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短編戯曲/小説「狭樓迦戦記」/小説「千人の女の子」

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千人の女の子 (41) 終

千人の女の子 (41) 終

 もう読めない。

  よろこびよ うつくしい霊感よ
  死後の楽園の娘よ
  私たちは 情熱に陶酔し 足を踏み入れる
  天の あなたの聖域へ
  あなたの魔法が ふたたび むすびつける
  時の流れが きびしく分裂させたものを
  すべての人々は兄弟となる
  あなたの やわらかいつばさが とどまる場所で

 この場所、六年生のとき、年末、第九を歌ったんでした。もう読めないけど、たぶん、ふりが

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千人の女の子 (40)

千人の女の子 (40)

 石崖に、朝陽が射して
 秋空は美しいかぎり。
 むこうに見える港は、
 蝸牛の角でもあるのか

 町では人々煙管の掃除。
 甍は伸びをし
 空は割れる。
 役人の休み日――どてら姿だ。

 『今度生れたら……』
 海員が唄う。
 『ぎーこたん、ばったりしょ……』
 狸婆々がうたう。

   港の市の秋の日は、
   大人しい発狂。
   私はその日人生に、
   椅子を失くした。

 中也は予言

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千人の女の子 (39)

千人の女の子 (39)

 奥さんが、子供をつれて、図書館に行った。ひとりになった店長さんは、ぶらっと航空公園まで来たんです。材料とか、調理用具とか、リュックにつめて。
 ひたすら、パンをつくりました。
 つくってたそうです、わたしが優子とはじめて会った、そのとき。
 そうなんですよ、そう、なんです。
 だから、あの、晴れたから。
 晴れたから、優子とわたしはいっしょになって、旅に出ることにして、パンは焼けたんです。パンが

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千人の女の子 (38)

千人の女の子 (38)

「それは、なんか、いい気がする」
 だらんとして、力をぬいて、あまえたみたいにわたしによりかかる、優子をひきずって、日陰にすわらせました。わたしも、すわった。
 風が吹いてて、芝生が、きらきらしました。朝の露が光ってた。白昼で、明るくて、こんなによく見えたことはない、ってことを無視すれば、蛍みたいでした。もし、優子が、背中から芝生にたおれて、気持ちよさそうだけど、頭を丘のふもとにむけて、ゆるやかな

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千人の女の子 (37)

千人の女の子 (37)

 あのにおい。そうそう。他人のにおい。あじさいのにおいじゃなくて、玄関から一歩入ったら、もうおばあちゃんのにおいがした。線香みたいな、たばこみたいな、けむたい、かわいた感じ。好きだった。畳にうつぶせになって寝て、おばあちゃんがざぶとんを頭の下にしいてくれて、なんかかけてくれる。風邪のにおい。
 りんごすってくれたな。おばあちゃんは、いつもなにしてたんだろ。
 あの夏休み、おばあちゃんの家にいたのは

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千人の女の子 (36)

千人の女の子 (36)

「実家、大泉学園なの」
「いや」
「え」
「もっと、右側、山手線の、もっと右」
「千葉」
「まあ」
「千葉なんだ」
「じゃないね」
「なんだよ」
「ここより、右」
「まあ、東京ね。二十三区」
「とりあえず、池袋に」
「行くの」
「行く」
「なんで」
「水族館」
「サンシャイン。なんで」
「ずっと思ってたの、わたし。小学校低学年のときから」
 そうだ、あのとき、あいつはヒント出してた。同じ小学校だっ

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千人の女の子 (35)

千人の女の子 (35)

 まあ、頭のてっぺんが熱くなって、ひんやりした枝豆のさや、餃子の皮に守られようってことで、それだけのことだったかもしれないですけど、優子をひっぱる、その磁力みたいな力は強くて、ちょっと足をとめて、わたしのほうをふりかえるのも、ふらついて、弓なりに、折れそうになるくらい胸をそらしてがんばらないと、背中から芝生にたおれてしまったと思います。
 でも、気持ちよさそう。
 頭を丘のふもとにむけて、ゆるやか

