不愉快なことには理由がある_PositiveShortStory_190410

『不愉快なことには理由がある』の書評

皆さん、愉しんでますか~♪
「愉~more」(「愉しい」をもっと(more))のトシヤです。
今回の投稿は、書評記事です。

本の紹介

『不愉快なことには理由がある』
橘玲=著/集英社文庫(Kindle)

書評

「デフォルトを変えない」という無意識を利用したオプトアウトで、臓器提供のドナー数の問題を解決する。こうした、ヒトの進化論的なバイアスを利用して社会の厚生を大きく改善するということに希望を持ちました。

また、多様性を尊重する過程で社会の軋轢は確実に増すが、多様性のコストを支払ったとしても、上手に設計された社会や組織はそれをはるかに上回る恩恵を受けることができることにも希望を見出せました。

そして、著者が指摘する、「ブレークスルーを見つけるためには、自分と価値観のちがうひとたちと出会い、彼らと意見を交わし、共にゴールを目指す」過程に、対話がとても重要な役割を果たすのではと感じました。

引用とコメント

以下は書籍からの引用です。

集合知を有効に活かすためには、バイアス( 歪み)のない多様な意見が重要です。その一方で、独裁者が理想を追い求めたり、大衆が感情に流されて〝最終解決〟に飛びつくと、戦争や内乱、虐殺のようなとてつもなくヒドいことが起きることを 20 世紀の歴史は教えてくれます。だとすれば真に必要なのは、たったひとつの正しい主張ではなく、たくさんの風変わりな意見なのです。 
生態系の維持に生物多様性が重要なように、社会の安定にも意見の多様性が不可欠です。19 世紀イギリスの自由主義思想家、ジョン・スチュワート・ミルはこのことに気づいていて、「真理に到達するもっともよい方法は、異なる意見を持つ者の話を聞くことだ」といいました。そればかりか、誰ひとりあなたの意見を批判する者がいない場合は、「自分自身で自分の意見を批判せよ」とまで述べています。 
私たちが経済的に合理的かどうかはさておき、無意識のうちに自分の(進化論的な)利得を最大化する選択をしていることは間違いないからです。
フラタニティは、もとは中世のイングランドで流行した民間の宗教団体(結社)のことでした。都市の成立と人口の流動化によって、キリスト教社会のなかに、教区とは別に、自然発生的に信者たちの互助会が生まれました。彼らは貧しいメンバーを経済的に援助するほか、商売仲間が結びついてギルド(職業別組合)と一体化することもありました。 
フランス革命では、このフラタニティは宗教的な意味を失い、同じ目的を持つ者同士の「連帯」に変わります。「友愛」とは、自由と平等のためにともにたたかう「仲間」のことだったのです。 
近代的な友愛とは、一人ひとり自立した個人が共通の目的のために集まり、ちからを合わせて理想の実現を目指すことです。ルフィと仲間たちの冒険は、フランス革命に起源を持つ正統的な友愛=友情の物語なのです。
現代の進化論は不愉快な学問であると同時に、役に立たない学問であるとも批判されています。現状を説明することはできたとしても、それを変えていくための処方箋を出せるわけではないからです。 進化論が社会問題や私たちの悩みについて述べていることは、次の一文に要約できます。 ひとは幸福になるために生まれてきたけれど、幸福になるように設計されているわけではない。 
日本の政府や官僚は自ら市場を管理・指導しようとしますが、彼らにそのような高い能力があるはずはありません。近代以降、人類にとって最大の災厄は国家でした。私たちは、市場からすこしでも多くの〝奇跡〟を生み出すことを考えるべきです。 
ドイツなどの国々は、日本と同様に、臓器提供を希望するひとがドナーに登録する方式(オプト・イン)を採用しています。それに対してオーストリアなどの国々は、臓器提供をしたくないひとが登録名簿から名前を外す方式(オプト・アウト)です。
オプト・インでもオプト・アウトでも本人の意思が尊重されることは同じです。それにもかかわらず結果に大きなちがいが生じるのは、私たちが無意識のうちに「デフォルトを変えない」という選択をしているからです。  デフォルトが「臓器提供しない」であれば、ドナーになるにはわざわざデータセンターに登録しなければなりません。これはたんに面倒くさいだけでなく、心理的にもかなりの抵抗があります。 
それに対して「臓器提供する」がデフォルトになっていると、ドナーから外れるにはデータセンターに申請して名前を外してもらわなければなりません。これは、別の意味で心理的な障害になります。  ほとんどのひとは、死んでしまえば臓器を摘出されようがそのまま火葬されようが同じことだと(合理的に)思っています。だったら他人の役に立ったほうがいいわけで、ドナーのリストから名前を削るのは、そんな自分が邪悪な(他人のことなどどうでもいい)人間だと認めるような気がするのです。 日本でもドナー登録をオプト・アウトにすれば、デフォルトを変えようとするひとはほとんどいなくなり、臓器提供の問題はたちまちのうちに解決するでしょう。 
オプト・インとオプト・アウトで社会に対する影響に違いがないのであれば、どちらの政策が優れているかは明らかです。すべての社会問題を解決する魔法の鍵はないとしても、ヒトの進化論的なバイアスを利用して社会の厚生を大きく改善することは可能なのです(リチャード・セイラー/キャス・サスティーン『実践 行動経済学―健康、富、幸福への聡明な選択』日経BP社)。 
複雑系の視点から多様性の恩恵を研究したスコット・ペイジは、同じバックグラウンドのひとたちが集まるよりも、価値観の違うひとたちが共通の目標に向かって協働したほうがずっとイノベーションが起こりやすい理由を数学的に証明しました(『「多様な意見」はなぜ正しいのか』日経BP社)。
都市経済学者のリチャード・フロリダは、サンフランシスコやボストンなど、ゲイが集まる都市にハイテク産業が集中する一方、アメリカ南部(バイブルベルト)の同性愛者に不寛容な地域が経済的に停滞していることを発見しました。発展する都市は同性愛者だけでなく、移民やボヘミアン(芸術家)などを寛容に受け入れ、彼らが生み出す多様性に魅かれて教育水準の高いひとびとが集まってきます。だからこそ、質の高い従業員を求めるハイテク産業はリベラルな都市に本拠を構えるのです(『クリエイティブ資本論―新たな経済階級の台頭』ダイヤモンド社)。 
背景の異なるひとびとが集まることで社会の軋轢は確実に増していきます。しかしこうした多様性のコストを支払ったとしても、上手に設計された社会や組織はそれをはるかに上回る恩恵を受けることができるのです。
ブレークスルーを見つけるためには、自分と価値観のちがうひとたちと出会い、彼らと意見を交わし、共にゴールを目指さなければなりません。 
しかしいま、ゲーム理論や行動経済学を活用し、進化によって生じたさまざまな認知上のバイアスを利用することで、ひとびとの行動をより良い方向に誘導(ナッジ)していく新しい政治思想が生まれています。これは「リバタリアン・パターナリズム(おせっかいな自由主義)」と呼ばれていますが、いわば「進化論的リバタリアニズム」の立場です。 
私たちはそうした〝不愉快な出来事〟に耐えつつ、少しずつ制度を変えていくことで、目の前の小さな悲劇や不正義を解決していくしかありません。しかしこれはたんなる悲観論ではなく、すくなくともミクロの(小さな)問題であれば、現代の科学はそれを解決する方法を提示できるところまで進歩した、ということでもあります。9回裏のサヨナラ逆転満塁ホームランを求めるひとは納得できないかもしれませんが、ここにこそ私たちの「希望」があるのです。

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