神様のお守りも楽じゃないわと彼女は言った~西園寺命記 陸ノ巻~ その3
* * *
澪は、翼と一緒に、保が内閣を発足させた時の記念写真撮影時の映像を検証していた。
「あ!」二人が同時に叫ぶ。
「ねえ、澪ちゃん…このビデオ撮ってる人の左側に変な人がいるよね」
「“火”の気配がする…」澪が青ざめた顔でささやく。
「澪ちゃん、大丈夫?」
澪が昔、閉じ込められて放火され、身体にやけどを負ったのを知っている翼は、咄嗟に石を取り出して、澪の胸元に当てた。
「あ…ありがとう、翼くん。大丈夫よ。ごめんなさいね、びっくりさせて」
「ううん。僕は大丈夫だから。ちょっと休む?」
「もう平気よ」頭を軽く振りながら、微笑む澪。
「もしかして、知ってる人?」
「いいえ、過去はちゃんとたどれなかったんだけど、身体が反応したってことは、きっとどこかで会ってるんだわ。それに…兄さんが受け取っていることを考えると気になるわ」
「誠さんは何を受け取っているの?」
「火が燃えあがる光景。それから、ハイビスカスの花」
「その“火”と一致するんだね? 森本の店の近くをうろついていた人かな。それとも前の機関の関係者なのかな…。気をつけてね、澪ちゃん」
「ありがとう。後で翔太くんにぴかぴかも精査してもらって、もうちょっとヒントを得たいわ」
「それにしても、この人、変だよね、それ。普通なら、思念の線が尾を引くように残るよね。でも、燃えカスみたいっていうか、点々て、なっていて変だよ。
それと、有川先生のほう見てないんだね。残ってる思念の線を、とりあえずまっすぐ伸ばしてみると…この人と、あとこっちの人、それから、黒い羽童みたいなのを持っている人のところへ行く」
「そうね、見ているのは、この3人。えーと、こっちの二人は何大臣だったかしら…」澪が各大臣の名前が書かれた写真と映像を照合する。「羽童みたいなのを持っているのは、最初に話した竹田源環境大臣。こっちが岩倉景史消費者担当大臣で、こっちは朝香幸也文部科学大臣だわ」
「朝香…」
「どうしたの?」澪がVTRを再び止める。
「奏子が言ってたよ。昨日、この人、青蘭の園長先生に会いに来てたって」
「あら、そうなの。まあ、幼稚園は文部科学省の管轄でしょうから、視察に来てたのかしら」
「えっとね、紗由ちゃんが見つけて声を掛けたら、園長先生に会いに来たって言ったんだって。それで充くんが、一昨日、有川先生の家で食べたチーズケーキの箱についてた変な器械を、その人のポケットに入れたって」
「ちょ、ちょっと待って、翼くん。変な器械って?」
「1センチちょっとの大きさみたい。ケーキの台のダンボールの中にあったんだって。盗聴器かもね」
「翼くん。それが本当なら大変なことよ」
動揺する澪に、翼は淡々と言う。
「おじいちゃまの持ち物にも、時々、変なの入ってたよ。おじいちゃまに言われて、ママがよく、石と一緒に庭に埋めてた」
「そうだったの…」澪は神妙な顔で翼を見つめた。「でも、今回のそれは、朝香先生のポケットに入れちゃったんでしょう? つまり…有川先生の話を聞きたがっている人のところには、朝香先生と園長先生との会話が聞こえてたわけよね。間違いに気づいたら、有川先生のところに探りに来るんじゃないかしら」
「そういう器械で話を聞こうとするぐらいだから、青蘭に時々来てるんじゃないのかな。いるんだよ、狙ってる人が」
「そ、それはそうね」落ち着いている翼に、少々調子が狂い気味の澪。
「それよりね、僕が気になるのは、ケーキの箱に入ってたってことなんだ。誰がそんな細工したんだろう」
「そうね、確かに気になるわね」澪がコホンと小さく咳をする。
「ケーキは“レザン”のだったらしいけど、ケーキ屋さんはそんなことしないよねえ…」
「わあ。“レザン”のケーキなの? あそこのチーズケーキ、美味しいのよねえ。でも、すぐ売り切れちゃって。この前だって1時間前から並んだのに、二人前で売り切れちゃったのよ…」
悔しそうに拳を握る澪を見ながら、翼がくすりと笑う。
「澪ちゃん、かわいいね」
「あ…あの、別にそういうわけじゃ…」意味不明のコメントを返す澪。
「あれ? でも、それだとおかしいな」
「何が?」
「1時間前から並んでも売り切れちゃうんだよね。奏子たちの秘密会議は、最初に“命”さまのおうちでやって、それからだったはずだから、3時ぐらいからかな。紗由ちゃんの一言で急に決まったんだ。そんな時間にケーキあるかな?」
「一昨日って日曜でしょう。ない、ない、ありえない! 日曜はね、1時間早く開店で9時半からなの。でも、人気のチーズケーキはすぐ売り切れ。3時だなんて、焼き菓子がちょっとしか残ってないわよ」
「だったら、どうして買えたんだろう」
「“レザン”のじゃなかったんじゃない?」
「本物だよ。まりりんが、匂いで覚えてたから」
「うーん。じゃあ、本物よね。前もって買っておいたってことかしら」
「ううん。紗由ちゃんが有川のおじさまに連絡して、それで、“レザン”のケーキを用意するからって言ったんだよ。
前に約束したんだって。おじさまの家で会議をするなら、“レザン”のケーキ付きだって。ほら、紗由ちゃん、食いしん坊だから、会場選びはケーキ目当てだよね」
「ああ、そうなの…。じゃあ、紗由ちゃんたちが来るのが、前もってわかっていて、用意できたってことかしら」
「誰がそんなことわかるの? “命”さまじゃないんだから」
「そうよね…」腕組みする澪。
「じゃあ、その辺は、後でまた考えようか。続きを見ようよ。有川のおじさまのところにも気をつけて探るから」
「そうね。そうしましょう」澪は再びスイッチを入れた。
* * *
新緑にはちょっと早いが、桜がつぼみを付け始め、春の空気があたりに漂っている公園を、何人かの人間が散歩していた。
