物語と歴史

1,開府500周年

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 昨年、開府500周年を迎えた。山梨県甲府市。山梨幕府も甲斐幕府もないのだから当然、幕府ではない。1519年に「甲府」が成立して500年が経ったという。その話がでる少し前に、「勝沼館に行きたい!!」という友人とともに数年ぶりに甲府市を訪れた。甲府城をひとまわり散策し、ほうとうを食した後に甲府駅によって驚いた。なんと、甲府駅北口に像が一つ増えている。誰の像だ。碑銘には、「武田信虎公之像」。建立、寄贈されたのは2018年。2年前のことだった。

 この像だけではない。甲府駅から車で10分ほどのところにある武田神社では武田信虎に関する展示が増えている。これが、衝撃だった。

 ここで「武田信虎」について簡単な説明をしておこうと思う。武田信虎は、日本史の授業で一度は名前が上がるであろう戦国大名、武田信玄の父にあたる。長篠の戦いで敗北した武田勝頼からすると祖父にあたる人物だ。1519年に甲府に館を建立し、「甲府」開府を行った人物である。長らく内戦状態にあった甲斐一国を統一し、弱体化した武田家の影響力を回復。その後今川義元と同盟。織田家や豊臣家が行った近代的な都市計画の先駆けとして甲府を整備し、信玄が他国へ進出する基盤を作ったとも言える人物。それが武田信虎という人物だ。

 ここまで聞いた時、「彼が開府して500周年記念なら、彼が特集されるのは当たり前じゃない?なぜ衝撃的なの?」という話になる。実は、上記した「武田信虎像」はごく最近の研究結果から編み出された人物である。それ以前は全く違う存在だったのだ。以前、「英雄」武田信玄の物語に出てくる一人の敵役だった。

2, 物語としての歴史

 元服した武田晴信は、初陣で敵の城を攻略するなど若くして聡明さを発揮していた。対して父信虎は、戦争に強いことだけが取り柄だった。大量の税を納めさせ民は困窮に喘ぎ、諫めた家臣を理由もなく切り捨てるなど感情的で主君としての器を感じさせなかった。信虎が率いる武田家に憂いを感じた晴信は、同じく憂いを持つ家臣と共に父を国外追放し、武田家国主を継ぐ。
 武田家を継いだ晴信は、継いだのち1年後には、領土拡大を始める。信濃国(長野県)や上野国(群馬県)に侵攻。上田原の戦いや砥石崩れなどの敗北をしながらも、風林火山の旗の下、結束の固い武田軍は信濃国の大半を制圧する。軍事だけではなく信玄堤などの水害対策や武田家の家訓である甲州法度次第などを制定し国の発展に貢献する。国は豊かになり、精強な軍を備えた武田家は、大国として周囲に大きな影響を与えるようになる。武田信玄もまた周囲から「甲斐の虎」と謳われ恐れられる。
 時を同じくして関東の大部分を納めることにった大国北条家、駿河(現静岡県)に本拠地をおき尾張(名古屋県)への侵攻を計画している強国今川家と三国同盟を結んだ信玄は、武田24将と呼ばれる優秀な家臣団たちと共に、越後の龍と謳われ最強と名高い越後の国の上杉謙信との決戦に挑む。。。。

以上が、よく目にする戦国の「英雄」武田信玄のどの物語にも共通するといえるあらすじだ。初めていつ読んだのかは覚えていないが、武田信玄の伝記を読み、大河ドラマ『風林火山』や井上靖の同名小説を読んで文武兼ね備えた「英雄」武田信玄と彼らの家臣団が駆ける物語に胸を熱くさせていた。

この「英雄」であり「名君」である武田信玄の物語において、武田信虎は強欲で傲慢で人の器に欠けている実の息子にすら見限られて追放されるほどの「愚か」で「悪逆無道」であった。物語として解釈すれば名君武田信玄の初期の引き立て役でもある象徴的な「悪」として描かれていた。

幼少期の際に見た物語の武田信玄はまさに「英雄」であった。恥ずかしながら、英雄崇拝の傾向がある自分にとって、武田信玄=物語の「英雄」という図式で憧れており、何の検証もなく、父武田信虎、信玄亡きあとの武田勝頼は信玄に遠く及ばない才器の足りない人物という認識だった。だからこそ、信虎像の建立に驚愕したのだ。

3, 信虎像

ところが、昨年晩秋に出版された『武田信虎-覆される「悪逆非道」説』という本の中で、著者の平山先生はこう問題提起する。

しかし、武田信虎のいったいどこが「悪逆無道」であったのか、と問われれば、その実態はまったく不明というしかない。当時の史料をいくら検索しても、その根拠となるような実態が一向に見えてこないのだ。(平山,2019,p1)

この本で分析されている「武田信虎」像は物語のイメージとは大きく異なる。室町時代の守護大名武田家は求心力が失われ、甲斐国の豪族たちはそれぞれが周辺諸国の大名家と密接な外交関係を築いている土地だった。信玄の祖父信昌の代以降、中央政権の政争に呼応して武田家も内部分裂し、親子での戦い繰り広げていた。

