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「できる」レベルに対しての認識のズレと対処

今朝も昨日と同じように、自責の念に駆られていた。
なんで、自分はできないのだろう。
自分にはできることが少ない。

ようやく自責の念から解放されて、思ったこと。
「できる」という言葉が指す状態は幅が広く、それ故に、「できる」という言葉に対する認識に、ギャップが生じやすいのではないかということだ。

ならば、「できる」ということには段階・レベルというものがあるだろうから、それをはっきりとさせてみようと思い、考察を開始。

できるレベル①

・遂行前の本人の遂行意欲が高い。
・遂行中の集中力が高く維持orより高まる
・遂行後には能力がアップしたと本人は感じ、周囲もそれを認める
・遂行結果も上々
・遂行前・遂行中・遂行後いずれもストレスとは無縁

できるレベル②

・遂行前に心身に負担を感じることはない
・遂行中の動作はそつなく、ギクシャク感はない
・遂行後のストレスや疲労は少ない

できるレベル③

・遂行前に心身にある程度の負担を感じる
・遂行には努力が必要と感じる
・遂行後にある程度のストレスや疲労を感じる

できるレベル④

・遂行前に感じる心身の負担はとても大きい。
・遂行には多大な努力を要する
・遂行後に強いストレスや疲労を感じる

できるレベル①は言わば「フロー状態」であり、今回は割愛。
以下、レベル②~④に関しての認識のズレについて考えてみた。

できるレベルに対しての認識のズレには、以下の2パターンを感じることが多い。

本人と周囲との認識のズレ

周囲の人には「できるように見える」が、本人にとっては、「何とかできている」「しんどい」状態。

この場合、本人のできるレベル②の遂行課題を託したと周囲は感じているが、本人にとって、その遂行課題はできるレベルが③もしくは④の課題なのではないだろうか?

そして、本人ができるレベルが③もしくは④であるということを伝えられずにいれば、認識のズレは埋まらないままになってしまう。

本人の意識と無意識との認識のズレ

本人の意識では、その遂行課題はできるレベルが②であると感じているが、本人の無意識の部分では、できるレベルが③もしくは④の場合。

自分の意識では、できるレベルが②と判断して取り組み始めた。
しかし、無意識では、できるレベルが③もしくは④のものだった。

でも、引き受けた以上はやらなければ。
そんな義務感も遂行中に要する努力感を引き上がる。
遂行後に強いストレスや疲労を感じて、ついにはダウン。

思えば、自分はそんなことをずっと繰り返してきた。

同じことを繰り返さないために

意識と無意識との間に生じる、できるレベルの認識のズレ。
このズレを解消するのは難しい。
だから、自分は同じことを繰り返してきたのかもしれない。

でも、もう繰り返したくない!
ではどうするのか?

考えたのは、遂行後に感じるストレスや疲労へのケアだ。
ストレスや疲労を感じたら、早めに休む。じっくり休む。

もしくは、ストレスや疲労を感じたら、「ああ、今やっていることはできるレベルが③なのかな」というように当初の判断を修正して、取り組み方をゼロから見直すことも解決策だと思う。


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