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セックスワーク・スタディーズ【SWASH編著】

行きの機内で読んでいたのが、先日母校の大学生協で買ってきたこの本。自分の中ではっきりさせておきたいいくつかのテーマの一つにジェンダー論があって、それを切り取るための方法の一つがセックスワークだろうという直感は以前からあったのだ。だが、いまいち実感のつかみにくい切り口でもあり、何か体系的な理解をしておきたいと思っていたところ、この本に出合ったのである。

自分の中のジェンダー論に対するスタンスとしては、すなわち女性は男性と比べて社会的に不利な存在であり、それはその女性の生物学的な女性性に究極には原因があるということである。ただし、この因果関係は直接にはつながっていないようにも見えるために、話をややこしくしているのだろうと思う。今まで女性も男性も、いろんな国籍の人を雇ったが、実務能力の一般的には女性の方が優秀だという印象を強く持っている。その証拠に、実務で私より優秀な女性には数多く会ったことがあるが、とりわけ日本人男性に関して言えば、私より優秀な人には会ったことがないからだ。だから、女性が出世できないのは、劣等である男性側が既得権益を確保したいためにそれを阻んでいるからであり、これはかなり大きな社会的ロスであると思っている。女性を男性が結託して巧妙に社会的に不利な立場に追いやることによって、男性の有意性を保とうとしているのである

さて、書籍の内容に戻ると、この本自体は玉石混交、雑多な文章の寄せ集めであり、完成度が高いとは言えない。しかしだからこそリアルなのである。はっきり言えば、やはりセックスワーク自体が職業として必ずしも技能や学歴、高度な知能を必要としない以上、どうしても従事者の社会的ランクが低いような職種であることは否定できないのである。そういう職種に関して、この本の趣旨である当事者性を出そうと思うと、どうしてもこういう、比較的レベルの低い文章が混じってくることになる。

だが、その中でもというか、そのためにかえってアカデミア出身者のこの分野に関して書かれる文章には切れ味があるように思うのである。例えば私は知らなかったのであるが、フェミニズムの文脈で専業主婦を切ろうとするときのロジックとして、専業主婦は資本家が夫を搾取するための装置である、という考え方があるということは知らなかった。資本主義が女性を搾取する方法としては女工哀史みたいなものを念頭に置いていただけに、これはちょっと新鮮だった。このことが本当だとすると、最近のワンオペ育児とかも資本主義の文脈で語ることができるようになるだろう。

もう一つの重要な議論が、セックスには家庭内で行われ生殖を目的とした「正しいセックス」と家庭外で行われ生殖以外の目的のために行われる「正しくないセックス」とがあって、セックスワーカーとはその「正しくないセックス」を男性が行うための装置であるというものである。正統でないので、影に追いやられ、スティグマの原因になっている、というのである。ここでやや無理があるかなと思ったのは、これも資本主義の要請で、人口の持続的かつ緩やかな増加を求める資本主義が生殖をコントロールしようとして「正統性」をセックスに持ち込んだというもので、いやいやそこに少なくとも意図はないだろうと思うのである。

SWASHはこういうセックスワーカーたちのいわばロビイング団体であって、言っていることは面白いのだが、やっぱりセックスワークを職業選択の自由の文脈で語るのは理想的だがそれを証明するのは難しいように思った。もちろん仮説提案のためにはこういう、いわばエスノグラフィー的なアプローチは有効であろう。しかし、ここからは「多くのセックスワーカーたちは自分の意思でその仕事を選んでいるし、その仕事は誇りを持っても良いものだ」とまでは言い切れないだろう。そういうことを検証するためには統計が必要なのだというのが、科学者としての私の立場である(それが方法論的に難しいのだとしても)。彼女たちに尊厳みたいなものがないと、社会的に必要性があるその職業が卑しいものへと貶められてしまうのは、彼女たちにとっては残念なことだとは思うが、少なくともそこから先に議論を進めるためには、何からの工夫が必要だろう。

ちなみに、私は一般的に女性に対しては同情的だが、そのために社会を変えようと思うことは現実的ではないと思っている。私は、女性、特に日本の女性に必要なのは社会を変えようとすることではなく、環境を変えることだと思っていて、自由に住む場所を選ぶことができる能力を身につけることが幸せになることだと思っている。したがって、セックスワーカーたちには同情的ではありながら、ある意味では残酷でもある。それは多くのセックスワーカーたちが、職業選択の局面において、完全に自由な状態から、真に自分の意思で、セックスワークを、他の仕事の可能性を押し除けてまで選び取ったとは到底思えないからである。SWASHはそういう立場を取っていない。しかしながら、「そういうステレオタイプがセックスワーカーたちの立場の誤解を招く」という表現から滲み出てくるのは「セックスワーカーたちの誇りを守るためには選んだという立場を取らざるを得ないが、それが現実ではないということも痛いほどわかっている」という、悲痛ともいえる叫びである。そういう矛盾を抱えて、セックスワーカー一人一人も、またその集合の一態様としてのSWASHも戦っているのだなと思うと、世界には救いがない部分がまだまだたくさん残っているということが改めて認識され、深い絶望を感じないわけにはいかないのだった。そういう意味では私の思考に深く刺さる、良い本だったと思う。お勧めしておきたい。

#書評 #セックスワーク #SWASH #ジェンダー

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