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わたしの東大受験物語

はじめに


 はじめまして!東進東大特進コーススタッフで、東京大学理科二類の吉岡恒陽です。愛媛県の一番東の端っこの市に生まれ(ほぼ香川)、そのまま地元の中学・高校に進学しました。私が東大に合格し、上京するまでをここに残していこうと思います。特に地方から東京に憧れているあなた!ぜひ見て行ってあげてくださいっっ

あこがれ


 中学生、もしかするとそれよりもっと小さいころから、大学進学と同時に東京へ出るんだと思い込んでいました。いとこが大学進学で上京したことも影響しているのかもしれませんが、ずっとずっと東京に憧れがあったのです。だから高校に入学して初めて志望校をいくつか書いたとき、全て関東圏の大学で埋め尽くしたのを覚えています。この時はまだ東大なんて恐れ多すぎて思い浮かびもしませんでしたが・・・

きっかけ


 勉強が嫌いでした。できるだけ楽をして、手が届く範囲の関東圏の大学に行けたらいいや、なんて思いながら地元の高校に入学しました。コロナによって青春が奪われ消えゆく、当時の高1らしい日々を過ごしていく中で、私の人生を180°以上変えた出来事がありました。それは東大志望の高校生が集うとあるオンライン体験授業です。高校の先生に勧められ、結果的に親にねじ込まれたのです。当時は東大志望ではありませんでしたが、最大限に東大志望っぽく見えるように何を言っているか分からなくても賢げな表情でうなずきまくることを意識していました。
そこで私が見たものは、他の同年代の人たちとの圧倒的な差でした。学力や授業進度の差はもちろん、受験とそれからの未来のためにこれまでの人生を通して勉強に一生懸命になってきたその姿勢の差、です。自分は何をやっているのだろう、このまま受験をして大学に入って、それはこの人たちのように胸を張れる人生なのだろうか、と感じたのです。このままではだめだ、どこか塾でも探して本気になりたい、なるべきだ!と思ったのは私だけではなく、実はこの体験授業には保護者会もついており、何かに触発された母親が私の知らない間に東進に突撃し、なんと「うちの子を東大に入れてください!」と、体験講座の申込をしてきたのです。驚きは大きかったものの、その時の勉強へのモチベと、東大進学という最強の上京の口実を手に入れたいということで思惑が一致し、東大志望となったのです。

さきどり


まずは先取り学習から始めました。高2の一学期はこれと英語の基礎固め(「今井宏の英語C組・基礎力完成教室」を活用)に注力しました。しかし復習をほとんどせず、また学んだ内容を忘れてしまったという自己嫌悪から目を背けたかったこともあり、数ⅡBや物理は一度受けた講座のテキストが再び開かれることはありませんでした。私はこの過ちを誰にも繰り返してほしくありません。よってみなさんには、

①     先取り講座を受ける
②     問題集を、テキストを見て講座の復習をしながら一周
③     学校の授業で最後の復習

これを徹底していただきたいです。数Ⅲの先取りはこれを実施し成功しました。

かいかく


 高2の夏休み初日に部活を引退しました。高2の一学期は部活もある中無理やり先取りの講座を詰め込み、睡眠時間が消えていき、結局非効率的で効果の薄い勉強をしてしまいました。そこで勉強時間の確保のために退部という苦渋の決断を下しました。部活を最後まで続けて合格した人もかっこいいけれど、勉強一筋でひたすら何かを我慢しながらやってきたみなさんもかっこいいですよ。
 高2の夏休みは現代文と古文を固めました。私は長い受験人生の中でもこの夏の勉強が鍵を握っていたと感じています。高3になると本当に国語の勉強に費やせる時間は少なくなるので高2の内に固めておくのがベストです。またそれだけでなく、文章の論理構造の把握に着眼した林修先生の現代文の授業は、現代文の問題を解くためだけでなく、古文や漢文、それから数学の問題を論理的に考える上でも役に立ちました。林先生の授業を受けると論理的で賢い人間になれますよ!

