オットー_ネーベル

【通信講座】 小説「アトモスフィア」 講評

他のあらゆる作品と同じように
この作品も「設定」と「ストーリー」の着想から書きはじめたのだろう。
 
「設定」と「ストーリー」のみで書いている。
 
「プロット」、つまり
構成上の技巧が完全に欠如しているため
効果的に盛り上げることができず
不可解で生硬なレトリックによってドラマチックにしようとしているが
まったく成功していない。
 

(作者より)
物語後半の盗作の事実発覚部分の盛り上がりに欠ける。

語り手「孝彦」のイニシエーション(通過儀礼)を描こうとしているのは分かる。
「盗作の事実発覚」を乗り越えることによって
語り手に劇的な「変化」が生じなくてはならない(この場合の「変化」は「成長」)。

ここから逆算して
事件、登場人物を布置し
もっとも効果的な作品の構成を導きだすのが
「プロット」の作業なのだが
これをせず
「設定」と「ストーリー」のみで書いている
とは
「あったこと、見聞きし、感じ、考えたことをすべて時系列にそって丁寧に書いている(だけ)」
ということを意味している。

「盗作の事実発覚部分の盛り上がり」が必要なら
どのような状況を用意すべきか考える。
特殊な「状況」の構築に作者の想像力を生かすべきで、
登場人物のオーバーなリアクションを
レトリックでむりやり表現してもしかたない。

多かれ少なかれ特殊な状況において
多かれ少なかれ特殊な反応をする人物を描くのが小説です。
一般的な状況では、一般的な反応しか期待できないので
「クラシック音楽バー」をシーンとして選択した時点で
キャラクターの行動、反応は著しく制限されます。
無用の制限のなかで
動きようのないストーリーを動かそうとすると
キャラクターの一貫性をねじまげるしかないので
そうしているのです。



作者が書いているのは、ごく一般的な「状況」だけなので
リアリズムの反応では、ドラマチックにならない。
ごく一般的な「状況」で
芝居がかった、ありえない、まったく正当性のない苦悩、葛藤、逡巡を
「孝彦」に押しつけているから
顔の見えない、死んだ人間になる。
 
終始、「孝彦」という奇妙な、一切の個性がない人物が
日常的生活空間でじたばたしているだけ。
 
「プロット」を考える。
「盗作の事実発覚部分」が最大の効果を生むには
どうすればいいか。
まず、「瀧本」が「裏切る」からには
もっとも裏切りそうにない人間として登場し
正当で論理的な理由で、その予想をくつがえせばいい。
あの出会いでいいのだろうか。
関係性はファンとミュージシャン以外に考えられないだろうか。
盗作しそうにないのに盗作するとすれば、
いかなる(意外な)動機が想定できるだろうか。

「盗作の事実発覚部分の盛り上がり」が重要であるとすれば
冒頭、「智行」との再会からはじめる必然性がない。
「智行」は「発覚」の契機を提供する以外になんら機能していないので
あれだけ丁寧に関係性を表現しようとしていながら
構成上、存在する必要がないことになる。
(冒頭を読めば、ふつうは「孝彦」と「智行」の関係性の変化を書いた作品だと期待する)

「アトモス」というガジェットさえ
いたずらに説明をわずらわしくしているだけで、
「盗作の事実発覚部分」の効果になんの貢献もしていない。
タイトルとしても、作品の本質と関係がない。

このように
表現したい情動、達成すべき目的、実現すべき効果から逆算して
「ストーリー」の要素を選別し
ならべなおしていくのが「プロット」。

(作者より)
瀧本という人物の表現と、瀧本に対する孝彦の思いの説明が足りておらず、読者に移入してもらうための用意が不十分だったと私の中では思っております。

「説明」では
関係性を表現できず、発展もしない。
会話、説得、説明などに物語を展開する力はないと考えたほうがいい。
「状況」「事件」のなかに人物を置くことで、(特殊な)「反応」「変化」を引き出さなければならない(「プロット」の構成)。

(作者より)特に気になる点
・日常的に時間をかけて積み重ねた信頼関係の表現について。

「関係」そのものは表現できない。
これも同じことだが、「関係」がもっとも試される「状況」「事件」を
作者の想像力で生みだすしかない。

(作者より)特に気になる点
・裏切られることの絶望感を表現するためにはどういったアプローチが良かったか。

すでにお分かりだと思う。


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ただ、彼は実家から独立する時から「集中するためのラボが必要になった」と僕に話していたくらいに、彼にとってはれっきとしたラボになっていた。

