弥生

神様のお守りも楽じゃないわと彼女は言った~西園寺命記 肆ノ巻~ その17

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  *  *  *

 夕紀菜が華織にまくし立てた。

「あの、おば様、私、状況がよく飲み込めません。確かに、瑞樹が時々不思議な人だとは思っていましたし、真里菜だけじゃなくて、大地も同じようなことを言ってました。水のないプールに落ちそうになったときに、パパが僕をふわっとさせたって…」

 華織がため息をつく。

「夕紀菜さんにしてみたら、皆が自分を騙していたみたいな状況よね。周子さんや響子さん、親友二人もあなたに言えないことがあった。その辺りは許してあげてね」

「ええ、それは…。瑞樹だって、私に隠し事をしていたわけですから」少々きつい口調でうつむく夕紀菜。

「夕紀菜さん…」いたたまれない表情の華織。

「でも、いいんです。私のためにならないこと、瑞樹がするわけがありません。必要なことだったんだと思います。それより、大地や真里菜にどんな影響があるんでしょうか」

「大丈夫。大地くんは、周囲の影響を受けるタイプじゃないわ。悪いものをはねつけるって言うのかしら。マイペースね、いつも。それも能力のひとつ。“力”を持つ者の家系においては、必要な能力よ。うちで言ったら、涼ちゃんとか、賢ちゃんがそう。それと、真里菜ちゃんは、紗由と奏子ちゃんに守られているわ」

「そうですか…。安心しました。でも、これから先、瑞樹と私はどうしたらいいんですか?」

「瑞樹さんには、ちょっとしたお役目をお願いするかもしれません。夕紀菜さんにも、承知しておいていただきたいわ」

 そのときリビングのドアがノックされた。

「どうぞ」

 瑞樹が言うと、ドアが開き哲也が現れた。

「失礼いたします」

「哲也くん…」突然の訪問に驚く瑞樹。

「びっくりさせてしまって、すみません。今後、“その手”のことに関して事務的なことは、私のほうからご連絡させていただきます」

「私は静岡にいることのほうが多いから、彼を窓口にしてちょうだい。でも、他の人たちにはこのことは内緒ね。彼をそんなふうに使ってるのを知ってるのは、躍太郎さんと保ちゃんだけだから、そのおつもりで」

「わかりました」

「では、具体的に説明させていただくわね」

 華織は静かに微笑んだ。

  *  *  *

「大隅さん、お連れしてよ、あなたの念願の思い人」

「ありがとうございます」大隅が深く頭を下げた。

「ええと、そちらの…まだ花津さんとお呼びしたほうがよくて?」

「お好きなようになさって下さい。私には名前など大した意味は持ちません」うつむくマダム花津。

「そうでしょうね、弥生さん。いろいろとご苦労なさったと思うわ。パートナーを間違えたばかりに」

「それは随分と酷評ですな。私は彼女を…いや、清流を守ってきたつもりだが」

 大隅のセリフに応えるでもなく、花津はお茶を淹れに部屋を出た。

 華織が静かに微笑む。

「ええ。もちろん、あなたは守ってくださった。でもね、守られて生殺しにされるなら、守られずに命が尽きたほうが幸せかもしれなかったと思いませんこと? そもそも、あなたご自身が、そんなことに耐えられる方とは思えませんもの」

「考え方の相違でしょうな。私は私のやり方で、あの子と機関と清流を守りたかった」

「そうですわね…あなたが守って下さらなかったら、私の可愛い賢ちゃんは、玲香さんのようなお嫁さんをもらえなかったわけですものね」

「まあ、そこを議論するためにいらしたわけではないでしょう。…お連れいただいた方はどちらに」

「そこに」

 華織はパチンと指を鳴らすと、ドアの外から賢児たちを招きいれた。

「失礼します」

 賢児が頭を下げながら部屋に入ると、玲香、加奈子が後に続いた。

「おお、賢児くんも玲香くんも、この前のパーティーでは世話になったねえ。玲香くん、お腹の子どもはどうだい?」

「順調ですが、少々興奮しているようです。どうか、お手やわらかにお願いいたします」玲香がゆっくりと頭を下げた。

「ああ、わかったよ。…遠山くん、久しぶりだねえ」

「はい。ご無沙汰しております」

「おばあ様はお元気で?」

「もう、認知症がだいぶ進んでいたんですけど、昨日、大隅さんのお名前を出したら、急に目の光が変わりました。大隅さんのこと、もっと早目に介護職員としてスカウトしておくべきでしたわ」シニカルな微笑を浮かべる加奈子。

