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【コラム】DQNネームを考える:名前は親が子供にかけた呪いか?

 長野オリンピックは1998年に長野市と長野県内各地の会場を舞台に開催された。一番のハイライトは何といっても金メダルを獲得したスキージャンプの男子団体であろう。実は、私はその現場にいた。当日の会場のあの熱狂の中にいたのである。
 
 その冬のシーズン、日本人のジャンプ選手達は絶好調だった。原田、船木、岡部、斎藤、葛西といった主力選手たちがたびたびワールドカップで勝利し、また表彰台と好成績を重ね、層の厚さから言ってオリンピックの団体戦での勝利はほぼ確実といった雰囲気だった。私は「自国開催のオリンピックで自国選手が金メダルを奪る瞬間を見れるなんて、そうそうない。ジャンプ団体戦、これは確実だ」と意気込み、チケットの販売開始とともにチケットぴあに駆け込んだのを覚えている。そして当日の早朝、いや夜中に埼玉を友人たちと出発し、高速を車で飛ばし、朝の六時ぐらいにジャンプ会場がある白馬に着いた。車をホテルに止めて会場まで徒歩で入ったが、その時からすでに波乱の予感はあった。とにかく天気が荒れていた。猛吹雪と言っていいくらい強い風と雪が降りしきり「こんなんでジャンプなんて出来るのか?」というのが正直なところだった。
 
 ジャンプ会場にはおそらく私と同じように考えたであろう観衆がいっぱいに詰め掛け、熱狂していたが、それを打ち消すほどの強い風がびゅうびゅう吹いている。それでも競技がなんとか始まった。一チーム四人のジャンパーが二本づつ飛んで計八本のジャンプで獲得した合計点で勝負は決まる。観衆は日本チームが一本目からぶっちぎりでリードを予想していたが、そうはいかなかった。悪天候で調子が狂ったのか、いや、それはどの国も同じである。四人がそれぞれ飛んで一本目を終えた時点で日本チームは四位だった。金メダルどころではない。

 猛吹雪はまったく治まっていなかった。一本目終了時にこのまま中止、という協議が審判団でされていたのは会場の私たちは知るよしもない。この間、地元のテストジャンパーたちが果敢にもジャンプを繰り返し競技続行は可能と証明して二本目が開始された、というのは後になってドラマ化された内容であるが、会場の私たちは猛吹雪の中、がたがた震えながら「早く二本目始まれ~」と祈っていることしかできなかった。

 その後の成り行きは皆さんご存知のとおりである。一本目に失敗した原田選手の大ジャンプで順位を大きく挽回し、ラスト船木選手のジャンプも高得点で、一本目の四位から大逆転で日本チームは金メダルに輝いたのであった。会場はもうお祭り騒ぎだった。みんなで何度も何度も万歳三唱をしたのを昨日のことのように覚えている。そして会場を後にしながらしみじみと「ああ、金メダルでよかったな、じゃなきゃただ吹雪に震えに来ただけだったよ」と友人たちと語り合った。選手、関係者の皆さんも大変だったろうが、見ていた我々観客もオリンピック級の厳しい試練を乗り越えたような気分だったのである。では、感動をあなたにも。

 
 と、ここまではただの思い出話だが、タイトルにあるDQNネームと繋がりがないわけではない。当時、私はそれだけ長野オリンピックに夢中になっていた。チケットを確保して会場まで押しかけたのはあと一つ「男子アルペンスラローム」だけだが、テレビ中継もほとんど見ていたし、その日のハイライト番組はばっちり録画していた。そんな中で私は違和感を抱いた瞬間があった。ある競技の中継が終わり画面に選手のリザルトが大写しになった。残念ながら日本人選手はメダルに届かなかったが、出場した日本人選手の結果が画面上に並んだ。それを見た私は何とも言い難いもやもやとした気持ちを抱いたのである。残念ながら当時録画したビデオはもう再生できない。しかしウィキペディアのページを見たら同じようなものがあったのでそれをスクショして貼り付けてみる。種目はクロスカントリースキーの女子15キロだった。下のようなものである。

