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幸せに生きる鍵は「本来の濃縮な心」の探求にあり

こんにちは、TOSHIです。

私が講座でお伝えしている概念の中で、最も重要なものに「本来の濃縮な心」があります。これは、私のオリジナル用語です。

一般には、この「本来の濃縮な心」は、人生の目的、お役目、ミッション、理念、本当にやりたいこと……こういった言葉が近いとは思います。でも、どれもしっくりこないので「本来の濃縮な心」です。

「本来の濃縮な心」とは人生の核

「本来の濃縮な心」は私たちの心の中に、各人に必ずあるものです。これに触れる体験をしたときに大きな情熱を感じ、行動力を生み、パワーを発揮します。まさに、私たち各人に備わっている人生の核と言えるでしょう。

この「本来の濃縮な心」を明確に知ることができれば、人生で迷うことはないでしょう。これにしたがっていれば、全部が心から望むことであり、どれもが真にやりたいことだからです。

ですが、そう簡単な話ではありません。「本来の濃縮な心」は【わからない】のです。正確に言うと、幾重にも厳重かつ執拗に包み隠されていて、本体を知ることができなくなっているからです。

「本来の濃縮な心」を明らかにする旅路

「本来の濃縮な心」を覆っているものは、過去の傷ついた体験だったり、見栄だったり、刷り込まれた常識だったり……生まれてきて以来の経験や体験の中で深く刻まれたバイアス(偏見)であり、思い込みです。これを取り去ることは容易ではありませんし、不可能とも言えます。

逆説的なようですが、人生とは「本来の濃縮な心」を明らかにしていくための旅路のようなものと考えています。少しずつ、「本来の濃縮な心」を覆っているバイアスや思い込みを中和して取り除き、核心に迫っていく過程なのだと思います。

「本来の濃縮な心」そのものをはっきりと明確に知ることは一生できないとしたら、それを探求することに意味はあるのでしょうか? 私はそれでも十分にあると思っています。そのものズバリをはっきりと認識できないとしても、方向性はわかってくるからです。「それではない」ということもわかります。

TOSHIの探求

私自身、「本来の濃縮な心」を探求する中で見えてきたものがあります。

「自分自身の力を最大限に発揮できて、誰かに喜ばれたり役に立ったりできること」

これが本心から望んでいることなんだと気づきました。「本来の濃縮な心」に近いところにあるものだと思っています。

純粋に望んでいたこと

これは、幼い頃、小学生の頃に原体験がありました。私は活発な子ではなく、休み時間に教室で漫画を描いてクラスメートに見せて喜んでもらっていたのを思い出しました。天気の良い日は皆、外へ遊びに出てしまっていたので、雨の日だけ人気者だったのです。

単純に、クラスの皆が自分の周りに集まってくれて、自分が描いた漫画を喜んでくれていたのが、すごく嬉しかったのだと思います。それだけだったはずです。

ところが、そこから歪んでいきます。

歪んでしまった本来の気持ち

勉強ができてテストで良い点を取れると、皆に注目してもらえることを知ってしまいます。ここから勉強に打ち込むようになったのでしょう。注目されて、人気者になりたいから、勉強を頑張った。

それを続けるうちに、テストで上位を取ること、他人を出し抜いて上に立つことが目的になっていったのだと思います。高校3年間を勉強だけに費やし、その結果、京都大学に現役合格できたことでさらに強化されてしまいました。周囲からもちやほやされたので、なおさらです。

その後は、うまくいきません。大学では勉強で早々に落ちこぼれて、就職でも失敗し、社会人になってからもパッとせずに苦しみました。どうやっても周りの人間に勝てなかったのです……。うつ病になって退職する、という悪循環を3回も繰り返してしまいました。

本当は、ただ自分ができることを好きなようにやって、他人に喜んでもらえたら良かったのです。それで満足でしたし、それが私にとっての幸せな状態だったはずです。

それが、大きく歪んでしまっていました。別に、他人を出し抜く必要なんて無かったし、私はそれを望んでいたわけではなかったのです。

「本来の濃縮な心」を探求して豊かになる

私の話はほんの一部です。歪んでしまった価値観や信念は、他にいくつもありましたし、まだまだ出てくるはずです。

もともとの純粋な思いや望みが、人生経験の中で歪められ、まったく間違ったものを目指してしまっている……、そんな悲しいことが、まだまだ気づいていない部分にあるはずです。

これを一つ一つ明らかにして、ほぐしていき、もともとあった本来の純粋な思いや望みに迫るのが、「本来の濃縮な心」を探求することに他ならないと考えています。その先に、「本来の濃縮な心」があるはずだからです。

私はこの探求を通じて、苦しみから一つ解放されました。間違った目標のために努力して、残念な思いをすることも、貴重な人生を無駄にすることも、この件については今後は無くなるのです。

本来持っていた純粋な気持ちや望みを叶えるために、力を尽くすことができます。

「本来の濃縮な心」を探求していくと、その純度は増していき、本当に望んだ人生を歩めるようになることを確信しています。

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