自己紹介
はじめまして。3人の子どもの母です。
小学校3年生の男の子。幼稚園年中の女の子。1才の男の子。
長男が幼稚園年少の春、2人目を妊娠したけど、間もなく流産しました。
そしてその数か月後に再び妊娠しました。
noteでは、主にこの妊娠と出産について振り返っていこうと思っています。
というのは、この流産後の妊娠と出産は、初期からトラブルが続き、入退院を繰り返し、妊娠25週4日という、妊娠中期と呼ばれる妊娠7カ月に入って間もない時に、緊急帝王切開で出産しました。548グラムでした。
それは思ってもみなかった現実でした。
流産したばかりの私にとって、妊娠が分かった時は本当に嬉しくて、全身で小躍りしました。
友達から「マタニティライフを楽しんでね!」とお祝いの言葉をもらい、大きくなったお腹で、のんびりお散歩や買い物を楽しむ自分を想像していました。
ところが本当に初期から切迫流産などがあり、不安で心配で、でも自分ではどうすることもできない、もどかしくもなれないくらいに無気力な自分を持て余し、悶々と、どうなるか分からない妊娠生活を、手探りで送ることになりました。
お医者さんから指示された、私がすべきことは「安静」と「気楽にいること」。
このどちらも、とても難しかった。
だってお腹には、愛おしくて愛おしくてたまらない、大切な大切な命があるのに。
心配だから何かしたい。お腹の子のために何かしたい。食べ物に気を付けるとか、お百度参りとか、、何か、何かないの?あればする!何かさせて!
そんな気持ち。
安静だからと横になっていると、どんどん不安が押しよせてきました。ついつい携帯を手に取ってネットサーフィン。
同じような境遇の人のSNSに励まされたり、涙したり、余計に不安になったり、終いには目が疲れ、頭が痛くなってきて横になる。
そんなことの繰り返しの毎日でした。
幸せなマタニティライフ。
気づけばそんなところから遥か遠くにいました。
でも今思えば、「安静に」と先生に言われても、どこか自分は大丈夫、大げさに言われていると思っているところがありました。
だから、仕事を休むほどのことがあるのだろうか、職場の人に迷惑かけてると罪悪感をもっていたし、家で横になっていても、寝ているだけではいけないんじゃないかと自分を煽り、ゆっくり動けばいいと家事をしたりしていました。
長男がいるんだし、動かないと仕方ない、動いて当たり前と思っている自分もいました。
そんな状況から一転、帝王切開で出産することになるまでは、本当に急転直下でした。
お腹の赤ちゃんの命だけでなく、自分の命も危ない時があり、人生がぶるぶる揺さぶれれて、生と死のカードがペラペラ風にめくられているような時間でした。
怖いや悲しいといった感情を通り越すくらい、命を無防備にさらけ出してなすすべをなくした時もありました。
出産後も心配は尽きず、というか、あまりに突然に起きた帝王切開での出産を、当時の私はとても受け止められませんでした。
MFICUやNICUの看護師さんや助産師さんの優しさ、NICUに通い、赤ちゃんと接していく中で、少しずつ少しずつ出産を受け止め、目の前の赤ちゃんを見つめ、手を差し出せるようになっていったと思います。
娘は4才になりました。この時のことを、いつか振り返りたい、振り返って残しておきたいと思っていました。
それは、今も手探りで育児に取り組んでいる自分自身を鼓舞するため、そして同じように安静を強いられている方々、低体重で生まれた我が子をもつ皆様、私と同じような気持ちを抱えている方が少なからずおられるのだろうと思います。そのような方の目に留まり、少しでも気持ちを落ち着けてもらえたら、嬉しいなと思っています。
フォローもとても嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。
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