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神様のお守りも楽じゃないわと彼女は言った~西園寺命記 肆ノ巻~ その1

 神戸への出張の後、清流旅館へ寄った賢児と玲香は、早めの夕食を済ませると、庭を眺めながら、のんびりしたひと時を過ごしていた。

 保が外務大臣を務めている関係で、来週に迫った二人の披露宴の招待客は、かなりの人数で、式の準備にはけっこう時間がかかっていた。と同時に、二人の仕事も年末に向かい、どんどん忙しくなる時期で、ゆったりとした時間を過ごしている暇もないような状態だった。

「お酒、お持ちしましたあ」

 外から声がかかり、翔太がワインと肴をワゴンに乗せて運んできた。

「ありがと、翔太。おまえも飲むか?」賢児のお決まりのジョークは挨拶代わりだ。

「マイボトル持ってきたで」

 賢児がワインを空けている横で、賢児のセリフは想定の範囲内と言わんばかりに、別の小瓶からシャンパングラスに中身を注ぐ翔太。

「わあ、きれい。ロゼ?」

 玲香が横から手を出し、グラスを取り上げると、一口飲んでみた。

「ああん!」翔太が手を伸ばしてグラスを奪い返そうとする。

「お毒見よ。大事な七代目に何かあったら大変だもの。…へえ、ぶどうジュースなのね。でも、きれいな色ね。本物そっくりだわ」

「まったく、油断も隙もあらへんな!」ぷーっと口を尖らせ、空のグラスを玲香から奪い取る翔太。

「本物と一緒にグラスで並んでたら、まずわからないよなあ。泡の立ち方も、ほら」賢児がグラスに浮かぶ細かい泡を指し示す。

「健康志向でノンアルコール飲料の種類も増えてきましたよね」

「子供に大人の真似させたがるんが多いんや。お誕生会行っても、ワイングラスとか、こんなんばっかりやで」

「翔太はグリーンティー派だろ?」

「うん。ちゃーんと、お抹茶の水筒と牛乳パック持ってく。シロップ入れてカクテル作ると、ママさんたち大喜びや」

「女性を喜ばせることに関しては、おまえ天才的だよな…」心なしか羨ましそうな賢児。

「紗由ちゃんが牛乳大好きやから考えたんや」

「最愛の女を喜ばせることが、すべての女を喜ばせる道に通じるってことか。勉強になるなあ」

 玲香のワイングラスに自分のグラスを軽く当てると、賢児はぐいっとグラスを空けた。

「賢児さま。他の女性で検証してみなくても結構ですからね」

 釘を刺すように微笑み、ワインを同じように飲み干す玲香。

「は、はい」

 オリジナルカクテルで女性たちを喜ばせるというのを、ちょっと試してみたくなっていた賢児は、つまらなそうに下を向いた。

「そうだわ。ねえ、翔太。男の子にも女の子にも使える、いい名前ないかしら? ほら、進子ちゃんが紗由ちゃんをモデルに作ったイメージキャラクターよ」

 進子ちゃんというのは賢児の会社「サイオン・イマジカ」のアートディレクターで制作部長、高橋進のことだ。心が乙女の彼は、周囲からは進子ちゃんと呼ばれている。

「男でも女でもええ名前なら、紗由ちゃんと二人で考えとるで」

「すごいな。キャラの名前、もう考えてくれてたのか」

「二人の子供の名前や。まだ、どっちかわからんやろ」

「俺たちのか? はは、まだ、お腹にいないもんなあ。ちょっと早いよな」

 玲香を見ながら照れ笑いする賢児に、翔太は勢いよく首を振った。

「ちゃうちゃう。紗由ちゃんと俺の子や」

「はあ?」翔太を凝視する二人。

「…早すぎるんじゃないの?」

 眉間にしわを寄せる玲香を無視して、翔太が話を続ける。

「“みこと”いう名前にしようと思うんや。男の子やったら、“尊敬”の“尊”。女の子やったら、美しいお琴で“美琴”や」