「ああ…その言い方、君のおばあさんにそっくりだよ。正論しか言わない。人はそこに心惹かれる。…なあ、玲香くん?」

「正論だけでは、人は心を惹かれたりはしません。加奈ちゃんは…加奈子さんは、正論を言う場を見極める反射神経が、人より数倍発達しているから、その効果が増しているだけです。

 大隅様ともあろう方が、そういった、人の能力を正確に認定できないなんて、そちらの異常事態のほうが“心惹かれ”ますが」

「あら、大隅さんたら、玲香さんに“ボケじじい”を認定されちゃったのかしら」嬉しそうに微笑む華織。

「いやいや、今回の件に決着をつけるまでは、ボケている暇はありませんな」大隅が苦笑する。「では、本題に入らせてもらいますよ」

「その前に申し上げておきます。私は機関の総帥とやらになるつもりは一切ありません」きつい口調で言い放つ加奈子。「祖母が祖父のもとを離れて、もう半世紀以上経っているわけですよね。私たち一家には、機関に対して何の義理もないと思いますが」

「おっしゃる通り。だから、振りだけでけっこう。そうだね、1ヶ月もあれば終わるだろう」

「え? どういうことなんですか、それは」驚く賢児。

「下手に独裁者をつくり上げてもだね、君の伯母様が“命”たちを連れて新しい機関をつくったりすれば、とても太刀打ちできない」

「あら。買いかぶりだわ、大隅さん」

「ではなぜ、私を探し当てたんですか」怪訝そうな加奈子。

「探し当てたのは私ではない。華織さんたちだ。西園寺家と一条家のタッグは素晴らしいね。風馬くんと澪さんのペア、そして誠くんは次世代のホープといったところだね」

「そんな言い方をなさっても、加奈子さんにはわかりにくいと思いますけど」

 ティーポットを乗せたワゴンとともに、マダム花津が現れた。

「あ…」その瞬間、玲香が小さく声を上げる。

「どうした? 大丈夫?」

 体調が悪いのかと心配した賢児が顔を覗き込む。

「い、いえ、大丈夫です」

“あの時と同じだ。視界がパーッと明るくなる感じがして、この子たちが何か言ってる…”

「あの…確か、デザイナーの…」花津を見つめる加奈子。

「花津と申します。初めまして。何でここにいるかと不思議にお思いでしょうね。私は大隅の養女なんです。そして私の妹は、あなたのおじい様の3番目の妻。その娘が澪。華織さんのご子息と結婚しました」

「そうなんですか…」

「大隅の父が申しましたとおり、お願いするのは短期間です。お引き受けいただけないでしょうか」花津が加奈子に言う。

「何のために…? 総帥のふりをしたところで何の役に立つんですか?」

 問われた大隅が加奈子を見つめる。

「機関と“命”のシステムを本気で崩壊させたいと思っている人間に、それを諦めさせたいんだよ。そのためには、まずは誤解を解きたい。我々はその人間を罰したいわけでも、殺めたいわけでもない。考えを改めさせたいんだ」

「このままでは、その人自身も、ご一家も不幸になるのが目に見えています」

 花津が言うと、華織が後を続ける。

「確かにね、今の総帥は頭が弱いんだけど、人殺しの汚名を着せられるのはお気の毒。総帥は、今の機関内で次を狙う人間に利用されているだけだから」

「伯母様、それですと先日うかがった勢力図に、もうひとつ別の一派が加わったということですか? 今の機関、機関への反勢力、大隅さんたちのような前の機関支持者、そして伯母様を中心とする“命”たちの4つでしたよね」