「こんな季節だったなあ」
「そうだな。うん、あの時は正直びっくりした」
「サングラスで作務衣姿のおじさんに、いきなり弟子にならないかって言われたら、そりゃあ驚くさ」
「でも、俺たちはそれに従った」
「ああ。…抗えない何かが、あの人にはあった」
しばらくの間、ぼーっと空を見つめていた男は、少し離れたところにある噴水の音と、近くで遊ぶ子どもたちの声で、われに返った。
「パパ、はやく!」
「待ってくれよ、奏子!」
疾人が必死になって追いかけながら、二人の男の脇を通り抜ける。
「パパ、もう降参だよ!」
「だめ! はやく、おにいちゃまのところにいくの!」
息を切らせながら走る疾人の後姿と、はるか遠くを走る奏子の姿を、じっと見つめるまなざし。
「戻れないかなあ、あの頃に」
「戻れないよ。あの人が、俺たちの元に戻ることはないんだから」
不機嫌そうな答えが返ってくる。
「…ごめん」
「俺たちが裏切られた原因、その人間の実力のほどを試しに行こうじゃないか」
こぶしを強く握り締めた男は、奏子が到着した場所を遠くからじっと見つめた。
* * *
「奏子! そんなに走ったら危ないよ…パパが」
「え?」
言われた奏子が振り向くと、疾人がぜいぜい言いながら、ようやくたどりついた。
「パパ! だいじょうぶ?」
奏子が慌てて走りより抱きつくと、疾人は途端に機嫌よさそうに笑った。
「ねえ、ママ。奏子がお嫁に行ったら、パパ病気になっちゃうんじゃないかな」
翼が言うと、くすりと笑う響子。
「そうねえ」
「ねえ、奏子」
サンドイッチを頬張りながら、翼が奏子に呼びかける。
「なあに、おにいちゃま」
「あのさ…」少し声を潜めながら言う翼。「誠さんがね、火が燃え上がるところと、ハイビスカスの花のビジョンを受け取ってるんだ。奏子はどう思う?」
「ハイビスカスって、ハワイに行ったときに、いっぱいさいてたおはな?」
「うん。そうだよ。赤とかピンクとか黄色とか、きれいだったよね」
「オキナワにもあるんでしょう?」
「あ、うん。よく知ってるね」
「あのね、こんど、オキナワでエコリンピックっていうのを、やるでしょう? まりりんのかいしゃは、それのスポンサーっていうのをするんだって。
それでね、そのために、まりりんはマダムはなつといっしょに、かり…なんとかっていう、おようふくをつくってるの」
「かりゆし?」
「そう。それ! ハイビスカスのおはながついてて、かわいいの。いろんないろのをつくるから、できたら、かなこには、しろいのをくれるって」うれしそうに笑う奏子。
「へえ…そうだったんだ。“火”が燃えあがるほうは、どう思う?」
「うーん。よくわからない。おうちかえったら、石にきいてみるね。でも、かなこは、お水のほうがすき」
「そうか。そうだよな。水はキラキラしてて綺麗だし」
「うん。ぼーってもえたら、かなこ、お水かけちゃうよ」
「ははは。そうだよな」
翼と奏子は噴水を眺めながら、楽しそうに笑った。
* * *
「ごめんなさいね、ミオちゃん。いきなり呼び出して」未那が神妙な顔で頭を下げる。
「いえ、そんな。ちょっとびっくりはしましたけど」
「華織さまから、すべてのメンバーについて聞いているわけではないのね?」
「はい。お義母さまは、全部を知る必要はないと。私のような、弐の位になり損ねたような人間が中途半端に得た知識は、いろんな人間から探られやすからと。確かにそうだと思います。私には前科がありますし…」うつむく澪。
「そんな…。華織さまは、ミオちゃんのこと、ちゃんと信用してらしてよ。いいお嫁さんが来てくれたって、本当に喜んでいらっしゃるし、可愛くて仕方がないって」
「はい。わかってます。本当に可愛がっていただいていますし、幸せな毎日です。全部を知らされていないこと、不服に思っているわけではありません。
大体、お義母さまの配下の人間、かなりの人数がいるでしょうから、全員紹介していただくのは物理的にも難しいと思います。お義母さまが必要と思ったその時に、必要な方だけ教えていただければと思っています」
「そうねえ…そういう意味では、昔から西園寺家に仕えてきた家に生まれた私でも、全国にいる人たちすべては把握してないわ。風馬さまでさえ、きっとそうだと思う」
「はい」
「それで、本題に入らせてもらうけど、塾のことについて、話を聞きたいの」
「やっぱり、あの写真とビデオの人、あの人たちなんですね」
「その可能性が高いわ。だから、事が大きくなる前に封じたいの。先生のためにもね。それで…あなたにこれを精査してほしいの」
「これは…?」
「おそらく、私たちが追わなくてはいけない人間」
「…わかりました」
澪は強い目をして頷いた。
* * *
明後日から正式に青蘭に入園することになっている恭介は、新しくできてきた制服を着ると、建造の部屋にやってきた。
「おじいちゃん…」
「ああ、恭介か。ん? 新しい制服だな。よく似合うぞ」
言われた恭介はうれしそうに建造のひざに座ると、耳元にこっそりささやく。
「あのね、おじいちゃん。ひみつかいぎのときの、ケーキのはこのなかにね、あやしいきかいがはいってたんだよ」
「ほお…」
「さゆちゃんが、もってかえったよ。ようちえんのおきゃくさんにあげちゃうんだって。みんな、こわがってたけど、ぼく、よくわかんないよ」
「そうか…」有川はしばらく考えると、恭介の耳元でささやき返した。「おじいちゃんも調べてみるよ。また、わかったことがあったら、教えておくれ。恭介は探偵事務所のスパイだもんな」
「うん。ぼくも、みんなといっしょにがんばるね」
「それに、明日からは年長さんだ。皆と仲良く遊んで、勉強も頑張れ」
「うん」
「恭介! どこ? 恭介!」
書斎の外の廊下から声がした。
「あ。ママが呼んでる」