「ふうん、いい名前ね…」そう言いつつも、何となく納得が行かない様子の玲香。

「よし! それ、パクリだ。ポスターに出す名前はカタカナで“ミコト”にする」

「賢児さま!」

「紗由をモデルに男の子バージョンも作るか…」

「紗由ちゃんとのこと、味方してくれたら、使うてもええで」にいっと笑う翔太。

「わかった。その代わり、紗由にバレるような浮気はするなよ」

「バレなければいいんですか?」玲香がにっこりと微笑むが、目が全く笑っていない。

「ふ、二人は俺たちと違って、まだ小さいんだから、他の相手に目が行く可能性だってあるだろう?」

 意識的に“俺たちと違って”の部分に力を入れた賢児だが、玲香の目はまだ疑わしげだ。

「玲ちゃん。賢ちゃんぐらいカッコえかったら、おなごが寄ってくるんは、しゃあないやろ。大目に見いや。難しい言葉でな、浮気は男の甲斐性言うんやで。あの、じっちゃんでさえ、三角関…あ、何でもないわ」翔太がもごもごと口ごもり、しまったという顔になる。

「ちょっと、何それ!!」

 背を向ける翔太の体を回転させ、その肩を揺さぶる玲香。

「な、何でもありません…。揺れる、揺れてます…」強張った顔をして標準語で答える翔太。

「玲香、落ち着け!」

 そう言って玲香の手を押さえながらも、賢児も翔太をじっと見つめている。

「三角関係って…まさか、父さん、二股かけてるの?」

 顔を覗き込む玲香から、座ったまま後ずさる翔太。

「ち、違います。3人の女の人に言い寄られてるらしいです」

「4人いたら、三角関係じゃないでしょ!」

「玲香、突っ込むところはそこじゃないよ。それに、翔太が悪いわけじゃないから」

「…まあ、そうですけど。で、父さんはどうするつもりなの?」

「ぞ、存じません」泣きそうな翔太。

「本当に?」

「は、はい」

「まあ、普通に考えたらモテるだろ。有名旅館の亭主で、上方の歌舞伎俳優みたいなルックスで、人当たりもいいし。それで独身だったら、そりゃあなあ」

「鈴ちゃんは知ってるの?」

「知りません…てか、おかんには内緒やで!…そんなんばれたら、おかんのことや、家ん中、戦争になってまうわ」必死の形相で翔太が訴える。

「わかった。俺たちは翔太の味方だ。だから、知ってることは全部話しておけ。何か危険な事態になったら、俺たちがさりげなーくフォローするぞ」

「おかんに問いただされるの、イヤよねえ…怖いものねえ」

 いつものように優しく微笑む玲香を見ながら、賢児と翔太は同じことを考えていた。

“おまえが一番怖いよ…”

  *  *  *

「まあ、すぐに再婚とか、そういうことじゃあなさそうだな」賢児がグラスを傾けながら玲香に微笑む。

「ええ。でも、華織伯母さまが、わざわざ父さんに“注意するように”と言っていたというのが気になります」

 鈴音お手製のチーズスナックバーをポイと口に入れる玲香。

「そうだなあ。伯母さんが言うと、危険な女が近づいてるのかなと思っちゃうよな」

「華織さんとしておっしゃったのか、“命”さまとしておっしゃったのか…」

「“命”さまっていうことで言えば、例の件の動き、というか動きがないのもちょっと気になるしな。俺たちが忙しいから気を遣ってくれてるのかもしれないけど、前回以来、集まったのは一度だけで、しかも澪さんの病状報告だけだった」

「澪さんの状態が落ち着いているのは安心です。まあ、紗由ちゃんにあんなこと言われたら、“焔”も悪いことできませんよね」紗由の言葉を思い出しながら、玲香がくすりと笑った。

 紗由いわく、“かあさまが紗由と奏子ちゃん持って走るから、偽者の澪ちゃんは、まりりんを持って走ってね”とのことで、“焔”は周子同様、自分たちを新幹線のようなスピードで持って走る人に分類されてしまったようだった。