その中で信虎は当主の座をついだ。武田家当主となった時に信虎が背負っていたものは、分裂した武田一族を統率するという使命だけでなく、他大名と連携している甲斐国の豪族を自身の勢力として再吸収することだった。祖父の時代から内部分裂していた国をまとめ、且つ失われた求心力を復活させる必要しなければならなかったのだ。国内の自分の勢力は本来家臣であった豪族たちよりも小さく、周囲の大名はそのほとんどが敵である。信虎の武田家当主としてのスタートは内憂外患という言葉どおりの過酷な状況だった。そして彼はその半生を通して甲斐国を統一し、武田家を上位権力として決定づけた。その、いわば甲斐国(山梨県)統一戦争とそれに呼応して発生した対外戦争を行いながら、同時に中央政府(室町幕府)の政権争いに巻き込まれている状況の中で、自分の拠点として今の甲府市の原点となる甲府の街を整備したのだ。

ここまでの彼の人生を見ると。彼の人生は信玄に比べて過酷であった。信玄期は人材に富み、国が統一され、周辺には同盟国が複数いる状況だった。それに比べると、敵国に内政干渉をされながら、自身よりも強力になっていた旧家臣団を吸収していく道のりはあまりにも過酷だ。その道を歩んだ武田信虎という人は、戦争だけが取り柄の武将ではなかっただろう。では、武田信虎はなぜ追放されたのか。トップであるからの責任を負わされた一面もあったのではないだろうかと言っている。

甲斐国の物価動向を、折れ線グラフかする作業を終え、信虎時代は悲惨なほど、それが高水準で推移していたことを目の当たりにした時、彼が階層の上下に関係なく恨まれていたことの理由が、初めて胸に落ちた気がした。「悪逆無道」という信虎の評価の背景には、間違いなくこの事実が潜んでいるであろう。
 そして、この背景には、天才とそれにより凶作、飢饉、疫病が連年のごとく襲いかかり、さらに国内外の寒暖なき活線が重なっていた。そうしたなかで、甲府開創という難事業を強行したこともまた、背景を知れば知るほど、それがもたらした結果の重さについて感慨を禁じえなかった。これでは、信虎が不評だったのも仕方がないことなのかも知れない。(平山,2019,pp425-426)

武田信玄が実力を十全に発揮し、彼が後世にまで語り継がれる「名将」になり得る基盤を作ったのが父「武田信虎」であった。

このようにして、武田信虎という人はその人物像を見直され始めている。今まで誰もが信玄に注視して、目も向けなかった父・武田信虎の事績を改めて検証再評価する中で多くの人間が抱える信虎像が変化したからこそ、甲府市に信虎像が建てられ、彼の甲府開府の記念が祝われるようになったのだと思う。

歴史を学ぶことに関して

武田信虎だけでなく、近年多くの人物が見直されている。戦国時代なら、武田勝頼、今川氏真、松永久秀、三好長慶。幕末なら河井継之助や鍋島直正。西洋ならルイ16世。「悪人」、「愚か者」、「日和見」、「時代を読み誤った」、、などなど。いずれも何かしらの悪評があった人物たちだった。史料をよみ、彼らの実績を再検証する中で彼らの能力や人間性は再評価され始めている。

これは、「物語」の影響力があまりにも強いということを意識させる。史実や実際の人間評価すら「物語」によって簡単に人物像は曲がっていく。この本を読んだ後、別のある一節を探そうとしてユヴァル・ノア・ハラリのサピエンス全史をさらっとみていたら、近代史に関する章の中にこんな言葉があった。

過去に対する私たちの見方が、直近の数年間の出来事によっていかに歪められやすいかに気づけば、ハッとさせられる(ハラリ,2016,p.213)

ハラリはこれを世界大戦やその他の20世紀の事象について話す際に語っているが、今回の場合にも言えるだろう。物語上の信虎像を作り上げ始める記録は、彼が生存している時代から存在しているからだ。「英雄」武田信玄とそれに付随する「悪人」武田信虎、「愚将」武田勝頼の物語はそれらの記録を元にして江戸前期頃に作られ、近年まで語り継がれている。約400年間、も「物語」の影響力が「史実」よりも強く、検証の動きは少なかった。筆者の中からもこのイメージが完全に取り除かれたかはわからない。この本を読んだ後の今でも、子供の頃から慣れ親しんでいた「英雄」信玄の物語は焼きついてるからだ。

このことは、歴史を学ぶ意味にもつながってくるのではと思う。歴史学の徒ではない人間が分かったように口にするのは生意気だが。SNSをはじめとした多くの媒体で、個人では処理しきれない質の差が激しい大量の情報に毎日浴びせられている現代において、歴史学の史料をベースに徹底的に事象を検証するという方法は、重要なのではないだろうか。と、愚考する次第である。最も、その事象を批判的にみる視点をもっていないと検証もできないが。

武田信虎とその一族(信玄たち以外)に興味を持たれた方はこちらをおすすめ


武川佑(2017)『虎の牙』講談社
同(2019)『落梅の賦』講談社

参考

平山優(2019)『武田信虎 覆される「悪逆無道」説』戎光祥出版
ハラリ,NY(2016)『サピエンス全史』河出書房




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