ゆっくり歩く、お腹に手をおいて

二週間、不安でした。
何か障害をもっているのかもしれない。生まれてきてくれるんだろうか。

拭っても拭っても、そんな考えが襲ってきました。

嵐の前の空模様のように、黒い雲が一気に青空を埋め尽くして、日の光を奪い去ったようでした。

これまでの経過は、マガジンをご覧ください。


母や義母、友達、同僚、いろんな人に不安を打ち明けました。
「あなたがたっぷり食べたら大きくなるんじゃない?」

やせているので、そんなふうに言われることも何度となくありました。

自分でもそうなのかなと思って調べたりもしたけど、以前にクリニックの先生に言われたように、私の食事量とは関係ないようでした。むしろカロリーを取りすぎるのはよくないようでした。

誰に相談しても、あまり共感してもらえた感じがありませんでした。
「小さく産んで大きく育てるのがいいって言うしね」
励まして言ってくれる言葉は、私の横を通り過ぎて、不安の塊には届きませんでした。

クリニックの先生が言った「小さい」という言葉は、もっと重大な問題を指摘しているように思えたからです。

ただ素直に私の不安な気持ちを受け止めてもらいたかった。

同僚の一人が、
「私の甥っ子1,000キロ弱で生まれたけど、もう高校生ですごい元気だよ」
と言ってくれました。

すごく驚いて、でもそんなに小さく産まれて大丈夫なんてことがあるんだろうか、障害があったり何か生活に支障があるんじゃないかと疑いました。

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小さく産まれても元気に育っていくということを、私はその時まで知りませんでした。「未熟児」という言葉は知っていました。でも自分から遠い、自分には関係ない、想像力を働かせたこともない、別の世界の話でした。

自分の親戚や兄弟には、そんなに小さく産まれた人はいないし、それはやっぱり自分とは関係のない話だ。

お腹の中の赤ちゃんが小さいとうことと、いわゆる「未熟児」という状態で小さく産まれるということは、全く別の話でつながりませんでした。

そうやって自分を守りました。すでに自分の中の不安の種は有り余るほどあって、新しい不安の種を抱える余裕はありませんでした。

そういうこともあるんだ、自分から離れたところに種をしまいこみました。



表面的には、仕事にも普通に行き、家事に育児に、普段と変わらない生活を送っていました。

どうすることもできない、ただ月日が過ぎて、赤ちゃんの成長を見守るしかない時間でした。



そんな生活の中でも、私はマタニティライフを楽しみたかった。

息子の初めての運動会、秋のお祭り、骨董市、

お腹をかばいながら、主人に荷物を持ってもらい、気遣ってもらいながら、いそいそと出かけていました。

不安の塊はいつも私の中に、重りのようにあったけど、秋の風は薄くて軽くてさわやかで、その風が通り過ぎると、その瞬間は、重い心が、ふわっと浮かび上がるようでした。

そして、春には幼稚園で泣いてばかりだったのに、楽し気に登園する息子。とどまる私に対して、息子の成長はすごく眩しかったです。


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