「みんなちがってみんないい」の世の中の問題
「個性を大事にしましょう」。これはよく使われる言葉だ。学校教育が集団での教育で、しかもクラスの人数が多いため、個々の成長に合った指導ができないと言われる。
この個性は障害にも拡張され、障害も個性として、障害を持っていても学べる学校教育が必要だともいわれる。いわゆるインクルーシブ教育がそれである。個々の学習の度合いに差があるのは間違いない。問題はその前提で何をするかである。
「みんなちがってみんないい」。こうした主張がよく聞かれるようになった。ときに事実ですらも「あなたの事実と私の事実は違う」と言う人もいる。
そうするとまったくもって交わることはない。いわゆる陰謀論。あなたが知っている事実は彼らにとっては陰謀なのである。
もちろんあなたの人生なのだから、好きに生きたらいい。しかし「みんなちがってみんないい」はあまりにも無責任すぎると思うのだ。
何かの選択を人生においてしなければならない場合。「みんなちがってみんないい」では決められない。そんな中で、最後は自分で決めなければならない。そこで出てくるのが自己責任論。「自分で決めたんだから・・・」というのだ。迷っている人には「みんなちがうんだから、それでいいじゃん」というのに。
このように交わることがない現状に対して、人それぞれはやめようという本も出ている。
結局のところ、合意を形成しようとしないことが多い。最近多くの人と会う機会が多いが、「それでいいじゃん」「やりたいようにやりなよ」という人が多い。それは誰でもいえる言葉だし、無責任も映る。
もちろんすべてにおいて責任を取るべきだとは思わないが、意外と無責任な発言をする人が多いのだ。そこでこの著者は「人それぞれはやめよう」となるのだ。
とかく選択肢が増えている世の中で、どのような選択をすればいいか、迷っている人は多い。真剣に相談してくる人に対しては、その人とともに考えて、ひとつの結論を出すのが必要ではないかなと思う。
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