「ほら、行っておいで」
恭介が膝から降り、手を振って部屋から出て行くと、有川はテーブルにおいてあったスマホを手に取った。
「…私だ。ちょっと確認してもらいたいことがある。ああ、この前頼んだ件の追加だ。うん。そういうことだ…ああ、すまない。割り込みのコールだ。じゃあ、よろしく頼む」
有川は電話を一旦切ると、続いて着信先の相手に出た。
「もしもし…はい、そうですが、君は…?」
相手の答えに表情がこわばる有川。しばらく相手の話を身じろぎもせず聞いている。
「わかった。もう少し詳しい話を聞こう」
有川は電話を強く握り、書斎の奥の部屋へと入っていった。
* * *
授業が終わるや否や、華織に連絡を入れ、家に戻らずに華織のマンションに直行した龍は、到着するとすぐに訴えた。
「ねえ、おばあさま。最近、妙な人間が学校の近くをうろついてるよ」
「どんな様子?」
「気配を消してるみたいんだ。さっきコンビニからファックスで翔太に写真を送ったけど、ぴかぴかが消されてるって言ってた。紗由が言ってた有川先生の周辺をうろついている人間と関係あるのかな…」
「気配を消しているの?」
「うん。そんなのって、普通のレベルで出来ることなの?」
「いいえ。私が察知できないレベルはほとんどないはず」
「うーん。おばあさまに調べてもらったわけじゃないから、どのレベルなのかはわからないけど、普通じゃないことは確かだよね」
「そうねえ。普通の人間は気配を消したりしないものねえ」くすりと笑う華織。
「それとね、まりりんが言ってたらしい。小学部のほうが、へんな匂いがするって。怖いから近づかないようにしようって言ってるんだって。でも、奏子ちゃんは、僕に会いに来たがるから、ちょっと言い合いになったりするって」
「あらあら、それは大変。でも、まりりんの匂いサーチは、けっこう確かだし、奏子ちゃんには、おうちで会おうって言っておくのね」
「うん。そう言ったら、“おうちでも会います”って言われた」
龍の言葉に、声を上げて笑う華織。
「早く、あなたたちが大人になって、奏子ちゃんがお嫁に来ないかしら。何だか、とっても楽しそうだわ」
「おばあさまって、時々、人が悪いよね」少し不機嫌そうな龍。
「あら、ごめんなさい。…ところで、その奏子ちゃんは何か他に気になることを言ってた?」
「それが、有川先生のお守りにする石を、いくつも選んで、一生懸命きれいにしてるって言うんだ」
「そうなの…」少し考え込む華織。
「でも、四辻の石を、やたらとたくさん人に見える場所に出すのもどうかと思うんだ。四辻の石は…最後の解決の時に力を終結させるのに必要だろうから」
「龍の考える、最後の解決とやらを聞かせてちょうだい」
「結局、四辻のおじさまの件は、解決してないんだよね」
「何を解決と呼ぶのかにもよるでしょうね」
「奏人おじさまの周囲での出来事は解決したんだと思う。疾人おじさまとか、澪ちゃんとか。
でも、澪ちゃんの背後にいた人間と、奏人おじさまの事故との関係は明らかになってないし、小宮山先生や梨本先生の一件にしたって、結局アメジストを巡って、奏人おじさまのことがちらつく。
僕は、まだいるんだと思うよ。もっと後ろ側に、あの事故と関わっていた何かが。最初は機関の中にいる誰かなのかと思ったけど、二重三重にいろんなところにスパイもいそうだし、おばあさまにも、その時々で、ラスボスに見える人が変わってきてるんじゃないかな」
「…龍は現時点でどんな相手だと思うの?」
「個人か組織か国かはわからないけど、結局は政治がらみなのかな。じいじが外務大臣になった頃から、外交に関する本もいろいろ読んだけど、難しいよね、政治って。 おじさまは敵も多かったみたいだし。
あ…これは“力”で精査したんじゃなくて、勉強の結果、考えたことだけどさ」
「すごいわね、龍。そんな難しい本を読んでるなんて」華織が龍の頭を撫でた。
「僕が立候補するまで、16年しかないんだよ。勉強することは山積みだよ」少しムッとしたように華織を見上げる龍。
「“命”の勉強もですものね。大忙しだわ」
「おばあさまだって大変でしょう? 僕たち皆に教育しなくちゃいけない。塾の先生みたいだよ」
「塾ねえ…」華織が天井を見上げて、くすりと笑った。
「どうしたの?」
「奏人さんも、塾をやってたって聞いたわ」
「政経塾みたいなこと?」
「いいえ。気功塾って呼んでいたんですって。紗由たちにいろいろ教えているお茶会みたいなものね。7~8人いたらしいわ」
「その塾の人たちは、どうしてるの? “命”や“宿”や“機関”の関係者なの?」
「さあ。当時、私たちは“命”という立場で接していたわけではないから、詳しいことまではわからないわ。でも、半分は一般人だったようね。解散して10年近く経つみたいよ」
「何で解散しちゃったの?」
「いた人の話だと、ある日突然にということだったみたい。道場というか会場が封鎖されていて」
「ふーん…気になるね」
「でも、龍。今の課題は石のことよね」
「うん、そうだね。石のことはね、僕、考えたんだよ。四辻の石だけを使うんじゃなくて、いろんな家の石で結界を作ったらどうだろう」
「結界というと4つか5つは必要ね。四辻、西園寺と、あとはどこ?」
「久我と花巻」
「花巻はもう伊勢に石を返してしまっているわ。久我には石は無いし」
「ないなら、作ればいいよ」
「龍…」龍をじっと見つめる華織。「有川先生の出発まで3週間ないわよ。間に合うの?」
「おばあさまの助けがあれば…正確に言えば、皆の助けがあれば十分さ。風馬おじさんやグランパ、誠さんや澪ちゃんも、僕の言う通りにしてくれるよう、おばあさまが許可してくれればね」
挑戦的に微笑む龍を、華織は表情を変えずに見つめた。
「わかりました。許可しましょう。私の仲間と手の者は、好きに使ってかまいません」