 奏子 の父、疾人のクリニックの裏庭で、“偽者の澪ちゃん”イコール“焔”の怖さに、必死で後ずさりしたことなど、もうすっかり、どこかへ行ってしまっている。

「しかし、紗由があのとき言ってた“翔太くんちはお嫁しゃんが4人”ていうのも、確かに気にはなったんだよな…」

「そうですよね。鈴ちゃん、私、翔太のお嫁さん。あと可能性があるのは父さんの再婚相手ぐらいですから…」

「翔太が言ってた3人の女の中に、危険な女と嫁さん候補がいるってことだろうか」賢児もスナックを口に放り入れた。「やっぱり、うまいなあ、これ!」

「作り方、教わっておきますから。…小料理屋のママさん、弦子叔母さんの友達、旅館組合の関係者…前の二人は私も知ってますし、旅館組合の役員さんも昔からの知り合いのはずです。何で今さらなのか、少々、妙な感じはしますよね」

「翔太が言ってたように、飛呂之さんが再婚を考えてないわけじゃないって、バイク仲間に言ったせいもあるんじゃないか」

「父さんて、物事は詰めの段階まで来ないと口外しないタイプなんですよね。慎重というか」

「じゃあ、明日直接俺が聞いてみる!」

「父さんにですか?」

「…まずは光彦さんに」少し声が小さくなる賢児。

「そうですね。じゃあ、私も弦子叔母さんに聞いてみます」

 確たる事実はつかめなかったものの、飛呂之の再婚疑惑は、ひとまず幕を閉じた。

  *  *  *

「はい、これ。昨日のおつまみのレシピ」

「ありがとう、鈴ちゃん。賢児さまがチーズスナックおいしいって、ほとんど一人で食べちゃったのよ」

 うふふと笑いながら、玲香がレシピの紙をバッグにしまい込む。

「ねえ、玲ちゃん。何か聞いてる?」

「何を?」

「父さんに現在、本当に“女”がいるかどうか」

「えっ!?」

「その顔だと、何か知ってるのね」

 静かに微笑む鈴音から、一歩後ずさる玲香。

「ちょっと。翔太と同じ反応するの、やめてちょうだい」

「…本当にって、どういう意味?」

「言葉の通りよ。今までだって女がいたことはあるけど、私たちに…少なくとも、私に表立ってばれるようなことはしてこなかったわ。自分から再婚の意思があることを周囲ににおわすなんて、変だと思わない?」

「やっぱり、鈴ちゃんも、そう思った?」

「そりゃあ、そうよ。玲ちゃんのお式が済んでからならともかく、何で今なのよ。何かあるとしか思えないわ」

「まさかとは思うけど…私たちの弟か妹がすでにお腹にいるとか?」

「それなら、ちゃんと話すと思うわ。筋が通らないことは嫌いな人だし。…まあ、とにかく今は玲ちゃんのお式が無事に済むのが第一なんだけど。ドレス入らなくならないように気をつけなさいね。ウエディングドレスはデザイン的にごまかしが利きそうだけど、二次会用のドレス、あれはラインがごまかせないわよ」