 玲香が尋ねると、華織が応えた。

「機関への反勢力は二つなの。現機関内と、私が考えを改めて欲しいと思っている人物の二つ」

「ずいぶんと回りくどいやり方をするんだね」怪訝そうな顔の賢児。「大隅さんとはこうやって話し合いの機会も持てた。どうやら僕らの知らないところで、すでに話し合いも進んでいるようだし、まあ問題なさそうだ。すると問題は、今の機関と反勢力の二つ…」

 玲香が話に割り込む。

「今の機関の総帥は、あまり頭がよろしくないようですから、自分の足元に反勢力がいるのなら、そのことをネタに伯母様が説得すれば、問題解決にさほど時間がかからないと思います。さっき大隅さんがおっしゃったように、応じないなら新機関を立ち上げると言うとか」

「玲香さん。私、恫喝とかそういうの、得意ではないわ」口をすぼませる華織。

「ふーん」眉間にしわを寄せる賢児。「年中、されてる気がするけど…」

「すみません…。もちろん伯母様にはそんな行為はふさわしくはないですけど」

「でも、おっしゃる通り、それも手ね。うちには、説教や説得が得意な涼ちゃんもいるし」

「要するにさ、玲香の言うように、“命”と機関を存続させたい側に関しては、大隅さんと伯母さんが協力すれば、話はまとまりそうだ。

 残るのは、その“考えを改めてほしい人物”とやら。そこを何とかするために、ずいぶん時間をかけている印象があるけど、そいつの一派は人数が多いの?」

「いいえ。一人よ」

「“力”が強くて対処がやっかいなんですか?」

「いいえ。いわゆる“力”はないわ」

「じゃあ、何で?」

「大切な友人が、宝物のように育てた子だからよ。本人がきちんと納得した上で、事態を収束させたいの。焦りは禁物。立場によっては、それも無理のないことだとは思うけど…」

 華織の言葉に、傍らでうつむく花津。

「事情はわかりました」加奈子が割って入る。「でも、それで何故私が総帥のふりをする必要があるんでしょうか。私でなくても、どなたかがおやりになれば、いいだけのことでは」

「前の“ちゃんとしていた機関”の順当な継承者がいるなら、現機関内の反勢力を抑えやすいの。彼は大隅さんとともに前総帥の元にいた人間だから。元々は、加奈子さんのお母様を擁立したがっていたわ」

「君のお母さんは、父親を快く思っていないからね。当然それは断られた」

「それなら、美しい孫娘のほうが、いいとは思わない?…えーと、そうそう、他の誰かがやってもいいんじゃないかというご質問だけど、それはダメなの。偽物を使ったら、すぐにばれちゃうわ」

「何で? “力”がないなら気づかないでしょ。それとも、その人、遠山さんが前総帥の孫だって知ってる人なの?」

「知らないはずだわ。でも、必ずばれてしまう。その人の身近なところに、すぐれた能力者がいるから」

 華織の言葉に、しばらく考え込んでいた玲香が言った。

「加奈ちゃん、私からもお願い。大隅さんと華織伯母様に協力してあげてくれないかしら」

「玲ちゃん…」

「加奈ちゃんが、機関に対していい感情を持っていないのはわかるわ。私の知らないところで、加奈ちゃんも、おばあさまもお母様も、きっと苦労されてきたのよね。

 でも、このままだと不幸な家族がもうひとつ増えるってことなんだと思うの。こっちサイドが、穏便な手を使っているうちはいいけど、もし強硬手段に出ようとする人が現れたら、それこそ大変だわ。

 その前に何とかできるのは、加奈ちゃんだけだと、大隅さんと伯母様が判断したから、加奈ちゃんは今ここにいる。お願い。力を貸してあげて」頭を下げる玲香。

「私からもお願いします」震える声で花津が言う。「このまま混乱が続いて、勢力が増えて行くようなら、“命”の血筋と“宿”の血筋の人間は、能力があればあるほど、いろんなことに巻き込まれて、危険にさらされる可能性が高くなります」

