、#KuTooのハッシュタグをわざわざつけたバッシングツイート――いわゆる“クソリプ”」としているのみであり、「それに限る」などとは書かれていない。「『など』って入れてあげますよ」と提案するまでもなく、「『それに限る』なんて一言も書いてないんですけどね」と言い続ければいい話である。限られていないのだからどんなツイートでも「クソリプ」であると定義することが可能だ。

5.7.現代書館note(2020年3月2日)

FireShot Capture 133 - 【試し読み】石川優実『#KuToo』|現代書館|note - note.com

FireShot Capture 145 - 【試し読み】石川優実『#KuToo』|現代書館|note - note.com

 「第2章 #KuTooバックラッシュ実録 140字の闘い」で引用されるのは「クソリプ」に限られるため(「3.引用は『クソリプ』に限定される」参照のこと)、一枚目の画像では「#KuToo運動や石川優実さんの活動をバッシングしたり誹謗中傷するツイート」が、二枚目の画像からは「#KuTooの趣旨に賛同していない投稿、石川優実さんを批判する投稿」が「クソリプ」として扱われていることが窺われる。

 著書での定義ではバッシングについて「#KuTooのハッシュタグをわざわざつけたバッシングツイート」としていたが、ここでは#KuTooのハッシュタグについての条件が無くなっている。
 また、「誹謗中傷」「バッシング」に限定されていたものが、単に「#KuTooの趣旨に賛同していない」「石川優実さんを批判する」投稿にまで広げられている。

 さらに、「#KuToo運動や石川優実さんの活動をバッシングしたり誹謗中傷するツイート(いわゆるクソリプ)を引用し、石川さんが紙の上で改めて反論し、考察する内容となっています。」「#KuTooの趣旨に賛同していない投稿、石川優実さんを批判する投稿について批評し考察する章となっております」としているが、著書で「クソリプ」を引用するのは「クソリプを飛ばす人たちのメンタリティを研究する」ためのはずである。
 「改めて反論し、考察する」「批評し考察する」が「クソリプを飛ばす人たちのメンタリティを研究する」と同じ意味を表しているかは疑問である。

6.おわりに

 矛盾する説明やおかしな点についてその事実を指摘するにとどめ、評価・判断は読み手に委ねるとしていましたが、今回は私の考えることも多く書いてしまいました。申し訳ありませんが、割り引いて考えてください。

 おそらく『#KuToo 靴から考える本気のフェミニズム』のセールスポイントである「第2章 #KuTooバックラッシュ実録 140字の闘い」ですが、「クソリプ」の取扱いがあまりに杜撰と言わざるを得ません。
 なぜ「クソリプ」の定義に当てはまらないものを掲載しているのか、なぜそのことに気付かなかった、若しくは気付いた上で強行したのか、第2章を組み立てるにあたって著者と出版社(編集)はどのような方針だったのか、どのような話し合いを行ったのか、チェック体制はどうなっていたのか、リスクが高い企画であることは予測出来ていただろうに、なぜより一層の慎重さをもって進めなかったのか理解に苦しみます。ここまで問題が多いと、リスクが高いことすら理解していなかったのかもしれません。ただでさえ広い「クソリプ」の定義すら満たしていないのに「クソリプ」として掲載されている方々が不憫でなりません。

 もうすでに世の中に出回ってしまっているものはどうしようもありませんが、その後の対応も不誠実だと感じます。なぜ著書に書かれていないことを書かれているかのように話すのでしょうか?「言ってないことを言ったかのように言うな」と言ったのは誰だか知っていますか?

 「定義に当てはまるか当てはまらないか」などということは個人の考えや判断に左右されません。誰が答えても同じ答えになります。言い逃れは出来ないはずです。それなのに新たな定義を持ち出したり、答えにならない答えを繰り返したりしていつまでも言い訳を続けることは信頼を失うことに繋がるだけです。気付いているのでしょうか。そのときにどのような状況に陥っているか、信頼してくれる人が残っているかは分かりませんが、なるべく早く気付くことを願います。もう遅いかもしれませんが。

 出版社見解について・行った問合せについても書く予定です。

 以上です。

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