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いったい誰になっている?

アメコミのx-menに、自分の外見をどんな人物にでも変えられるキャラクターがいますね。
別の人になりすまして、スパイのようなことやります。

僕らはまだそんな風に、身体の外見を変えることはできないですが、心ではそんな事がときどき起こっています。

誰になっている?

自分を責めてしまう時、なんとなくやってしまう時、わかっているのにやめられない時。

そんな時できるのは、
「私は誰になっている?」
「私が私でいるなら、これを選ぶ?」

「誰」になっているかわからなくても、
自分自身じゃなくなっていたな、他の誰かになっていたな、と気づけたら。
そこから抜け出す扉は開いています。

模倣と擬態

私たちは、小さい頃から周りの人たちの言動を模倣することで成長してきました。
言葉に出して言われた事だけではなく、
言葉に出していない、心の態度(ものの見方)も察知して、それを取り入れてきました。

そうやって他人を模倣し、擬態する事で周りの社会に適応しようとしてきたのです。

それが自動的に無意識的になっている時、他の選択ができなくなってしまい、物事に対処できなくなってしまうことがあります。

その時、誰になっている? 誰かになろうとしている?

お金を扱っている時、誰になっている?
仕事をやっている時、誰になっている?
あの人と接する時、誰になっている?

そんな問いを投げかけた時、
ある人は、父親になってお金を扱っていたり、
母親のように食べていた。という事に気がつくかもしれません。

もし、自分自身でいたら何が可能だろう?

誰かになっていたり、誰かになろうとしている時には選べなかったものが、
自分自身でいる時、あなたがあなた自身でいる時、可能になります。

「私が、わたし自身でいたら、何が選べる?」
「今まで選んでこなかった、何が可能なんだろう?」

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