それだけ言うと、華織は振り返らずに部屋を出て行った。
* * *
華織のマンションから戻った龍は、和江が作ったタルトを手にして、紗由の部屋にやってきた。
龍が自分にお菓子をくれるのは、何か頼みごとがあるときだと紗由は思ったので、大好物のタルトを目の前にしながらも、少しばかり龍の様子をうかがっている。
「おいしいよねえ、和江さんのタルト。ほら、紗由、もうひとつ食べてもいいよ」
「ありがとう。すんごくおいしいね。すもも組のみんなにも、たべさせてあげたいなあ」
「本当に仲いいよね、みんな」
「だって、なかまだもの」龍を見つめる紗由。「ただの、なかよしとは、ちがうの」
「…そうか。いいね、それは」きれいな笑顔の龍。
「恭介くんも、きたしね。なかまがふえたけど、さゆはしんぱい」
「何が?」
「いいの。さゆは、なかまのはなしをきいて、なかまをまもるだけだから」
「守るんだね。そうだよね、仲間だもんね」
「うん。じいじが言ってた。だいじな人を“りよう”する人がきたら、たたかわなくちゃ、だめなんだって」
「そうか…じいじが、そう言ったんだ」
「うん。じいじは、にほんでいちばんえらい人でしょう? 言うこと、きくの」
「そう」
「にいさまは、さゆのこと、すき?」
「うん」
「よかった」にっこり笑う紗由。「じゃあ、だいじょうぶだよね」
「何が?」
紗由はその問いには答えずにタルトを食べ始め、あっという間に最後の一口をたいらげた。
「さゆも、にいさまのこと、だいすき」
* * *
「お忙しいところ、すみません」
男はウォーキングマシーンに乗る有川の横に座り、バタフライマシーンを動かし始めた。
「いや。先ほどはありがとう。さっき私に声をかけてきた男、少々危なかったようだからね。君が間に立って遮ってくれて助かったよ」
「…そういう気配をご理解されているんですね」
「たしなむ程度だよ」淡々と答える有川。
「私の用件は、お電話でお話したとおりです」
「その件なんだがね、事情は少々違うようだよ。私は偶然知ったに過ぎないが、少なくとも彼はシロだ。あと、彼女もね。どちらかと言えば被害者だよ」
「どういうことですか?」
「続きは、地下で話そう」
有川はマシーンを降りると、スポーツバッグを手に取った。
* * *
“ウエスト・ガーデン”の一室では、保が進の入れた紅茶をすすっていた。と言っても、いつも塩谷たちが尋ねてくる部屋のほうではなく、その下の部屋だ。
「今日は珍しく、未那がクッキーを焼きました」進が皿を差し出す。
「ほお。何だか、おみくじで大吉が出た気分だね。で、当の未那ちゃんは?」
「華織さまのお供で花巻さんの家へ」
「“壱の命”を辞めた彼のところへかい?」
「はい。正確には、プラス充くんのところへです」
「何のために?」
「花巻と久我に石を持たせ、西園寺と四辻の石を交えて、有川先生を守るための結界を作るのが最終目的です」
「久我と花巻とは…。花巻はまあ、経験者というか、わかるが、久我はどうなんだい? やっつけ仕事的に石を持たせて、役に立つのかい?
それなら、一条か鷹司の石を使うほうが確実に思えるが。姉さんらしくないな、そういう“面倒くさい”事の運びは」考え込む保。
「龍さまのご指示だそうです」
「龍の?」驚く保。
「はい。今回、有川先生をお守りするのは“探偵事務所”の仕事ですから、龍さまと紗由さまが話し合って、その方向性を決めておられます」
「姉さんは見ているだけなのか?」保が眉間にしわを寄せる。
「今回は実働部隊の一員です。花巻への交渉がうまく行けば、次は久我へ…瑞樹さんたちのところへ話をしに行かれるでしょう」
「交渉というのは、花巻さんに再登板をということだね」
「いえ。充くんに石を与えることと、先々は“命”に。この2点の了承を得に、です」
「義兄さんから聞いてる限り、花巻さんは、とてもそんなことを承知するとは思えないが」
「ですが、怪しい人間が未那の周囲にも現れましたし、向こうから具体的に何か仕掛けてくる前に、オールスター戦で臨む体制を急いで作りませんと。
ですから、充くん自らが、どうしてもやりたいと言い出すよう、撒き餌として未那を同行されたようです」
少し不満げに言う進を見て、思わず笑い出す保。
「ああ、なるほどね。そういうことか。充くんの女性の趣味はわかりやすい。
だが私だったら、先に久我に交渉して、和歌菜さんも同席させて、二枚岩で臨むところだな」
充の誕生会の時に、和歌菜の前に山ほど皿を並べていた彼の姿を思い出した保は、くすりと笑った。
「久我さまは、未那で力が及ばなかった時の最終兵器だと思われます」
「なるほど。ゲーム慣れした世代の考えそうなことだな」
「だが進くん、大丈夫なんだろうか。充くんも大地くんも真里菜ちゃんも、石を使う能力に長けているわけではないのでは」
「紗由さまや龍さま、翼くんや奏子ちゃんの影響を受けて、成長している部分もあるのではないかと。それに、おそらく龍さまは…紗由さまの“写の力”を使われるおつもりでは。
最近、一段とお上手になられていますし。悠斗も、5人が協力して石を使うところを夢に見ています」
「“真似っ子ごっこ”か…」
「保さま。華織さまは、勝算のない作戦に協力はなさいません」
「ああ…それも然りだ」
紅茶をすする保。進も一口飲む。
「ママ…」
眠そうに目を擦りながら、悠斗がリビングに入ってきた。
「悠斗。もう目が覚めちゃったのか。ママは、ちょっとお仕事でお出かけだよ」
「パパ…」
進のところへふらふらと歩み寄って行く悠斗だが、途中でソファーの保に気づくと、目をパッチリと開いた。
「あ! たもつちゃまだ!」駆け寄って、よじのぼる悠斗。
「こら、悠斗」進が叱るが、悠斗は必死で保にしがみつく。