「“宿”の人間もだとすれば、翔ちゃんもですか?」

「そうかもね。翔太はかなり力が強いから…」頷く玲香。

「それと、これから生まれてくる玲香さんの子どもたちもね」

「……」

 玲香と華織の言葉に困惑していた加奈子だったが、意を決したように玲香を見つめた。

「わかった。私にできることがあれば、やらせてもらいます」

「ありがとうございます」花津が涙声で加奈子の手を握った。

「大隅さん。彼女なら、きっと立派に役目を果たしてくれてよ」微笑む華織。

「ありがとう」大隅が力強く頷いた。「じゃあ、さっそくだが、今後の段取りに入らせてもらうよ」

 大隅は別室に加奈子を案内した。

  *  *  *

「そうだわ、玲香さん。これ、鈴音さんに返しておいていただける?」

 華織は車に乗る間際、玲香に雑誌を手渡した。

「はい。わかりました。お預かりします」

「興味深い内容だったわ。花津さんの着物デザイナー時代の作品がたくさん載ってるの。玲香さんも、よくご覧になってね」

 華織は玲香を強く見つめると、いつものように微笑んだ。

「何か気になる言い方だな…。この雑誌、玲香はもう見てるんだろ? それにさっき伯父さんが清流に行くって言ってたよな。自分で渡せばいいじゃないか」

「そうですよね」玲香が雑誌をパラパラとめくり、鈴音がモデルをやっている写真のページをめくる。「マダム花津のお名前、載ってないですね…」

「ちょっと貸して。後ろにまとめてショップやスタッフが載ってるんじゃないか」賢児が雑誌の後ろを開けた。「えーと、花津、花津…ないね。ん?…もしかして、これかなあ」

「どうしたんですか?」

 賢児が指差した先には、“大隅弥生”という名前があった。

「大隅さんの養女だって言ってたよね」

「そうですね。それに、花津というのは3月の別称、弥生と同義語です…」玲香が戸惑いの表情を見せる。

「どうしたの?」

「…確認したいことがあるんです。父に」

「もしかして、玲香も彼女がおかあさんじゃないかと思ってるの?」

「賢児さま…」

「細かいことなんだけど、いくつか気にはなってたんだ。いつもサングラスで顔は半分隠れてるけど、彼女と鈴音さん、よく似てるよ。この前のパーティーの時だって、翔太にかなり興味を示してたみたいだ。さっきだって、遠山さんが引き受けたら涙浮かべてただろ? 翔太や僕らの子どものことが出たからじゃないのかな」

「実は…私、あの人に会うと、視界がパーッと開けたように明るくなって、お腹の子どもたちが喜んでいるような気がしてくるんです。私が母に関して知っているのは“弥生”という名前だけですけど、もしかしたらって思って…」

「よし。このまま静岡に向かおう」

「清流にですか?」

「違うよ。弦子さんのところだ。気になってたもう一点を確認する。これは、まりりんの指摘なんだけど、玲香が二次会で着たドレス、マダム花津テイストだよな。いつも弦子さんが作ってくれるものとは感じが違ってた。弦子さんなら、何か教えてくれるかもしれないよ」

 賢児は玲香の肩を抱き、自分の車へと向かった。

  *  *  *

「じっちゃん、大丈夫か? 顔色ようないで」心配そうに飛呂之を見つめる翔太。

 加奈子を巡って話し合いがされていた隣の部屋では、飛呂之と翔太の二人が、マジックミラーを通じて、その様子を見ておくようにと華織から言われていた。

 だが、マダム花津の姿を見つけるなり、飛呂之は険しい表情になり、じっとガラスの向こうを見つめていた。

 飛呂之の様子が普通じゃないことに気づいた翔太は、加奈子たちの様子より、隣の飛呂之のことが気になって仕方がなかった。

「じっちゃん。さっきから、ずっと、マダムのところに、びよーんてなっとるで。惚れたん?」

「馬鹿なこと言うな」小さい声でつぶやく飛呂之。

 だが、その様子は変わらずそのままだった。

“命さま! じっちゃんがおかしいです。助けてください!”

 翔太が心の中で思い切り叫ぶと、しばらくして飛呂之のぴかぴかの様子が元に戻った。

「なあ、翔太。25年ぶりに話をするというのは、どういう気分なんだろうな」

 飛呂之は翔太を見て微笑んだ。

「俺、まだ6年しか生きとらんし、ようわからんわ」

 困った顔で応える翔太を、飛呂之は微笑みながら、ぎゅっと抱きしめた。

  *  *  *

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