ぼくの演劇の原風景~なぜ『いちごパンツを撃鉄に』は僕の「心のヤミ」を撃ち抜いたのか?~

どうも、とったんです。

今回は細川トシキの提供でお届けします。
よって、一人称も「ぼく」から「僕」に変更します。


そんな設定は、ない。


・とったんは演劇部に入った

僕が初めて演劇に関わったのは大学生のサークル活動からだ。

厳密にいうと高校の時、中学の友達と演劇部の見学に行った時が最初かも。
「文化祭の出し物で見たけど、結構キツかったぞ」
と姉に言われたことが妙に尾に引いて演劇部の入部を辞退した。
(その時一緒に見学に行ってた友達は演劇部に入った)

その後、なんやかんやで文字通り放送部(部室が放送室)の扉を開き、
まあいろいろあったが、
そのへんは割愛ということで。

過去の武勇伝とか栄光を
だらだら語るようになったら、
それはおっさんの始まりである。
もう十分おっさんかもしれないけどさ。

とにかく、演劇活動を始めたのは大学からである。

・クレイジー兼とったん

大学に入学して、僕は
「なんかクレイジーなことがやりたい!」
という願望を持っていた。

人は誰しも、
クレイジーになりたいと思う時期がある。
ない人もいるかもしれない。

ここでいうクレイジーは、すなわち
「特別な存在」になりたいということだ。
ユニークと言い換えてもいいかもしれない。

自分のことをキチガイだ、変人だ、と殊更に周囲にアピールする人たちは
「他の普通でつまらない奴と違って、変わったことをしている自分は特別なんだぜ!!」
と主張しているのと同義だと思う。

・人、それを青春と呼ぶ

だが、いつかどこかで

自分が特別だと思っていたものがそれほど特殊なものでもないことに気づいたり、

他の人と違うことをしなくても自分が自分らしくあれば十分個性的だと気づいたり、

他の誰とも違うと思っていた自分の行動・思想も結局誰かのものの受け売りでしかなかったことに気づいたり、

自分だけしか経験できなかったと思っていたことも、案外だれもが通過儀礼的に経験していることに気づいたり…

そうしていつしか長い夢から唐突に覚める。
熱が冷めてしまう。

この常軌を逸した、病気じみた狂気じみた「熱」を、人は青春と呼んだりする。

俗に中二病と称されるそれは、多くの奇行を生み出し思い出したくない思い出になる。

大半の人はそれこそ中学二年でその精神状態から卒業するが、ずるずる引きずり続けるものもいる。
僕がそうだ。

・中二病の「心のヤミ」

慢性的に「中二病」状態の人というのは
原点に「心のヤミ」を抱えている。
と僕は考えている。

『ToLOVEる』の金色のヤミのことではない。
どっちかというと『BLACK CAT』のイヴの方が好きだ。それもどうでもいい。

ちょうど最近読み直した『すべてはモテるためである』の著者、二村ヒトシさんの言葉を借りて言うなら、「心の穴」というものに近いやつである。

「心の穴」とは、親との関係で満たされなかった、愛情の欠けている欲している部分のことである。

書き方的に、いわゆる毒親持ちの子の話かな?と思うかもしれないが、これは親の良い悪いに関係なく空けられる穴で、誰しもが空いているらしい。

で、「心のヤミ」の定義に戻るけど、
これはもうちょいトラウマ寄りになる(「心の穴」はトラウマとはまた違うらしい)

小さい頃、特に学校での対人関係とか経験とか、それこそ親との関係から「報われない」気持ちが芽生え、開き直ったのか達観したのか知らないが、
「ああ、この世にはどうしようもない、どうにもならないことがあるんだな」と諦めたもの、
あるいは逆に「なんでどうにもならないんだよ!」と怒りを燃やすもの、
これを「心のヤミ」とする。

このどうしようもない闇のせいで人は病んでしまうんじゃないだろうか。

・闇を払うエネルギー、すなわち創作力

「心のヤミ」を晴らすには、まあ方法がいろいろあると思うけど、それを忘れてしまうくらい楽しいことをしてきれいさっぱり忘れるか、何らかの形にして自分のヤミを認め、受け入れるしかない。

後者は、多くの場合創作にエネルギーが向く気がする。
役者として負のエネルギーを喜怒哀楽に変換できる人もいるかもしれない。

ただそういう演技や創作って、
油性の絵の具みたいにべっとりとした印象があったり、独りよがりになりがちな気もするが、
僕だけだろうか?僕だけかもしれない。

芸術家は「心のヤミ」を浄化するために創作する。
心理学的に言う「昇華」というやつだ。

ヤミを消化するためにヤミの炎を消火して昇華しているのに、今度は作った作品の評価で心を病む。
なんという二律背反、ジレンマ、アンチノミー、パラドックス、自己矛盾。

・「心のヤミ」はエネルギーだ。

長々と「心のヤミ」の説明をしちゃったけど、
要は僕の無尽蔵な原動力の正体は「心のヤミ」だったって話だ。

僕の「心のヤミ」は、
「強いものには逆らえない、逆らうと暴力が待っている」、
「人の機嫌を損ねてはいけない、自分の気持ちなど関係ない」
「従順にしていればなにも悪いことは起きない」
等々…。
他にもあるし、おかしいところがかなりあるが、僕は思い込みで自縄自縛していた。