「ゆうとがまもるの!」
「なるほどね…確かに似てる」
「どうなさいました?」
「有川のやつ、無駄に記憶力がいいんだ。進くんが昔、姉さんちの庭で拳法の練習をしていた時のことを突然思い出してね、その子と悠ちゃんの目が似てるって言うんだよ」
「…翼くん並の記憶力ですね」苦笑する進。
「悠ちゃん。パパに似てるって言われたぞぉ」
保に頭を撫でられた悠斗は、うれしそうに言う。
「ゆうとは、パパみたいになるの!」
「ほお。そうか。パパみたいになるのか」
「うん。でもね、パパは、くねくねマンにへんしんで、ゆうとは、かめんらいだーなの」
「な、なるほどね…」保が、横目でちらりと進を見る。
「…この年齢から、親の仕事をきちんと理解しているのは、いいことです」
「ママはね、おうちにかえると、あまえんぼうかめんにへんしんするよ。しんちゃ~ん、て」
「ん? そうなのかい?」
保が聞くと、こくんと頷く悠斗。
「確かにいいことだね、進くん。この年齢から、親の関係性をきちんと理解しているのは」
満面の笑みになる保から目をそむけるようにして、進は小さく咳払いをした。
* * *
華織のマンションから戻った龍は、双子たちに会いに、紗由と共に離れを訪れていた。静岡から上京していた翔太も一緒だ。
「龍くん、紗由ちゃん、せっかく来てもらったのに、ごめんなさい。ちょっと急なお客様なの。10分ぐらいで戻れると思うんだけど…」
慌しげにしている玲香に龍が言う。
「玲香ちゃん、大丈夫だよ。僕たちで双子ちゃん、見てるから。お客様だと、和江さんも忙しいでしょう?」
「そうや。ここは、大船に乗ったつもりで、まかしとき!」
「まかしときぃ!」紗由も翔太の真似をする。
「じゃあ、3人にお願いするわ。今、他のお手伝いさんたちも出かけてるみたいで…」
「いってらっしゃーい!」
紗由が手を振ると、玲香は襟元を整えながら、部屋を出て行った。
「翔太、ごめんね。新学期前の忙しい時に呼び出して」
「ええよ。うちの学校、始業式あさってやし。今日と明日で足らんかったら、また土曜日にくるさかい。なあ、まーくん、まこちゃん」
「あー」
呼びかける翔太に向かって、二人が一緒に声を出すと、紗由がベビーベッドの傍に行き、ガラガラを回してあやし出した。
「有川先生の件は、二人で仕切るんやろ。大変や思うし、俺にできること何でも言うてや」
「うん。ありがとう。僕の計画は電話で話したとおりなんだけどね」
「大地と充んとこに新しく石を、いうやつやろ。“力”のほうは、どないなんやろ。久我はバラバラやな。お父さんの瑞樹はんは、“封の一門”ぽいやろ。大地は“癒”やな。まりりんちゃんは“感”や。どこに合わせた石持たせるん?」
「有川のおじさまの危険回避ということに絞るなら、“封”か“感”になる。今回は、まりりんの“感”だな。翼があげた石をずっと持ってるから、石の扱いも、本人は自覚ないかもしれないけど、けっこうできるはずだ」
「充のほうは? 充自身は、どっちか言うと“感”やなあ。でも、あそこのおじいちゃんは、元々“写”の一門の“壱の命”なんやろ。弥生ちゃんが言うとった」
「うん。“写”のほうが便利かもしれないけど、こっちも“感”で行こうと思うんだ。
まりりんと充くんの、姉御と子分のコンビネーションで、前もって危険を感じ取れるようにしたい」
「なるほどな。森の様子がおかしかったら、すぐにわかる妖精たち、いうことか」
充が作った物語の中での、充と真里菜の役割を思い出し、翔太はくすりと笑った。
「でも、さゆは、みずきおじさまに、あわせたほうがいいとおもう」
「何か、理由があるのんか?」翔太が尋ねる。
「きゅうにおそわれたら、とめられるのは、“封”の人たちだけでしょう?」
「紗由は、何かあると思うわけ?」
「うん。おもうよ。へんなにおいの人がくるかもしれない」
「確かに、学校の周囲をうろついていた奴ら、気になるのは確かだ。
でも、“封”の人間は3代に一人しか生まれない貴重な人材なんだよね。今は純粋な“封”の“命”はいないって、おばあさまが言ってた。コピーするのも大変そうだな…」
「今んとこは、“命”さまみたいに、“写”の一門の優れたお人が、代わりをやってるいうことやな」
「うん。しかも瑞樹おじさんは、弐の位の資質があるとおばあさまが認めたのに、いつまでもちゃんと返事しないし…。そこに焦点を合わせて作戦というのも…」
「じゃあ、ほかの力のひとたちをくみあわせて、おじさまみたくしてください。にいさまは“みこと”になるんだから、してください」
紗由と龍が視線を強く合わせる。
「紗由ちゃん、気持ちはわかるけどな、龍だって、大変なんや。一生懸命頑張ってるんやで」翔太が二人を交互に見ながら言う。
「わかったよ、紗由。そういう方向で作戦を立て直すよ。ただ、僕の言うことも聞いてもらうよ」
「なあに?」
「有川のおじさまの出張期間は、ちょうど禁忌日が何日かあって、僕と翼はその日は部分的にしか動けない。念のために、紗由にもいろいろとコピーさせておくからね」
「龍。紗由ちゃんにコピーさせるのは、あんまりさせんほうが、ええんちゃうか」顔を曇らせる翔太。「“命”でも“弐の位”でもないねんで。大きゅうなるまでに、どないな影響あるんか、わからへんやないか」
「だいじょうぶだよ、翔太くん。さゆはね、しきしゃになるから、ひつようなの」
「指揮者?」
「そうだよ、翔太。確かに紗由は“命”にはならない。でも、力がある以上は、きちんと活用してもらわないと困る。
いろんな力を写せるのなら、できる限りいろんな力を経験して、“命”全体を取り仕切れるぐらいに、なってもらいたいんだ。様々な楽器の演奏者を仕切る指揮者みたいにね」
「それって、機関のやる仕事やろ?」
