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ゲームにおけるチュートリアルの位置づけ ローグライク(仮)

今日は見た目の進捗は殆どないが内部的な動作の細かい修正を行った。
今回の修正の結果、装備を獲得したときや敵を倒したとき、階段に乗ったときのギミックが自然に発動するようになった。

説明が難しすぎるし解説をする意味もないので書くことがないのでチュートリアルについて思っていることを書くことにする。

チュートリアルに思うことについて

スマホゲームでよくあるのだが、チュートリアルが只のもぐら叩きになっているものが多い。一連の手順をすべて説明しようとして、ただただ画面のいたる所をタップし続けるだけのもの。しかも、それがゲームの面白さがわかる部分に到達する前にプレイヤーに強いるゲームが多かった。覚えられないし、だるい。いちいち説明しなければならない操作方法はプロダクトデザインとして如何なものか、と日頃思っている。
自分が開発に参加したプロジェクトでは、そのことを強く発言してチームに理解してもらい、チュートリアルのもぐら叩き化を防いできたつもりだ。

理想は説明要らずだ。だけど複雑化したゲームデザインにおいてそれは難しい。だからといって説明しすぎると導入部分でプレイヤーは置いてけぼり状態になり離脱してしまう。

もぐら叩き化はボタンの位置やアイコンなどユーザインタフェースを適切に作ることで防ぐことはできる。説明をしなくてもわかる、というのは専門的には「知覚されたアフォーダンス」と言う。

話は少し逸れるが、僕は Vim というテキストエディタを使っている。このエディタ本当に操作方法が難しく、初心者はお断りだ。しかし熟練者は他のエディタを使うよりも遥かに生産的に使うことができる。初心者は敢えて Vim を使う必要はない。ただしより生産性の高いエディタを求めるように鳴ったとき Vim に手を出せばよいのだ。

話を戻す。そもそもとして、チュートリアルの複雑化はゲームデザインが複雑なことが問題じゃないかと考えている。ゲームデザインが熟練した人間にしか遊べないような複雑さになっていて、チュートリアルのターゲット層とゲームデザインのターゲット層にズレがでているということだ。人生で初めてゲームをプレイする人がこのゲームをプレイするとき、使い方がわからないんじゃないか、という極端で殆ど起こりえない状況を想定してしまっているとも言える。

こういった例は最近は随分減ったように思う。既存のゲームと似たゲームデザインだから説明を減らしているだけ、と思うところは多い。要するに習熟度がはじめから高いプレイヤーをターゲットにチュートリアルを作っているということだ。

このプロジェクトでのチュートリアルの実現方法

チュートリアルのためだけに特殊な実装を行う、というのがとても嫌いだ。なぜなら変更に弱いからだ。ソフトウェア開発における『変更への強さ』は重要な部分だが、チュートリアルの実装をするときは何故かこの点を無視する傾向があるなぁと良く思っていた。

なのでこのプロジェクトではチュートリアルを一般化し、ギミックの組み合わせで実現できるようにした。そもそも操作方法は十字キーだけのシンプルなものだから、そこまで複雑なチュートリアルを作る必要がなかったりするのもあるが。

レベルデザインという言葉がある。これは例えばマップやオブジェクトの配置を決めて難易度などを設計することを指す。パズルゲームを考えてもらえれば良い。最初は簡単な面から始まり、徐々に難しくなっていく。中盤から新しい仕組みが登場したり、組み合わせが複雑になっていく。一般的には難易度はプレイヤーの習熟度とともに上昇していくように設計するべきだ。

このゲームでも全く同じ事が言える。チュートリアルとは最初は優しく単純で、徐々に難しくなっていき新たな要素が増える、ということをすれば良い。そのためのお膳立てとしてギミックが用意されているに過ぎない。

例えばさっき登ってきたはずの最初の階段を降りようとすると怒られる。

アイテムを見つけたとき、拾うことを促したり。

この促しのために、物語に登場するキャラクタ設定を細かく決めて没入感を高める工夫もしている。例えばライオとは誰なのか、ということはゲームプレイ中にわかるようになっているし、口調で気づくように作ろうと思っている。音楽・音響・効果音なども促しのための重要な要素だとも思っている。

物語とチュートリアルは表裏一体なのだ。

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