自縄自縛って、ドMかよ…。いや、ドMの人の心象風景には自分を縛ってほしいという願望があるのかも。

そういうヤミを晴らしたくて(そのときはまだその境地に至ってないので、無意識に)、
僕は演劇部に入ったんだと思う。

・大学の初舞台で半裸になった話

そうして立った初舞台が、「ビーチでナンパしにきた男が海の家の女主人のために海水で塩焼きそばを作る話」である。
これはアイデアは僕が出し(たと記憶している)、演劇部の先輩が書いた脚本だ。

設定のツッコミどころはともかく(破綻しているとしたら提案した僕が悪い、面白かったら先輩の手柄だ)、この劇では童貞という単語が頻繁に出てきた。敵役に「お前の僻みは童貞だからだ!」と叫ぶ。
そんなリピドー全開だった。

とりあえず勢いのある展開で叫びまくる、ある意味僕が求めていた作品かもしれない。
だが、演劇というのはそれほど甘くない。
なにを偉そうに言っているんだ君は。
すみません。

・「演技」って、なんですか?「演じる」ってなんですか?

当時の僕の演技は「とりあえず叫んどけ」みたいなところがあった。
観客に声が届かない、セリフが聞き取れないのがギルティで役の気持ちや感情表現は二の次だった。

声量に関しては剣道や放送部で鍛えられたのもあって、多分問題ない。
ただ、抑揚や緩急の付け方が下手くそなのだ。
これは今でも下手だと思う。

役がどんな人柄かをよく知れば自然と抑揚がつくからと、よく役のプロフィールを書いて部内で発表したが、当時の僕は意味をよくわかってなかった。分かろうともしなかった。

そんな、既存の役に二次創作的な設定をつけて何の意味があるのか。血液型や年齢はともかく、過去のエピソード(役者が考えた、勝手なもの)が演技にどんな影響があるのか。

演技を抑揚や表情、身体表現の技術として捉えていた節がある僕には、そういうことが本気で理解できなかった。
傍目でみると「演技ってなんだろう?役ってなんだろう?」という疑問を抱かずにそれの振りをしていたのかもしれない。
その「振り」が演技だと思ったのかもしれない。

そうして後々「自分は演技ができている」と思い込んでいたことで、「ちゃんと演技ができている」同期や後輩に劣等感を抱くことになるが、それはまた別の話。

・(なんか偉そうに講釈垂れるね、ごめんね)

まあ、自分の演技のアイデンティティ(?)に関することはいろいろ悩みがつきないと思う。
傍から見ても「あ、この人の演技はアニメっぽいな」という人がいたりする。一概に言えないけど声優の演技の物真似とかそういうの。

「アニメっぽい」演技、という言葉は落とし穴があって、その演技法がダメなんじゃなくて、その演技法が演じている役や媒体にあってないというだけのことが多い気がする。

ゴスロリとか派手な大層な服を着ている人が強調された演技をしていたら違和感はそんなにないけど、
普通の服着た現実にいそうなキャラがアニメっぽいしゃべりをしていたら違和感がある。
いや、中にはアニメみたいなしゃべり方する、あるいは素の声が可愛らしい、俗に言うアニメ声な人もいるけど…。

演技論をとやかく言うのは性に合わないのでまとめると、演技は「あ、その役が目の前にいる」と観客に思わせることだと思う。
言い換えると、客の持ってる(推測する)役のイメージと実際の声や身体、動きを一致させる、もしくはそれを踏まえた上で越えることだと思う。

今になってとやかく言っても遅いし、それを現役の子たちに教えようとしても
それは老害だと僕は思う。
理屈だけ説明されても実感が伴わなきゃ納得できないと思うし、そういうのは自分で理解するのが一番だ。

それに、偉そうに垂れた講釈が間違っている可能性がある。だから僕は人に教えることは向いてないと思う。説明が下手だしな。


・演劇の原点はどこにある?

じゃあ、なんでとったんは未だに演劇や放送、果ては演技に対してそう未練がましいの?
うう、痛いところを突かれた。

僕の演劇の未練、それは演技というのが何なのかよく分からないまま終わったのが嫌だったことだ。

僕の認識では、結局演劇部所属中に「ちゃんと演技できた」という実感を得られなかった。
色々ヒントは転がってたし、教えてもらったこと、本を読んで知ったことはたくさんある。
ただ、「自分の頭で考えること」はしなかった。
基本的に受け売りなのだ。

良い演技の定義は人によって異なる(気がする)。
実際にいそうなリアルな演技がよいと思う人。
激しく感情を表現できる演技がよいと思う人。
みてる人の感情を揺さぶられる(!?)演技がよいと思う人。
人それぞれだと思う。

人によって異なる場合、ちゃんと自分の頭で何がよいのか決めておいた方がよい。
決めてある方が他人の演技論を受け入れやすい気はする。
あなたはそういうのが好きで、僕はこういうのが好き。音楽性みたいだ。

