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「だれもおいてきぼりにしない」という一文に寄せて

皆さん、愉しんでますか~?
「愉~more」(「愉しい」をもっと(more))のトシヤです。

「だれもおいてきぼりにしない」という一文が目に留まる

今朝、某市の選挙公報を眺めていたら、次の一文が目に留まり、noteに考えを綴りたくなりました。

だれもおいてきぼりにしない

僕は発達障害当事者(ASD)です。「できること」と「できないこと」の差が激しい凸凹さんです。

自分にあったペースや方法なら「おいてきぼりに遭った」気がしない

そんな僕ですが、「特性上、どうしてもできないこと」の中には、「他の人と同じペースや方法ではできないけど、自分にあったペースや方法ならできるようになること」が結構含まれていると思います。

その場合、他の人と同じペースや方法を強要させられると、「おいてきぼりに遭った」感じがしますが、自分にあったペースや方法でやれるのなら、「おいてきぼりに遭った」とは感じません。

ヨーイドンで一斉にスタートしたら、最初は後方に位置してるし、走り方も他の人とは明らかに違う。しかし、走っている本人には悲壮感や焦燥感はなく、むしろ充実している感すらある。

合理的配慮を一緒に考えるための「建設的な対話」を愉しみたい

僕の走る様子を見て、「おいてきぼりにしない」ように、いろいろと支援しようとしてくれるかもしれませんが、本人は「おいてきぼりに遭った」とは感じていません。

支援しようとして手を差し伸べる前に、もう少し時間を掛けて見届けてくれればとても嬉しいですし、それが僕の望む「合理的配慮」の一つになります。

そして、その「合理的配慮」を一緒に考えるための「建設的な対話」を皆さんと愉しめればいいなと感じてます。

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