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【通信講座】 小説「コップ座のデネブ」 講評

うまい。
おもしろい。

平易なことばで書かれているが
類型的文学表現におちいることなく
真の芸術的抒情が随所でかがやく。

乾いて赤くひび割れた唇から白い息が漏れた。
ミヅキくんがアルゴ船について語るのに、口もはさまず耳を傾けていた。夜の帳を縫い合わせた帆を、自慢げに張って。闇に溶け込む星色の船体は、夜風に吹かれてしゃらしゃらと流れ星のように空を揺蕩うんだ、と。
 ミヅキくんは望遠鏡を直さなかった。私も一言も喋らなかった。喋る代わりに、月光の国を想像した。まぶたの裏に膨らんでいく海の底の国のイメージは、どこまでも青くて、深くて、水泡がネオンのように光の粒を撒き散らしていた。
 目を開けて、空を見た。思い浮かんだ月光の国と同じように、輝き始めた一番星はネオンのように光の粒を撒き散らしていた。金色、銀色に輝く星々が薄くたなびく雲に重なって、その端々に美しい虹色を滲ませる。



(作者より)
最終選考まで行ける作品にするにはどのようにすべきだったと思うか、川光先生のご意見をお聞きしたいです。この賞の傾向と対策という意味ではなく、一般論としてで大丈夫です。
自分では
・どこにでもありそうな話だった
・文章が下手
などが原因かと考えています。
よろしくお願い申し上げます。

「どこにでもありそうな話」というより
定型を無視しているため、「どこにでもある」プロットとして成立していないのが問題。


『【通信講座】 小説「竹刀と彼女(仮)」 講評』で

キャラクターには問題がないとは言えない。
「月島」は非常に魅力的で
愛すべき主人公になっているが
一方、ヒロイン「梨子」は
アニメ、ゲームにしか存在しない、善意のみの都合のいい女でしかない。
過去も、内面も、行動理念もなく、あるいはきわめてあいまいで、
ひたすら「月島」に献身的な奉仕をする「梨子」は
生きた人間とは思えなかった。
全編通して、漠然と「月島」に興味を持ち
絶対の好意を示しつづける。
「梨子」も「月島」の吃音と同様、なんらかの課題を持ち
「月島」が「梨子」との交歓で成長したように
「梨子」も「月島」によって変化しなければならなかった。

と書いた。

「ミヅキくん」は
アニメ、ゲームにしか存在しない、善意のみの都合のいい男でしかない。
過去も、内面も、行動理念もなく、あるいはきわめてあいまいで、
ひたすら語り手に献身的な奉仕をする「ミヅキくん」は
生きた人間とは思えなかった。
全編通して、漠然と語り手に興味を持ち
絶対の好意を示しつづける。
「ミヅキくん」も語り手と同様、なんらかの課題を持ち
語り手が「ミヅキくん」との交歓で成長したように
「ミヅキくん」も語り手によって変化しなければならなかった。


語り手が「ミヅキくん」の勧誘に応じるのも
きわめて動機が漠然としている。

私は星になど興味はない。だが行くことにした。理由は二つある。一つは私がいまどこの部にも所属していなかったから。そしてもう一つは、私が情けないほど孤独で、教室でも家でもないどこかに自分の居場所を求めていたから、だろう。

これらは「理由」として不十分で
語り手を動かす必然性がない。

抒情ならざる「感傷」に堕した登場人物の内面の勢いで
作者の想定したシーンに移し
強引にストーリーを展開しようとしている。

「事件」の連続で構成すべきプロットを
恣意的な「感情」の操作でごまかしている。


『【通信講座】 小説「ボウキョウ」 質疑応答』で

説得、会話、あるいはメールなどで人間の信念は変わらない。
かならず「行為」「事件」を通して「歩み寄る」。
メール程度で「歩み寄る」ことができたのなら
それは「たいしたコンフリクトではなかった」
したがって「書く必要がないエピソードだった」ことを示す表現になる。

と書いた。
語り手と「ミヅキくん」の関係性で生じる行為は
会話のみであり
「事件」が起きるはずであるシーンの転換点で
かならず「感傷」的になる。

語り手と接触したことで「ミヅキくん」がいじめられるかもしれないし
そうなれば語り手は葛藤するし
葛藤の結果、かならずなにかの行動を決意する。
その他、さまざまな「事件」で
2人の関係性を変化させられるが
たとえば
「忘れものを届けに行く」程度の理由すらなく
語り手は素直に「ミヅキくん」の家を訪問する。
この作品の本質は
関係性の変化がない2人の会話
ということにつきてしまう。

友好的な関係ではじまったからには
100 % どこかでその関係が破綻するモーメントがあると期待しながら読む。
それが、なかった(「善意のみの都合のいい男でしかない」)。

その他、構成について指摘する。
冒頭から語り手の苦悩を説明しないほうがいい。ストーリーを牽引し、読者の興味をひきつける「謎」として利用すべき。
「ハシモトさん」が不要。語り手と「ミヅキくん」の閉じた世界にすべき。その意味で、語り手の家族が登場しないのは効果的。
根本的な問題(いじめ)が解決していない。その「解決」を通して、語り手の変化(成長)が完成したことを表現しなければならない。

シンプルで明確なプロット構成ができれば
さらにいい作品が書けると思う。

「事件」を通して変化する関係性を書くこと。
プロットを「事件」の連続として考え
「関係性そのもの」を書こうとしないこと。

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