ようやく本題に入る。

で、僕が好きな演劇は、大学一回生の時に見た『いちごパンツを撃鉄に』という作品である。

・京都学生演劇祭撮影スタッフ

大学一回生のとき、僕は京都学生演劇祭の撮影スタッフに参加した。

京都学生演劇祭という、京都の大学生の演劇は盛り上がってるよ!こんなコンテストがあるよ!という広報活動の一環として演劇祭に参加してない人も含めた撮影スタッフを募集していた。(そんな意図だっけ?忘れたけど)

これに対し、演劇部の先輩は「これを利用すれば有料の演劇祭の作品を無料で見れるぞ!」と謳い、
まんまと僕は釣られた。
結局、打ち合わせ、会場までの交通費は自腹で払ったので無料じゃないが。
それに僕以外の部員は部費で演劇祭見に行ってたし。僕の苦労は一体…。

まあ、全く無益ではなかったのだけど。
企画の関係で参加劇団にインタビューできたし。
(ただ、一部劇団のインタビューはなぜか公開されず、Twitter上で遺憾の意を表明していた。
スーパーマツモトの皆様、ごめんなさい)

そんな中、立命館大学の演劇サークルの1つ、
西一風(しゃーいっぷー)が京都学生演劇祭に参加していた。

・西一風はヤバい

立命館大学の演劇サークルは3つあり、
月光斜、立命芸術劇場、そして西一風というように団体が分かれている。
それぞれ活動方針や毛色が違う団体である。

個人的印象だがこの中で西一風はずば抜けていた印象がある。京都の大学演劇界隈でも別格だった。

実は演劇祭以前に西一風の劇を見たことがあった。
園子温監督の映画『夢の中へ』をモチーフにした劇だった。なんというか、衝撃的だった。
言葉にできないほどだ。すごい。

その印象を持ったまま、やはり演劇祭でもすごいものが見れるぞと期待して観たのが
『いちごパンツを撃鉄に』だ。

・いちごパンツのあらすじ(なんかいかがわしいな)

もう観たのが六年前なので記憶があやふやだがあらすじを書こう。

スクールカーストの底辺に位置する主人公、紐彦(ひもひこ)は自らが童貞であることでいろいろ拗らせていた。

そんな折、アイドルみたいな子が転校してくる。
その子に惚れた紐彦は気を引こうと計画し実行するが、ある日そのアイドルみたいな子が援助交際をしているところを目撃してしまう。

アイドルみたいな子が援交していたことにショックを受けた紐彦は、その反動で処女厨になってしまう。

そんなある日、紐彦は道端で倒れていた女の子を保護する。彼女は記憶を失っているらしい。
紐彦は彼女を処女と断定し、初体験の相手に定める。

だがその女の子は実はファッションヘルスで働く風俗嬢だったのだ。彼女は働いているファッションヘルスの待遇の悪さ、客の乱暴、いじめ等でボロボロになり逃げ出したのだ。

紐彦の要求をいなし続ける風俗嬢。
だがそうこうしているうちにファッションヘルスの店長に居場所を特定され、連れ戻されることが決まる。

その夜、風俗嬢は紐彦に自分を抱くように迫る。
紐彦は処女にしか興味がないというが、
風俗嬢は自分は素人童貞しか相手してこなかった、だから私は素人処女。素人処女を奪ってよ、と。

こうして激しい一夜を過ごした紐彦と風俗嬢。
連れていかれる時間になり、そのままあっさりと連れていかれる風俗嬢。
すべてが空しく終わる。

だいたいこんな感じ。いろいろすっ飛ばしている部分もあるけど。

なんというかものすごい話である。

・いちごパンツの激情(劇場とかかっている)

この作品は登場人物のモノローグによって展開されている。

基本的に主人公の紐彦が中心で、必要に応じて語るべき物語を持つものが語る。それを逆手にとったギャグもある。ちょくちょくギャグやボケが入る。

BGMはアップテンポなものが多く、スピード感のある展開と見せ場の緩急のバランスが良かった。

全編通して下ネタが多いが、青少年のリピドーって感じがして小気味いい(女性のなかには苦手な人もありそう)。

そしてなにより、役者の熱量である。

特にアイドル的な子の
「じゃあ、お前もここまで堕ちれるのかよ!!」
というセリフはとても印象深かった。

なんというか、僕の求めているものはこれだ、
と思った。

・エピローグ、『ちまつり』に

という訳で、僕は一回生のときに観た
『いちごパンツを撃鉄に』
という作品にすごい影響を受けている。
見事に僕の心の琴線、ヤミを撃ち抜いた。

劇中の激しい一夜のシーンで、
筋肉少女帯の『戦え!何を!?人生を!』が流れていて、そこから筋肉少女帯にハマったりした。
っていうか大槻ケンヂのユニットが筋肉少女帯なのね、と妙に合点がいった。

こういう激しい作品が作りたい!という想いが
後の『ちまつり、わっしょい!』『How about you?(未発表)』につながるのだが、それは別の話だし、似ても似つかない。

更新頻度は低いですが、サポートしていただけると生活が少しばかり潤いますので、更新頻度も上がるでしょう。