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 横山寿美子 、横山久美子、青木富美子、佐藤恵美子。なんだろう、この綺麗な並びは。いや違う、どうしてこんな似たような名前の選手が揃ってしまったのだろう。当時はこれをテレビの画面で見て違和感を抱いたものの「ふーん、似たような名前だなあ」ぐらいにしか考えなかった。しかしその後、世間でDQNネームというものが盛んに取り沙汰されるにつけて、私はこの時抱いた変な思いの正体が分かってきた。つまりこの四選手の名前とは「逆DQNネーム」なのではないか、ということだ。

 世間ではDQNネームの逆に当たるものにも名前がついている。「しわしわネーム」と言うのだそうだ。つまりお婆ちゃんにつけられてたような古風な名前ということだろう。しかしこの四選手は学校や職場でたまたま知り合ったような仲ではない。メダルには届かなかったとはいえ日本代表選手である。日本国内の女子クロスカントリースキー選手の中のトップ中のトップの四人なのだ。それがたまたま「◯美子」という共通の名前を持っていた。これはたまたまなのではない。もっと根深いものがあるような気がしてならない。

 ちなみに長野オリンピックの代表となった女子クロスカントリースキー選手は計六人で他の二人は大高友美、古澤緑の二選手であった。さすがに六人が◯美子の法則にはならなかったようだ。上の四選手をもう一度見てみると、横山寿美子 、横山久美子のお二人は姉妹である。とくに横山寿美子選手は長年、日本の女子クロスカントリースキーを牽引しリレハンメル、長野、ソルトレイク、トリノの各オリンピック出場を果たした偉大なアスリートである。この二人は姉妹なので似たような名前がつけられるのはまあ分かる。あとは青木さんと佐藤さんだ。なぜこの二人も◯美子という名前なのだろうか?

「◯美子」が古風だと感じるのは今が令和の現代だからだろう。昔、そう昭和の時代にはかなりポピュラーかつ洒落た響きだったような気がする。しかし私の年代からすでに女の子の名前に「◯◯子」または「◯子」というのは減っていたようだ。女性の名前についてはこのサイトが詳しい。その年に多く名付けられた名前のランキングが記録として残っている。長野オリンピックに出場している年代のランキングは以下のようなものだ。

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 長野オリンピックの20年前に当たる1978年の女子の名前の人気ランキングは一位から順に、陽子、久美子、智子、裕子、恵、理恵 、香織 、愛、真由美、恵子であった。それまで圧倒的に大多数だった「◯子」がだんだんと減りつづけ、「◯美」や「愛」「恵」「彩」といった一文字名に取って代わられる移行期だったことが分かる。それでもJOCの長野オリンピック公式ページで確認したが、出場した全部の女子選手で他に「◯美子」なのは女子アルペンの「柏木久美子」選手だけであった。女子クロスカントリーになぜ「◯美子」が固まったのだろう。

 そもそもクロスカントリースキーとはどんな競技だろう? 一言で言ってしまえば「雪上のマラソン」である。スキーを滑らせるテクニックももちろん重要だが、どちらかと言えば持久力勝負で雪の上を延々と滑り続けるキツい種目だ。最近では一キロ程度の短い距離を走り抜けるスプリント種目も増えたが、長野オリンピック当時はまだなかった。女子でも最短で五キロから、15キロ、30キロと長い距離がメインだった。男子での最長は50キロととんでもない。スキーだから当たり前だが、雪が降り続けるような厳しい天候の中、ひたすら手と足を動かして全身に乳酸が溜まっていくのに耐え、自然の中に作られた起伏に富んだコースを滑り続けていく。鼻水を垂らしながら斜面を登り、滑り降り、平地はただスキーを滑走させる。陸上のマラソンでは推進力を稼ぐのは脚のみだが、クロスカントリースキーでは雪面を突くストックでも推進力を得るため、腕も使う。全身の筋肉を総動員して雪の上を滑り続ける、そんな厳しい競技である。