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千人の女の子 (34)

千人の女の子 (34)

 って、町内会の掲示板に貼られてたとおり、切り株がふたつ。あとは、途中でやめてて、どれがだめなのか、素人には、ぜんぜん。キノコがはえてるのはありました。優子が完全に寝て、わたしは、二時間くらい、だと思うんですけど、あおむけになって、首の下に手を入れて、横になって、ひざをまげて、のばして、なんだっけ、あの、輾転反側です。夜の散歩に出かけて、桜並木を、高校生の通学路をたどるように、駅までうろうろしまし

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千人の女の子 (33)

千人の女の子 (33)

 靴下に人さし指をさしこんで、もう、ぬいでました。風呂場への次の一歩で、反対のもう片方をぬいで、スカートが落ちて、ドアをひいたときには、全裸でした。首だけで、優子、笑いました。笑うとかわいい、もっと、かわいい。A4のコピー用紙みたいなまっさらなほっぺに、しわがよって、鼻を中心にして顔を集めたみたいに、くしゃくしゃに線を引いて、目も線、影をよりあわせた糸のクモの巣で、よく見たら、眉毛だけはふとかった

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千人の女の子 (32)

千人の女の子 (32)

 印象派を代表する画家エドガー・ドガの傑作。エトワール、または、舞台の踊り子、とも呼ばれる本作は、画家が旅行先のアメリカから帰国した一八七三年から、頻繁に手がけられるようになる踊り子を主題に描かれた作品である。本作で、もっとも目をひきつけるのは、舞台上で軽やかに舞う踊り子であり、舞台照明の人工的な光に下半身から上半身にかけて照らされる踊り子の表現は、入神の筆触を示しており、画家が得意とし、しばしば

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千人の女の子 (31)

千人の女の子 (31)

「本当だ」
「なにが」
「不条理に死ぬ人は、いつでも、どこでも、いる」
「そうだよ」
「でも、特別にかなしんであげていいのか、分かんなくなる。やっぱり、ひとりだからかな。知らない子だし」
「そうだよ」
「いけないことはないと思うけどね」
「そうかな」
「あんたの妹だから、いっしょにかなしんでいいかな」
「いっしょに、っていうか、かなしいんだか、なんだか、自分の気持ちが複雑で、なんか」
「ああ」

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千人の女の子 (30)

千人の女の子 (30)

 妹は天使。
 地上の、わたしたちのふつうの世界をはさんで、上と下、天国と地獄、一〇〇キロくらいはなれたところから、いつも、わたしは見あげるほうで。
 妹のことになると、こんなことばかり考えてた。
 入学式のあと、もう二度と小学校に行けずに、ちょうど一年で死んだ。紫外線をあびたら肌が赤くなって、べろんってトマトみたいにめくれちゃう。家の奥で、カーテンを閉めきって、わたしと妹の部屋だったけど、妹だけ

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千人の女の子 (29)

千人の女の子 (29)

 それがよくなくて、まあ、どうせ治療法はなかったから、遅かれ早かれだったけど、妹は歩けなくなって、次にはしゃべれなくなった。手も動かないし、食べられないし、もう、立てない。呼吸もできなくなった。お風呂に入れなくて、わたしが体をふいてあげたのが、秋のはじめくらい。人間って、なにもかも筋肉だから。人間、動かないと生きていけない、てゆうか、生きてると動いてる、ちがうな、生きてるってことは動いてるってこと

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千人の女の子 (28)

千人の女の子 (28)

「あと、東久留米、ひばりヶ丘、保谷か。ぜんぜん、すれちがわなかった。航空公園より東は、もう、人間、いないのかな」
「新所沢はパルコがあるし、清瀬は小学校とか。東久留米はイオン。あと、保谷は西東京市スポーツセンターっていうのがある」
「くわしいね」
「どうも」
「ひばりヶ丘は」
「知らん。郵便局とか」
「なるほどね」
「地図、見てるだけ」
「大泉学園は」
「ホールがある」
「まあ、ひとりくらい、おっ

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