悔しさや落ち込みの背景にある、向上心
「こんにちは。午後もがんばりましょう」
noteの投稿画面を立ち上げると、このような表示が。
はい、noteさん。
今日は、あなたが言うことを素直に受け取れそうです。
午後「も」ということで、午前中はどうだったかと言うと…
久々に地元の卓球クラブの練習に参加。
自分より若い、20代の人とのラリーに何とか食らいついてました。
20代とラリーをして感じた悔しさ・落ち込み
自分では「反応」しているつもりでも、足が追いつかずに取れないボールが何度もあり、悔しい思いをしました。
反応しているつもりが取れない自分が情けなくて、一瞬、落ち込みます。
けれど、落ち込みを引きずると次のボールに反応できなくなります。切り替えて次のボールに備えるようにしています。
また、そうやって悔しくなったり、落ち込んだりすることに対して、「そういった感情が湧くことは、『上達したい』という向上心の表れかな?」と捉えられるようにもなりました。
「自分はもう若くないので、若い人と対等には打ち合えない」と感じていたら、悔しくなったり落ち込んだりすることもないですしね。
午後はいそいそとnote
お昼ごはんは、ラリーをしていた20代の若手とご飯に。
お互いの学生時代の話で盛り上がりました。
もちろん、卓球の話でも♪
帰宅後の今は、こうして投稿をがんばっています。
「がんばっている」と書きましたが、無理はしていないです。
直前まで、書くネタには困ってましたが^^;
そうそう。noteへの投稿が、もうすぐで連続80日になります。
連続投稿90日を達成すると、バッジももらえます。
今から愉しみです♪
サポート、本当にありがとうございます。サポートしていただいた金額は、知的サイドハッスルとして取り組んでいる、個人研究の費用に充てさせていただきますね♪