 日本代表となるようなエリート選手なら子供のころから競技に取り組んできたはずだ。当然、親のサポートも大きかっただろう。とすれば、こう考えてもいい。選手本人もそうだが親にも厳しい種目に取り組む素地があった。いや彼女達の親は持久力系に優れた遺伝子を持っていた。ひたすら忍耐を要する持久力を親から受け継いだわけだが、体力だけではなく競技を続ける屈強な精神力も遺伝した。だから日本代表になれたのではないか? 決してチャラチャラしていない、保守的な両親に育てられた選手であったので名前も古風なものなのではないか? ちなみに長野オリンピックのクロスカントリースキーの日本代表になった男子選手は以下である。

  今井 博幸  蛯澤 克仁  堀米 光男  神津 正昭  長濱 一年

 決して古風で古くさいなんてことはないが、それでもどちらかと言えばお堅い(失礼!)名前に見えなくはない。こんなことを言うのは、同じ長野オリンピックの別の種目、フリースタイルスキーのモーグル代表となった選手たちの名前を見ると、別の共通する傾向があるように思えてならないからだ。女子と男子の選手をまとめてみる。

 里谷 多英  上村 愛子  附田 雄剛  原 大虎  三浦 豪太  坂本 豪大

 クロスカントリースキーとは違う傾向がある、と言い切ってしまうのはそれほど的外れではないだろう。どちらかと言えば先進的、悪く言えばチャラい(本当にご免なさい!)名前ではないだろうか? 特に四人の男子選手だ。雄剛ゆうご、大虎だいご、豪太ごうた、豪大たけひろ、なんて「どうしてあなたたちの名前は似通ってるの?」と声をかけてしまいたいくらいである。モーグルとはどんな競技かといえば、長野オリンピックの六年前のアルベールビルから正式にオリンピック種目となった新競技だ。

 スキー場の急斜面に自然に出来たコブの中を滑り降り、滑走タイムの短さと滑りの上手さを採点し、得点とする。途中に二ヶ所のジャンプ台も設けられていて、ジャンプの高さや正確さも採点される。タイムを縮めようと高速で滑ればターン点が低くなり、正確に綺麗に滑ればターン点は上がるがタイムが遅くなり得点が伸びなくなる。ただタイムだけを競うアルペンや、ジャッジの採点のみで争うフィギュアスケートとも違う、難しい競技である。フリースタイルスキーという分類がされている通りの、競技自体が新しく、新進な気風に満ちている。発祥自体が1960年代のアメリカのピッピームーブメントの影響がある競技のようで、そういう意味でも保守的とはかけ離れている。しかし競技自体がチャラいなんて事は決してない。体力、技術どちらも並外れたものがないと日本代表になんてなれるわけはない。当然だ。

 クロスカントリースキー代表もモーグル代表もほぼ同世代の選手達である。そして雪国の子供たちであることも変わりがない。しかし保守的かつコンサバなクロスカントリースキーに比べ、モーグルは競技自体が新しく、革新性に富んだ指向の競技である。そんなモーグルを始めてみようという子供もそれを応援する親も変革を求めるマインドの持ち主なのは想像にかたくない。ちなみに三浦豪太選手の父は冒険スキーヤーとして名高い三浦雄一郎氏である。だから日本代表にまでなるようなトップのモーグル選手はみなチャラい名前(本当に本当にご免なさい!)だったのではないか、ちょうど「◯美子」と正反対のアスリートとして。