「はい。これから十日間は禁酒して、夕食も控えめにする予定でございます」神妙な顔で言う玲香。

「何かわかったら連絡するわ。とりあえず、次はお式ね」

 鈴音は玲香の体をぐるっと見回すと、背中をポンポンと叩き、にっこり微笑んだ。

  *  *  *

 飛呂之が弦子のアトリエに来るのは久しぶりのことだった。いつもは、清流の人間に会いに、弦子のほうから赴いているからだ。

「パワーストーンのアクセサリも始めたのか」

「ええ。翔ちゃんの真似してみたのよ。材料は光彦さんのところから安く入るしね。兄さんも、ひとつどう? ガールフレンドに喜ばれるかもよ」

 ゴージャスな3連ネックレスを手に取り、少しウキウキした様子で弦子が言うと、飛呂之はおもむろにムッとした顔になった。

「そんな話をしに来たわけじゃない」

「じゃあ、何?」

「何じゃないだろ。聞きたいのはこっちのほうだ」

「そんな怖い顔しないでちょうだい」

「あのドレス、おまえが作ったんじゃないだろ」

「作ったのが誰かなんて、いいでしょう? 当の玲ちゃんが気に入ってるのよ。二次会で着るって言ってるんだし、それでいいじゃない」

「いいわけないだろ!」

 飛呂之が声を荒げると、弦子は飛呂之の目の前にある椅子を引いて手で示した。

「とりあえず座って。今、お茶持ってくるわ」

「お茶などいらん。…ドレスのことは、今さらどうこうできないことは、わかってる。だがな、二度とこんなことはするな。8年前にもそう言っただろ!」

「…私、謝らないわよ、にいさん」

「弦子!」

「あのドレス、ぴったりだったわ。それがすべてを物語っているじゃない。それに、玲ちゃんが西園寺家に嫁ぐことを承知したとき、今までのこと全部含めて納得したんじゃないの?」

「それは…」うつむく飛呂之。

「兄さん。“宿”に生まれたこと、“命”の周囲に“呼ばれる”こと、それらをきちんと納得できないなら、それでもいいわ。あんなことがあって、仕方ないとは思うもの。…でも、玲ちゃんを西園寺家に嫁にやる以上、それなりの覚悟を決めてちょうだい。弥生さんのことも含めてね」

 弦子はそれだけ言うと、店の奥へと入って行った。

  *  *  *

 弦子のアトリエからの帰り道、飛呂之は清流の裏手の丘に登り、眼下に広がる街を眺めていた。

“弦子に言われなくても、そんなことは百も承知だ。玲香が西園寺家に嫁ぐことになったのも、翔太が“力”を持っているのも、なるべくしてなったことなのだろう。だが、なぜ彼女が再びうちに近づくのか…。

 玲香が嫁に行くのを耳にしてかと最初は思っていたが、それだけじゃない。むしろ翔太の近辺に姿を現しているように思える。いったい何が目的なんだ。

 玲香のほうは心配はない。“命”様があの家を守っている。翔太も…“命”様が物理的に近い場所に来て下さっているので、以前よりは安全なのかもしれないが、何か嫌な感じがする。やはり、“命”様にすべて事情を話して、ご意見を伺ったほうがいいのだろうか”

 頭の中でぐるぐると回り続ける考えに、少々疲弊してきたとき、飛呂之のスマホが鳴った。玲香の名前が表示されている。飛呂之は深く溜め息をつくと、電話に出た。

「お父さん、元気?」

 聞き慣れた玲香の声が流れてくる。

「ああ。何だ、何か用か?」

「うーん、何となく」

「忙しいだろうに、そんなことで電話してくるな」

「ねえ、父さん、弦子叔母さんが作ってくれたドレス、気に入らないの?」

「え?…何でだ」

「うーん、何となく」

「…別にそんなことはないよ」

「そう。それならいいの。確かにちょっと派手っていうか、弦子叔母さんらしくないデザインだなあとは思ったんだけど…賢児さまも、いいねって言ってくれてるの」

「じゃあ、いいじゃないか。太らないように気をつけろよ。すぐに着れなくなりそうだ」

「んもう。鈴ちゃんと同じこと言わないでよ」玲香が拗ねたように言う。

「おまえは調子に乗って、すぐ食べ過ぎるからなあ、子供の頃から」

「気をつけます。えーと、二日前にはそっちに戻るね」

「ああ、わかった。体、気をつけるんだぞ」

「うん。ありがと。じゃあね」

 スマホをジャンパーの胸ポケットに入れると、飛呂之はゆっくり立ち上がった。

 清流へ続く小道を下りながら、飛呂之は父親の最期の言葉を思い出していた。

「清流を守ることがおまえの“力”だ」

「そうだな、親父。何があろうと、俺の力を発揮するのはこれからだ」

 飛呂之は空を見上げると、足早に坂を駆け下りて行った。

  *  *  *

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