「くらいに」 非論理的な接続。

彼が引っ越しを考えていた頃に、智行が引っ越し先の候補すら僕に教えてくれなかったことで、僕は怒ってその場から帰ってしまったことがきっかけだった。

「登場人物のオーバーなリアクション」


ちょうどそこから仕事も極端に忙しくなって、気づかないうちに彼への謝罪の気持ちや、期間が開いたことで少し気まずく感じていたことも合わさって、この日まで僕らの関係は止まっていた。

「謝罪の気持ち」 それならすぐに謝罪する。おそらく「罪悪感」の意味だろう。

ただ、智行はそもそも自分から連絡を寄越してくるタイプの人間ではなかったから、もしかしたらあの日怒っていた僕の態度すらも、あまり気にしていなかったのかもしれない。

「から」 非論理的な接続。


かといって、無理矢理に話を変えてみようにも、それはもう空かされてしまったらどうしようもないので、智行の話を聞くほかはなかった。

たしかに「空か(賺)されてしまったらどうしようもない」が
そうでない可能性も同様にある。
なにも言っていないにひとしい無意味な文章。


力を入れれば解けそうな簡単な拘束なのに、いざ解いてしまうと相手を興ざめさせてしまうのではないかと、単純が故に躊躇してしまうような言われぬ不安の気配が待っていた。智行は敢えて緩い縄で僕を動けなくさせている、そんな雰囲気だった。

この箇所を強調すべきいかなる必然性もない。
芝居がかった、ありえない、まったく正当性のない苦悩、葛藤、逡巡を「孝彦」に押しつけている。


各々が会話の区切りに落ち着いた瞬間が最小公倍数的に重なったらしい。

秀逸。


智行は僕を向いて驚いたように目を一度だけ見開いた。僕は冷静さを取り戻して、智行に謝った。

「目を見開く」は回数で驚きの度合いをあらわすだろうか。

酔いが回ってきているのが自分でも分かってきた。それも助けとなって、智行への罪悪感と自己嫌悪が入り混じって、今にも突っ伏して泣きたい気持ちになった。

この箇所を強調すべきいかなる必然性もない。
芝居がかった、ありえない、まったく正当性のない苦悩、葛藤、逡巡を「孝彦」に押しつけている。

この『あるもの』というのが、僕が智行に怒鳴りつけてしまった、本題のことだった。

「登場人物のオーバーなリアクション」


酔っぱらっていたからか、智行がどこを向いて歩いて行ったかも見られずに、気が付いたら自分の布団の中で眠っていた。

「見られずに」ではない
「見ていない」か「忘れた」のだ。


僕も自分の足音すら聞こえない弦の摩擦に対して、邪魔臭さすら覚えてしまった。

この箇所を強調すべきいかなる必然性もない。
不要のレトリック。

他の部屋も含めて、余白が多くて、収納棚には中身が見えないように布が掛かっていた。

「余白が多くて」 秀逸。

このような、自分から説明してもらわなくとも、彼の生活や様相が僕に訴えかけてくるところも、相変わらずの彼らしさだと思い、自然に一人で頷いていた。

一般的に、居住空間はなにかを「訴えかけてくる」。
なんの意味もない記述。

智行は僕のスマートフォンを取り出すように促しながら、自分のスマートフォンの画面も見せてくれた。

語り手は地の文では省略できず
常に「スマートフォン」と言わねばならない特異体質なのだろうか。


※ きりがないので個々の指摘は冒頭のみ。

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(作者より)
無論、私事ではございますが、文学において無学で読書量が圧倒的に足りていないと感じております。
そのため、よりいっそう小説を読み込んでまいりますが、川光様より読んでおくべき小説などをご教示いただけますと幸いです。

このような作風を志向しているなら
江戸川乱歩の短編集あたりから読んではどうだろうか(長編は玉石混交なので注意)。
日本近代文学、そのなかでもある種の私小説のイメージが
作者のぎこちない文体に影響しているのは確実なので
最低でも、明治から戦後くらいまでは目を通しておくと
日本文学というものを客観的にとらえられると思う。
具体的には夏目漱石から遠藤周作あたり。




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