 もし長野オリンピックが昭和30年に行われていたとしたら、選手名簿に名前を連ねるのは和子、幸子、節子、弘子、久子といった選手達だろう。これは昭和10年生まれ子供の名前ランキングトップ5である。そして令和30年に行われるとしたら陽葵 、凛、詩、結菜、結愛といった名前をよく耳にすることになるだろう。女の子の名前は昭和50年くらいまでは「◯子」が圧倒的に多いが、平成を迎えるころにはランキングからほとんどいなくなる。長野オリンピックに出場していたのはその移行期に生まれた女性達がメインなので、◯子系とそれ以外が半々に見える。中でも保守的な家に生まれ、自身も忍耐強く地味でただただ辛い競技に打ち込むのを厭わない選手のトップがクロスカントリースキーの代表になり、新しもの好きな家に生まれ、人と違うことをやってみたい、という指向の選手のトップがモーグル代表になった、とこんな仮説は話を単純にしすぎているような気もするが、当たらずとも遠からずだろう。

 そもそも自分の名前の名付けの瞬間に当の本人はほとんど関われない。当たり前だ、産まれたばかりなのだから。だからその人の名前はその親のセンスである。そして日本では表意文字である漢字を主に使用するので、子供の名前には意味が込められる。愛、正、誠、幸、といった漢字が使われた名前には親の願いが込められている。こんな人になって欲しい、こんな人生を送って欲しいという親の切なる思いが子供の名前に刻まれている。しかしその思いも度が過ぎれば願いというよりただの呪いになって、子供を苦しめる。

 その昔、自分の子供に「悪魔」と名付けようとして市役所に受理されず、裁判で争った親がいた。「変な名前かもしれないが、それを跳ね返す子供に育ってほしい」とかなんとか、記者会見で喋っていたような気がする。子供にしたらいい迷惑だろう。昔からその人の人格を形成するものは「氏か育ちか」なんて言い方があった。親から引き継いだ血統(遺伝)と、親の影響など全くない教育のどちらが、その人をその人たらしめているか、という問題だ。しかしDQNネームを持った子供は「私の親はDQNです」という名札を下げているのと同じだから、会う人会う人にバイアスを与えている。その時点でマイナスからのスタートだ。自分の好みで好き勝手なDQNネームを子供に与えたら、きっと子供の人格形勢に悪影響となる。なら、オーソドックスな名前ならいいのか? フランスでは一昔前までは子供の名前にカソリックの聖人の中から選ばなければならないという選択制だったが、それも極端だろう。ランキングでもある通りに時代ごとの流行り廃りも考慮しなければ、子供に無用な負担をかけるだけになる。難しい問題である。もしかしたら30年後には「星の王子さま」や「絵九州火理場亜」なんて名前が普通になっているかもしれないのだ。

 政府はマイナンバーカードを健康保険証として利用出来るように制度の変更を進めている。いずれは運転免許証としても使えるようになるようである。この動きはもっと進み、住民票や戸籍とも紐付けられるだろう。とすれば、個人が自由に名前を変えることが出来るようになる日はそうそう遠いものではないだろう。個人を番号で管理すれば、借金をしても名前を変えれば知らんぷり、なんてことも出来なくなる。あまりにも好き勝手に変えられれば問題だが、「18歳以上の成人に限り、3年に一度のみ変更化」のように制限をかければ、それほど不都合はないだろう。昔の戦国武将などは名前を好き勝手に変えていた。10代前半で元服を迎えれば幼名から大人の名前に変えるのはもちろん、事あるごとに名前を、名字さえもほいほい変えていた。おそらく彼らには「親から貰った大切な名前」という意識はなかったのだろう。

 21世紀の現在も、それに近い文化が生まれている。SNSなどのアカウント名がそれだ。私が最初に作ったアカウントはヤフーのもので、それはアルファベットに限られていたから「これが俺の名前だ」という意識は少なかった。しかし以後に生まれたツイッターやそしてこのnoteのアカウント名をざっと見渡すと、皆、好きなように自分の名前をつけている。自分が名乗りたい名前で好きなように活動している。もしかしたら明治維新以後の、親からつけてもらった名前を死ぬまで変えてはいけない、という文化の方がおかしかったのかもしれない。

 何のことはない、昔に戻るだけなのだ。
 


 
 

 

 
 



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