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おいしかった中華について書いていたつもりがバンクーバーの思い出

自分の舌が肥えているジャンルがあるとしたら、それは中華料理だ。二年四ヶ月ほどバンクーバーに住んでいた頃に、毎月のように家族で中華料理屋に赴いていたからだ。

1997年の香港の英国から中国への返還が近づくと、バンクーバーには大量の人たちが押し寄せたらしい。カナダはもともと移民に優しい国で、中でもバンクーバーはカナダの中で屈指の気候のよさを誇る。札幌と変わらない緯度なのに、西岸を暖流が流れているおかげで冬も東京並の気温なのだ。車で小一時間も走れば立派なスキー場が三つもあり、二時間近く走ればとても立派なスキー場のあるWhistlerというところに辿り着けるわりには、通常の雪はたいしたことなかった(でも冬は雨季なので、何年かに一度特に寒い冬が訪れると、とんでもない雪が降る)。冬に雨の中でも平気で行われるサッカークラブのあとは、僕はしばらく震えていて、かじかむ手ではスパイクの紐もしばらくほどけないほどだったけれど、それは僕が痩せぎすで冷え症体質であることも大きく、おそらく東京でも同じような結果になったろうと思う。

そんなわけでバンクーバーには香港の移民や二世が非常に多かった。僕が通っていた小学校では、台湾出身の家庭も多かった。移民の多さを実感したのはESLの存在だ。English as Second Language、つまり英語を母国語としない子どものためのクラスが現地の小学校にあった。僕はそこに放り込まれ、アルファベットも怪しいところからなんやかんやしてまさに「身体で」英語を学んだのだが、そのクラスのほとんどは中華系の生徒だった。他の母国語話者は一人ずつしかいなかった。韓国、イラン、ウクライナ、日本、他にもいたかなあ。校外のサッカークラブにはインドの子もいたし、弟はユーゴスラビアの子と一番仲がよかった。ESLから一年ちょっと?を経てレギュラークラス(要は「現地」クラス)に移ってからも、中華系のクラスメイトは数人なんてものではなく、数割もしかすると半数くらいが東アジア系だったかもしれない。日本に帰ってきたときに日本人しかいなくて逆カルチャーショックを受けた…というほど現地には染まらなかったが、それだけ移民の多いお国柄であり、特にバンクーバーはそういったお都市柄なのだ。

香港人が大量に渡来するとなれば、香港の料理人も来るのだ。聞いた話では香港からバンクーバーへ渡ったのは富裕層が中心であったという。資産があるほど「返還」に敏感になりそしてアクションも起こしやすいというのは、まだまだリモートワークなんてなかった時代だが、もっともな話だ(Windows95とダイヤル回線のインターネットはあった)。中華料理屋が多かったかどうか、小学生時分の時分にはわからなかったが、とにかく旨かったのはわかる。きっと日本人に比較的合う店というのが日本人ネットワークの中で共有されており、そういった店に親が連れていってくれていたのだろうと思うが、僕の中華料理の認識はそこで築かれた。塩・油・魚介の広東料理をベースとし、おそらくバンクーバーあたりで取れる食材も組み込まれている。文脈を考えると比較的リッチなお店が多かったのかも知れないが、日本の(高級?)中華と比べると全然安い、ようなことを親達が言っていた気がする。いまは国の経済力や通貨の状況で事情が異なるかもしれない。

基本的には全ておいしかったという記憶しかないが、印象に残っているトップ3をあげるならばまずは北京ダックだ。いきなり広東ではないが、店には炙られたダックたちが吊されていた。そして、もちろん北京ダックはそれはそれで美味で、日本に帰ってこうも食べる機会がなくなるものだとは思ってもいなかったのだが、あのダックちゃんの皮とわずかばかりの身しか使わない料理のあとに、しっかりと身がついてくるのだ。僕たちはだいたい炒飯に身を刻んだものを入れてもらっていて、その炒飯も美味だった。フルで味わうダックさん。次に、蟹も印象深い。日本海で取れるタイプの蟹とは異なり、そこまで脚が立派な種別ではなかったように思うが、なんらかの中華っぽい濃いめのソースのかかったそれを黙々と割っては食い、親はミソを含めて堪能し紹興酒などをすすり、レモン水の入ったボウルでベトベトになった指を清めて終わる…という一連の儀式的な流れが異国的だった。多くは夜ご飯としての中華だったが、昼ご飯にいただく中華も実によかった。これが三つ目だ。飲茶(ヤムチャ)というスタイルだ。蒸し器の上にいくつも蒸籠を積んだワゴンが店中を回っており、ワゴンごとに異なる点心を運んでいる。客はほしいものを「それちょうだいっ」と指名していく。すると蒸籠ごと「ほいっ」とテーブルにおいてくれる。バラエティ豊かな点心を、待ち時間無しで食べ進めることのできる素晴らしいシステムなのだ。飲茶というだけに、お茶も常におかわり可能で、ガツガツと食ってはゴクゴクと飲む、リズミカルな食事となる。このスタイルをしっかりと味わえる店も日本には多くない、ということを帰国後に知ることになった。あれは烏龍茶だったのかプーアール茶だったのかジャスミン茶だったのか。店によっても違ったように思うが、おかげで中国茶は好きになった。

とにかく1990年代後半のバンクーバーの中華は拍手喝采ものだったのだ。これをスタンダードとして刻み込まれたのは幸だったのか不幸だったのか。日本で心から旨いと感じる中華にはなかなか出会わなかった(一方で大外れもしないのが中華のいいところである。まずいと感じる中華もほとんどなかった)。

前段が長くなってしまったが、最近出会ったのだ、これは旨いと感じる良質な中華に。日曜のランチに、やや気になっていた中華へ入ってみた。いただいたのは海鮮煎麺、あんかけ焼きそばだ。これが旨かった。やや平たく縮れた麺を中心に、大きめに切られた具材と、優しくしかし海鮮の効いたあん。このハーモニーが素晴らしかった。あんかけ焼きそばは好きで、中華ランチの際の自分の定番だが、基本的に外れない、しかしめったに感動もしないメニューという傲慢な認識があった。そんな油断があったからか、感動してしまった。思いがけずついてきたマンゴープリンもスッキリとしながらも主張を忘れない一品で、最後まで素晴らしいランチだった。千数百円の感動。映画館のコピーみたいになってしまったが、久々に満足感の高い中華体験だった。また行くもんね。

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