「おばあさまは、“命”と“機関”の橋渡しをする人間が必要だと思ってる。場合によっては、“命”と他の勢力の橋渡しもね。
西園寺家には、外部と折衝する役目の人がいるようだけど、他の“命”が必ずしもそれを持ってるわけではないみたいだし」
「紗由ちゃんが、その役目をするんか?」驚く翔太。
「そうだよ。さゆがするの。みんなの力がわかって、みんなのきもちがわかったら、できるでしょう? いまもね、あっちこっちに、おみみつけて、ふーん、ふーんて、聞いてるの」
「紗由ちゃん…」
「だって、みんなのきもちがわかるのは、だいじだよ。さゆは、せいりゅうのおかみになるし、おきゃくさまは、いろんな人がいっぱいでしょう? はたらく人のきもちも、だいじだし」しっかりと頷く紗由。
「そう。だから、紗由にとっては、翔太のお嫁さんになるための練習なんだ。それが結果として、僕やおばあさまの役にも立てば、まあいいかと思ってる。なあ、紗由」
「うん!」
「…わかったわ」溜め息をつく翔太。
「それで、石はどうやって探すん?」
「誠さんにお願いする」
「さゆたちが、これからあいにいくの!」
「これから?」
「手品教室なんだってさ。充くんのたってのお願いなんだ。今日で2回目だよね」
「うん。きょうから、きょうすけくんもいっしょ」
「そうか…。俺たちも行くんか?」
「いや、紗由たちだけで。あまり大勢で動くと目立ちすぎるからね。それに僕たちは他にすることがある。翼から報告も聞かないといけないし、大地も呼んで、こっちはこっちでミーティングだよ」
「で、問題はここから」龍が難しい顔になる。
「どないしたん」
「おばあさまは、きまぐれなおんななの」紗由がゆっくり頷く。
「僕に指揮権くれたのはいいんだけど、“私は受け取るつもりはないから、おまえが全部何とかしなさい”って言い出したんだ。
おまけに、“私のほうは回線切っておくわ”って。だから、相談したいと思って、翔太を呼んだ」
「“受け取らない”とか“回線切る”って…そないなこと、できるんか?」驚く翔太。
「正確に言うと、受け取らないわけじゃなくて、ネットワーク回線を使えなくするんだよ」
「他の“命”たちと繋がってるネットワークを?」
「うん、そう。おばあさまが新しく作った“命”と機関のシステムは、便利なことも多いけど、一歩間違うととんでもなく危険だ。“命”たちが善人であることが前提のシステムだからね」
「確かに、そうやな。“命”や“機関”の人間の傍に悪いやつがおらへんとも限らんし、まだ子どもの“命”もおるやろうし、ほかの一派もおるかもしれんしな。わざとやのうても、秘密漏れることもありそうや。ある意味、正しいやり方かもしれへんけど…」腕組みする翔太。
華織が周囲の“命”や関係者と共に新たに作り上げたシステムでは、“命”たち同士の連絡は、顔見せなしという条件の下、自由に行えるようになっていた。
だが、このネットワークを敷いたために、“受け取った”時に他の“命”にその内容が悟られる可能性も高くなり、秘密保持という点では“命”たち全体が運命共同体とも言える状況だった。
「んで、その“回線を使えなくする”いうのは、どないにするんや?」
「かなこちゃんみたいに、するんだよ」紗由が答える。
「ああ、そういうことか。音量を目一杯上げて、他の“命”たちに聞こえへんようにするわけか」
「うん。そういうこと」
「かなこちゃんはね、おばあさまが、“ちょっとやってみてくれるかしら”って言って、ちょっとやったら、すぐできちゃったの。それから、ずーっとできるの」紗由が自慢げに言う。
「すごいなあ、奏子ちゃん。さすがは四辻のお家の子や」
「紗由もけっこう出来るよ。今は人前でやらないようにって言ってあるから、しないけど」
「でも、“命”さまは回線使えなくして、どないするねん。よけいなこと聞かれんですむけど、有川先生を守るのに必要な情報が取れないやないか。個人的なことで、細かいことは龍かて受け取れへんのやろ?」
「うん。それに僕が接触できて、協力してくれる“命”は、おばあさまと誠さんだけだからね。誠さんが受け取った吉事から、凶事を判断して、おじさまを守らないといけない」
「ハードル高そうやな…」
「でも、何とかしないとね」
「うーん」
翔太が再び腕組みをして考え込む傍らで、気づくと紗由はまた、双子たちのところへ行ってガラガラを回し、楽しそうに笑っていた。
* * *
紗由が、誠の家に行く支度をして部屋に戻ると、翔太が双子たちをあやしているところだった。龍は電話中で、相手は誠のようだった。
「翔太くん、さっきはありがとう」
「ん?」
「さゆのこと、しんぱいしてくれて」うれしそうに笑う紗由。
「当然や。紗由ちゃんは、俺のよめはんやからな」
「ふふ」さらにうれしそうな紗由。
「龍のことやから、大丈夫やとは思うけど、何か気になることがあったら、すぐに俺に言うんやで」
「うん」
「今回は、ちょっと複雑なことになりそうやからなあ…」しばし顔を曇らせる翔太。
「だいじょうぶだよ。“ふくざつ”っていうのはね、ちょっとずつほどくと、“かんたん”になるんだよ。とうさまが言ってた」
「ほどく?」
「うん。あのね、このまえ、たろちゃんが、毛糸であそんでて、こんがらがって、たいへんだったの。くびがしまりそうになって」
「危ないなあ…」
「とうさまと、かずえさんが、たろちゃんをおさえて、さゆが、いい子いい子して、かあさまが、毛糸をちょっとずつほどいたの。
こんがらがってるときはね、いっぱいに見えたんだけど、ほどいたら、いっぽんになったの。それとおなじでしょう?」
「まあ…そうやな」
「さゆは、ちょっとずつほどくの。みんなといっしょに」
「そこや。今回は皆で一緒に、同時にいろんなことをせなあかん。ほどくつもりで、こんがらがらせてしまうかもしれん」
