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全部やめると決意したら、海と神社に呼ばれた気がした。

2019年の暮れ、私は神奈川県藤沢市にある「片瀬江ノ島駅」のホームに佇んでいた。

時刻は18時、藍色に冷えた12月の風が私の頬を撫でる。握り締めたスマートフォンが表示するデジタル時計を一瞥して、改札を抜けて海を目指した。

新卒で入社した会社を辞めようと決意したのは、つい先日のことだった。給料に不満があったわけではない。同僚も、後輩も、みんな大切で愛しかった。それでも辞めたい、と思ったのは、ひとえに私の心の弱さによる。

優秀な同期と比べられるのが辛かった。私が雇用形態や立場の違うチームメンバーと仲良くやれずに進捗を出すのに手こずっている間にも、人間関係を築くのが上手い他の子たちは、信頼を勝ち得てどんどん昇進していく。私は仕事上のスキルに関しては問題ないと言われていたが、それを損なって余りあるほどに、人間との交流を行う能力が不足していた。

どこか遠くに行きたかった。
住んでいた家は会社の目の前で、深夜2時ごろまで残業したときでもなんとか帰宅を果たせるという利便性はあったが、会社を辞めると決意した今、その立地はもはや何の価値もないものだった。

誰も知らないところに行きたかった。
「チームの力」「みんなでやれば遠くへ行ける」等々の、「集団で行動できること」を至上の価値とする会社の文化に疲れ果てていた。
ひとりになりたかった。どこにいたって仲間になれない、信頼されない私のことを誰も責めることのない、安寧と孤独を切に望んでいた。

冬の木枯しに連れられて、磯の香りが鼻腔をくすぐる。
江の島にはこれまでほとんど来たことがなかった。土地勘もないのに、スマホをしまって、ただ気の向くままに海岸沿いをひたすら歩いた。
どこにいくかも決めていないのに自然と江の島に来たのは、ただ、なんの理由もなしにふと、「海が見たい」と思ったからだった。ただ、今年の夏は仕事がキツくて海に行けなかったなぁ、と思ったら、それがなんだかものすごく悲しくなって、一年が終わろうというこの年の瀬に、財布とスマホだけ鞄に放り込んで電車に駆け込んだ先が、偶然ここだった。

一歩一歩踏み締めるごとに、足元の砂の柔らかさが私の苦しみを吸い取ってくれる気がした。
そうして10分ほども歩いただろうか。
海岸線の先にある岬、そのてっぺんにいつのまにかたどり着いていた私の目は、大きな石造りの鳥居に引き寄せられた。

「小揺(こゆるぎ)神社」--
境内に掲示されている縁起によれば、「風もないのに揺れる美しい松の木」があったことからの命名だという。
吸い寄せられるように鳥居を潜り、境内にある拝殿に賽銭を備えて手を合わせ、そのまま何の気無しに奥の方へと立ち入った。

絶景がそこにあった。
展望スペースのような空間が奥の方に存在しており、そこから見渡すと、夜の闇に輝きを添える、ライトアップされた江ノ島と、静かにうねる漆黒の海が見える。
この景色を朝にも見たい。ここから、朝日が登る様子を見たい。そのためなら、全部捨てたって構わない。強くそう思った。

握り締めたスマートフォンから、この近隣の物件を取り扱う不動産屋についての検索をかけた。相談や内見の予定をいつ入れようかと目星をつけて、一息ついて頭上を見上げたら、真珠のような星明かりが静かにこちらを見つめていた。

--もしかして呼んでくれたのかなあ。

偶然きた江ノ島で、偶然見つけた神社に惚れ込んで、こんなにもあっさりと引越しの手続きを進めてしまっている。
あまりにも無駄がなく、スムーズにことが運ぶので、そんなふうに思ってしまった。

もしも、呼んでもらえているのなら。
喜んでそれに応えたい。
もう仕事も、住まいも、何もかも置いていこう。
今はただ、この神社と海のそばで風に吹かれながら生きてみたい。

駅のホームで胸につかえていたやるせなさ、悔しさは、いつのまにか溶けていた。
気持ちはとても、晴れ晴れとしていた。


***

実際そんな感じで江の島に引っ越して、運命の出会いを果たした犬と一緒に暮らし始め、直後にコロナの影響で遠出ができなくなったのをいいことに毎日海辺を犬とお散歩する……という最高な生活を送ったので実際呼んでもらえてたんだと思います。最高の暮らしでした。江の島大好き。

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人間が幸福に生きるとか、成長するって一体どういう事なんだろう? と毎日考えて暮らしています。駆け出しの社会人2年目ですが、駆け出しなりに頑張っています。