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豊かさ探し

■人と比べない
 コップに半分の水が入っていたときに、「半分しか入っていない」と思うか「これだけあったら十分だ」と思うか。豊かさを考えるときに、この問いについて深く考えればよいと思います。コップ半分の水で十分な人もいれば、コップいっぱいの水が必要な人もいます。
 どの程度の水の量が必要かは、人によって違います。また、自分にとってコップの水が、何なのか?地位や、名誉、お金だけでなく、家族や友人との関係性、仕事の充実、余暇の充実なども豊かさを感じる瞬間があることでしょう。自分が何を大事にしたいのか、ここでいう水にあたります。そして、水の量はその必要量です。人と比べて、水の量が多いとか少ないとか比べ始めたら、幸せにはなれません。
 自分にとって大事なものとその量を自分自身の中で持つことで、初めて豊かさを目指すことができると思います。

■本に出てきた「豊かさ」を拾ってみた。
 豊かさという言葉は、あいまいな言葉だと思います。幸せともかぶりますし、あえて定義はしませんが、漠然とつかむために最近読んだ本の中から、豊かさという言葉が出てくる文脈を書き出してみました。

書籍「藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?」から
・「まちづくりをやっても売り上げが上がらないなら意味ないでしょ。」という人がいるかと思えば、「お金にはならなかったけど楽しかったね。」という人もいる。往々にして前者はまちづくりに挑戦していない人から聞くことが多く、後者は実際に挑戦した人たちから聞くことが多い。楽しさ、豊かさ、幸せは何によってもたらされるのかと問えば、きっと人それぞれだということになるのだろう。
・お金やモノがたくさん手に入りさえすれば豊かになるし、幸せになると信じられた時代ではなくなったからこそ、人によって違う幸せを実現するための多様な選択肢を生み出しておきたいと思う。仕事のやりがい、自然の豊かさ、信頼できる仲間の数、食べ物の美味しさなど、幸せを生み出すための要素には様々な比重や組み合わせがある。いわばひとつの生態系を形作っているといえるかもしれない。各人が持つ「しあわせの生態系」をうまく組み立て直すことができれば、経済の成長や人口の増減に一喜一憂する必要はなくなるだろう。
書籍「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」から
・知性を介してしか捉えられない世界に暮らしているが故に、ここから見えなくなった広大な世界の中にいる自分が充足感のなさを訴える。それが今日の私たちの状況であろう。そして、だからこそ、この充足感のなさを「心の豊かさへ」などと再び知性の領域で語ってみても、何の解決にもならないだろう。
浄土真宗本願寺派のホームページから
・阿弥陀さまに見まもられながら生きていくことで、心がやわらぎ、豊かな人生を送ることができることでしょう。
・「限りある人生を豊かに、しあわせに生きる道」。そのことを聞くことができるのが、浄土真宗のお寺です。
サラリーマン川柳紹介本から
・「モノをたくさん持つ」ことより、心地よい時間、有意義な体験を積み重ねることが、「豊か」と考えるモノ消費からコト消費への変化。自分の中に蓄積された「満足」が、その人なりの豊かさを形作っていくようです。
書籍「魔法をかける編集」から
・そんな想像力をより豊かにしていくためにも、仲間は必要です。
・特に秋田は、一戸建て率81%、さらに、一人当たり居住室の畳数が、17.23畳と、ともに日本一。これぞ人口減がもたらす豊かさの象徴です。

書籍「感動力」から
・豊かさ(affluence)とは、流れること(afflure)という語源からきています。まさに流れる水のごとく、豊かに心を保ちたい。「感動・感激・感謝」という豊かさをとことん味わうために。
書籍「福吹く暮らし」案内文から
私は常々、「暮らし」をデザインしたいと言ってきました。
人生は、ほぼ日常の連続ですから、日常の暮らしが素敵で豊かだと人生もしかりということになるのではないでしょうか。そして、衣食住どんな物をチョイスするかは、自分の価値観によるもので暮らし方は生き方のデザインでもあると思います。
幸せなことに、私世代は物質的にはかつてないほどの豊かさを経験しました。しかし、いま成熟した社会の中で、真の豊かさとはが問われ始めたと感じています。タイトルになった”福吹く”暮らしの”福”には幸い、幸運、さらに神仏の贈り物という意味があります。”吹く”には気体が動きを起こす意から転じて、ものの内部から勢いが沸き上がって何かを生ずるという意味があります。
一日一日一瞬一瞬を豊かな心持ちで過ごせる、そんな”福吹く”暮らしのヒントをこの本から探っていただけたらと思います。


■私が感じる豊かさ
 自分にとってどんな状態が豊かなのかを気づくために、歴史を振り返ってみるというのはどうでしょうか?日本史や世界史、自分史を振り返り、どの時代に豊かさを感じるか?
 私の場合、平安時代、江戸時代、昭和60年代あたりに豊かさを感じます。”ようよう白くなりゆく山ぎわ”という言葉で始まる枕草子などは、自然を愛でるという感性に心のゆとりを感じます。
 江戸時代については、元禄文化など、暮らしの中から、様々な文化が生まれ、人々が生き生きしていたようなイメージがあります。
 1980年代については、この頃、私は音楽が聞くのが好きで、ミュージシャンたちののびのびとした音楽が生まれていたように思うのです。
 世界史、日本史、自分史を振り返ることで、自分はどんなことに豊かさを感じるかを、見つけることができるのではないでしょうか。私個人的には、遊び心がある時代に、豊かさを感じているように思います。

■答えは自分の中に
 人によって”豊かさ”の捉え方は、様々でしょう。
 主観的なものだから、自分自身が探さないと見つかりません。答えは、用意されているのではなく、自分自身の中にあるのだと思います。
 皆さんも、自分自身にとっての豊かさを探してみてはいかがでしょうか?



●過去の豊かさに関する思考


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