「うん。だから、ほどくのは、にいさまひとり。あとは、おさえてるかかり」
「そうか。大勢で封じて、その間に力の強い人間が何とかすれば、ええいうことか…。紗由ちゃん。それ、龍が言ったんか?」
「ううん。さゆがかんがえたの。にいさまには、まだ言ってない」
「何で言わへんの?」
「にいさまは、じぶんできめたいんだもん。おばあさまには言ったけど、ああしなさいとか、にいさまに言ったらだめよって言われた」
「うん…まあ、そうやろうけど…いい手だと思うがなあ」
「でも、翔太くんが言えば、いいなあって言うかもしれない。にいさまは、翔太くんのこと、いちばんのなかまだとおもってるから」
紗由はそう言うと、電話を終えた龍のところへ行き、行って来ますと手を振って部屋を出た。
* * *
“すもも組”のメンバー5人は、誠の家に到着するやいなや、目の前で次々と繰り広げられるマジックに夢中で見入っていた。
「うわあ。サイコロが大きくなったよ!」
「あ。また、小さくなった!」
「おはなが、でてきた!」
「こんどはコップ! わあ、いっぱいだあ」
「はい。ジュースが出てきました。皆さん、どうぞ」
誠が言うと、5人は元気よく「はい!」と返事をして、ごくごくと飲み干した。
「うわあ、おいしいね。さゆちゃん、これ、きっとまほうのジュースだね」
真里菜が笑うと一同が大きく頷く。
「そうだよ。魔法のクッキーも用意したからね」
誠がサイドテーブルの上に一瞬でクッキーを取り出すと、5人はさらに目を輝かせてクッキーを頬張った。
「おいしいねえ…」紗由がうっとりするように笑う。
「よかったよ。みんなに喜んでもらえて」
「あ、そうだ。おにいさん。さゆたち、きょうは、だいじなごようじがあるの」口の中のクッキーをごくんと飲み込む紗由。
「何だい?」
「まりりんとみつるくんにも、いしがほしいです。ありかわのおじさまを、まもらないといけないから」
「石か…」
「誠おにいさんなら、ふたりにぴったりのいしが、だせるでしょう?」
「マジシャンだものね」真里菜が期待に膨らんだ目で誠を見上げる。
「よろしゅうおたのみもうす」深々とおじぎをする充。
誠は腕組みしてうつむいたが、しばらくすると、ふいに部屋を出て行った。
「あれえ。おにいさん、行っちゃった…まりりん、いしもらえないのかなあ」
しょんぼりする真里菜を皆が励ましていたところ、誠が部屋に戻って来た。手にはスーツケースがある。
「まりりんちゃん、充くん。ここから好きな石を選ぶといい」
言われた二人は、さっそくケースの中を覗き込む。
「わあ。みんなきれい…」
「おお。びゅーちほーでござる!」
「選んだ石を華織さんに見てもらって、OKなら、それをあげよう」
誠は、そう言ってソファーに戻ると、石を選ぶ二人と、その傍らでやはり熱心に石に見入る奏子の様子を見つめた。
「おにいさん。あのね、いしがOKかどうかは、にいさまがきめるの」紗由が誠の隣にちょこんと座る。
「龍くんが?」
「うん。にいさまが、たいちょうだから」
「…そうか。わかったよ」微笑む誠。
「ぼくも…ほしい…」
恭介が誠の横に来て袖を引っ張りながら、声を詰まらせる。
「ん? どうしたんだい、恭介くん」
「ぼくも、いし、ほしい」涙目で誠を見上げる恭介。「だって、だって、ぼくのおじいちゃんなのに、ぼくだけ、おじいちゃんをまもるいしが…ない」
恭介は、やっとそれだけ言うと、わんわんと泣き出した。
「恭介くん…」
泣き声に反応して、石を見ていた3人も恭介のところへやってくる。
「どうしたの?」覗き込む真里菜。
「きょうすけくんも、いしがほしいって…」
紗由が言うと、真里菜、奏子、充が誠をじっと見上げた。
「あー、うん、困ったなあ。恭介くんに関しては、僕が勝手に決めるわけにはいかないんだ」すまなそうに言う誠。
「まってて。いま、にいさまにきくから」
紗由はすたすたと窓際に行くと、そこにあった椅子によじのぼり、座って目を閉じた。
真里菜、奏子、充は、その様子を静かに眺めているが、恭介はわけがわからず不思議そうに眺めている。
「…つながらない」紗由は不機嫌そうに言うと、椅子を降りた。
「どうするの、さゆちゃん。龍くんがいいって言わないと、だめなんでしょう?」
真里菜が聞くと、紗由は奏子に向かって言った。
「さゆは、きょうすけくんにも、いしをあげることにする。もし、にいさまがおこったら、かなこちゃんが、いっぱいチューして、“まあまあ”って言ってね」
「わかりました」うれしそうに笑う奏子。
「あとね、おばあさまをみかたにしないといけないから、みつるくんは、グランパのことを、いーっぱいほめて」
「おまかせくだされ!」
「まりりんは、なにすればいいの?」
「えーとね…にいさまがおこったら、だいちくんに、ふわふわぁってなるように、してもらって。あれすると、みんな、おこれなくなるから」
「わかった!」
「誠おにいさん。もうだいじょうぶなので、きょうすけくんにも、いしください!」
キリッとした表情で言う紗由に、誠は笑いをこらえて頷いた。
“実に優秀な司令塔だな”
「わかったよ。恭介くんも、好きなのを選ぶといい」
「ありがとう!」
恭介は笑顔でスーツケースのところへ走って行った。
「よかったねえ。みんな、いしができて」
真里菜が自分で選んだ大粒のルビーをかざしながら言う。
「そうでござるな。よかったでござる。なあ、きょうすけどの」
充が頭の上にチベットメノウを乗せ、両腕を広げながら、ゆっくり歩き出すと、恭介は両掌でブルートパーズを楽しそうに転がしながら、何度も頷いた。
「誠おにいさん。さゆたち、おれいに、さるかにがっせんをやります!」
「猿カニ合戦? 学芸会でやるのかな?」皆に微笑みかける誠。