ていたい


 しかし勉強は順調には進みませんでした。化学や物理の勉強は想像以上に大変で計画通りに進まず、夏休みに過去問5年分の予定が一年分未満(英語国語のみ)しか手を付けられなかったのです。正直なところ最後までこの遅れを取り戻すことはできず、圧倒的な演習不足のまま本番に臨むことになります。それでも合格できたのは、日ごろから本質をつかむ勉強を心がけていたからだと思います。数学も理科も、基本知識の本質的理解に努めることは勿論、問題を解くとき・解答を見て復習するときは論理展開を意識し、なぜこのような発想になるのだろうかということを論理的に考えるようにし、そのジャンルの問題に普遍的に使うべき考え方を見つけることを意識していました。そのため演習不足でも問題を解くことができたのだと思います。でも演習量は多い方がいいので学習が停滞しないように計画は正しく立てましょう。
 それから中高一貫組に追いつくことは最初からあきらめていました。合格のための実力が完成する時期は彼らより遅かったとしても入試までに完成すればよいわけですから、入試は人と人との戦いではあるけれど、あえてそこを見ずに自分のペースで自分自身と戦いました。

あきらめ


 東大型の模試の判定は良くてC、普段はD、Eで、自分が東大になんか合格するはずがない、自分が東大なんか目指してよいのだろうか、と常に悩んでいました。自分に自信がなかったからほとんどの人に東大志望だということは最後まで隠し通しました。何度も阪大やその他旧帝に志望変更しても良いのではないかと考えたことも、家族で話し合ったこともあります。しかしそのたびに自分が東大を目指したのは、東大を目指して勉強することに意味があるから、そしてどうしても上京したかったからだと思い出していました。他の旧帝を目指して勉強しても上京できないから本末転倒なのです。このような考えで最後まで東大志望を貫き、共テまで勉強しました。

ひとりで


 共テの結果は悪くはなく、東京大学への出願も完了して一安心していたところ、2月の頭、最悪の事態が発生しました。家族が新型コロナウイルスに罹患したのです。東進に通い詰めておりあまり家族との接触のなかった私はホテルに受験出発二日前まで一人隔離されました。そこで待っていたのは、受験前なのに家族と会えないという不安と、夢に見た一人暮らしでした。新しくできたばかりのホテルだったこともあり、きれいでちょっとおしゃれなテーブルに向かって、かわいらしいカップに紅茶を注ぎながら、わざわざ新調したパステルカラーのマーカーとルーズリーフを横目に優雅に過去問を開く、といったインスタの無駄におしゃれな勉強垢みたいな生活ができました。今日の晩御飯はどこに食べに行こうかなと考える時間が幸せでした。ただやっぱり最後に家に帰った時には大きなぬくもりを感じました。

ほんばん


 各教科を終えるたびに不合格の確信が強くなり、二日目は受験後の答案再現が楽になるようにしたいと、とてつもなく静かな待ち時間に自分の解答を思い出しながら問題用紙に書き写す私のペンの音だけが響くという空間を生成してしまいました。ただ悔いのない受験にしたかったので合格を諦めはせず、英語の要約では上限を超えてしまった字数を抑えるため「鬱」の漢字を必死に思い出しながら書きました。多分間違った気がしますが笑

はっぴょう


 東大不合格を確信していたため卒業式などで進学先を聞かれると早稲田と答えていた私は合格発表日も親と一緒に感動的にその瞬間を待つなどせず、昼ご飯の弁当のミニハンバーグを食べながら発表を見ました。自分の受験番号を見つけたときには驚きと、何かの手違いでは?という疑念で喜びが追いついてきませんでした。未だに追いついてきていないですが。

おわりに


 ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございました。受験勉強は幸せな時間よりも圧倒的に辛い時間の方が多いものです。しかし今、いつでも渋谷や原宿に繰り出して遊べる日々を過ごす中で、受験勉強頑張ってよかったと噛みしめています。それだけではなく、受験勉強を通して学ぶことの面白さ、新しいことを知り、深く物事を理解することの喜びを知ることができました。受験期間はきっとみなさんの人生にとって大きな意味を持つものとなるでしょう。頑張ってください!東京で待っています!

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