「まだ、れんしゅうちゅうでござるが。みなのもの、ごよういを」
充が指示をすると、まずは紗由がリュックから、ベージュ色をした円柱形のものを取り出して帽子のようにかぶり、首を傾げて可愛くポーズを取った。
「さゆちゃん、かわいい!」真里菜が叫ぶと、奏子も大きく頷く。
「それは…臼…かな?」
「はい、そうです」奏子が返事をする。
「可愛いねえ」
誠が目を細めると、他の4人も同様のものを頭にかぶる。
「皆…臼なのかい?」まじまじと5人を見る誠。
「ちがいます」
キッパリと答えた真里菜は、バッグから何か取り出し、“臼”の左斜め前に、それをペタンと貼り付けた。奏子、充、恭介も同様に何かを“臼”に貼り付ける。
「まりりんは、ハチです」クビを傾ける真里菜の“臼”には、ハチのフェルト人形が付いている。
「かなこは、カニさんです」
「せっしゃは、サルでござる。うっきぃー」
「あはは! みつるくん、おもしろいね。あははは!」
恭介が大笑いすると、真里菜がキッとにらむ。
「えーと…ぼくは、くり」恭介が、あたふたと人形をくっつける。
“臼”には、それぞれ役のフェルト人形がついていて、どうやら“臼”の紗由以外は、それで役どころを表現しているらしい。
「ははは。皆、基本は臼なんだね」
「さゆちゃんが、さいしょに、うすをかぶったら、みんなやりたいって言って、せんせいが、みんなはできないって言ったら、みんなないちゃったの」
「それで、まりりんが、いいことかんがえたんです」
「うすにみえて、うすでないでござる。あねごは、てんさいでありんす」
「なるほどね…」
「じゃあ、はじめます」
紗由が言うと、一同は所定の位置に付いた。
「マドモアゼルかに子さん。そのおにぎりと、このかきのたねを、とりかえないカニ?」
充が奏子に茶色い楕円形のお手玉を渡す。奏子の手には、紗由が和江に作ってもらった、おにぎりを模したお手玉がある。
「あはは! みつるくん、おもしろいね。あははは!」
「ちゃんとやって!」恭介をにらむ真里菜。
「ハチがこわい…」恭介がべそをかく。
「あ。カニさん、しんじゃった!」臼の紗由が叫ぶ。
言われて誠が奏子のほうを見ると、奏子は床に倒れこみ、頭の臼についているカニのフェルト人形を一回り小さいもの2つにはりかえた。
「こどものカニになりました」立ち上がる奏子。
“展開早いな…”
誠は頭の中であらすじを反芻した。
“確か、サルが柿の種を、カニの持ってたおにぎりと交換させて、カニが育てた柿の木から実を独り占めして、カニは柿をぶつけられて、子ども産んで死ぬんだよな。子どもたちが、臼、蜂、栗と一緒にサルに敵討ちをして…”
「じゃあ、これから、サルをたいじします」
紗由が号令をかけると、真里菜が充をキックし始めた。カニの奏子も、えんりょがちに、腕をつつく。
「そこのクリ。なに、さぼってるの!」
真里菜が険しい目で見ると、恭介は後ずさりする。
「クリどの。はやく、やってクリクリ」
「あはは! みつるくん、おもしろいね。あははは!」
また馬鹿笑いを始める恭介に、真里菜の怒りは沸点に達したようで、サルへの攻撃の手を休め、その矛先が栗へと向かった。
逃げ惑うクリ。そしてその横では、臼の紗由が、うつぶせになった充の背中をベンチのようにして、座っている。
「あの、うすが、サルをたいじしたので、これでおわります」
奏子がぺこんとお辞儀をすると、一同はさっと一列に並び、誠に一礼した。
「え?」
戸惑う誠を見つめる一同。
「あ…すごいね。すごく面白かったよ。うん」半分納得がいかないながらも、思い切り拍手を始める誠。
「さゆちゃん、よかったね。おにいさんに、よろこんでもらえて」奏子がうふふと笑う。
「うん。あとは、まりりんと、みつるくんと、きょうすけくんの、いしのれんしゅうだね」
そう言うと、紗由はリュックから小さなフォトアルバムとマジックを取り出し、誠に差し出した。
「いしのコーチになってもらう、おれいです。すきなタイプに、まるをしてください」
誠がパラパラと中身をめくると、20代と思われる女性の顔写真だらけだった。
「これは…?」
「まりりんが、かわいいひとを10人えらびました」真里菜が自慢げに言う。
「マルしたら、どうなるの…かな?」
「かなこが、おはなをまくかかりをします」照れたように笑う奏子。「たのしみです」
「よかったね、かなこちゃん。さゆちゃんは、もうやったし、まりりんも、りおちゃんのときにするし、かなこちゃんだけ、まだだったもんね」
「うん。かなこ、うれしい」
「もしかして…これはお見合い候補者ということなのかな?」
真里菜の祖母、和歌菜がお見合い魔だったことを思い出した誠は尋ねる。お花を撒く係というのが、どうやらフラワーガールを指しているということも理解したようだ。
「くわしいことは、またごじつって、おばあちゃまがいってました」
「いや、あの、まりりんちゃん。せっかくなんだけどね、お兄さん、まだそういうの、いいから」
「かなこが、おはなまくかかりだと、いやですか?」見る見るうちに奏子の目が涙であふれそうになる。
「い、いや、そういうわけじゃなくてね…」
「じゃあ、おばあちゃまに、またごじつって、いっておきますね」
「そ、そうだね…ありがとう…」引きつった顔になる誠。
「かなこ、なにいろのドレスにしようかなあ」奏子がまたニコニコ顔になる。
“まあ、いいか…。奏子ちゃんもこんなに喜んでるし、今、水を差すのも何だ。後でちゃんと説明することにしよう”
とりあえず、この場を納めるべく、“ありがとう”などと口にしてしまった誠だが、翌日、和歌菜が釣り書きを山ほど抱えてやってくることは“受け取れず”にいたのだった。
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