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🎹映画 あの日のオルガン

悲惨なニュースが目に入る
緊張の毎日が続いています。
3月11日は東日本大震災から11年。
そして、その前日3月10日は東京大空襲から77年でした。
災害も戦争も決して他人事ではなく、
これから一体どうなるのかしらと不安な
思いにかられる瞬間もあります。

そんな悲観的な思いを打ち消す勇気は、
時として小説や映画から与えられます。
その一つがこの『あの日のオルガン』です。





久保つぎこ氏による
ノンフィクション『君たちは忘れない疎開保育園物語』
(1982年11月に草土文化より刊行)は
『あの日のオルガン 疎開保育園物語』と改題され
2018年7月に朝日新聞出版より再刊。

2019年2月に『あの日のオルガン』と題して
平松恵美子監督・脚本により映画化され
公開されました。


太平洋戦争末期に空襲を避けて
東京・品川の戸越保育所と東京・墨田の愛育隣保館の
2つの保育所の保母11人、園児53人が
埼玉県南埼玉郡平野村(現蓮田市)の無人寺・妙楽寺へ
集団疎開したの「疎開保育園」の実録が、
関係者への取材に基づいて克明に綴られています。

あらすじ

第二次世界大戦末期、
警報が鳴っては防空壕に避難する生活が続く1944年、
東京品川の戸越保育所では、
保母たちが保育所の疎開を模索していました。
まだ幼い子どもたちを手放す不安、
迫りくる空襲から子どもたちだけでも助けたい、
と意見の分かれる親たちを保母たちが必死に説得しました。






自分たちの食べ物にも事欠く時期に、
子どもを受け入れてくれるところはなかなかありませんでした。
やっと埼玉に受け入れ先の寺がみつかりますが、
そこは酷い状態の荒れ寺でした。

徹底したお掃除をして、手を入れて
なんとか疎開生活をスタートしました。

しかし、若い保母たちと幼い園児たちを待っていたのは、
毎日わき出てくる問題との戦いの日々でした。

家が恋しい思いからのストレスで毎日のように
夜尿をする子どもが続出します。

それでも若き保母たちは子供たちと向き合い、
毎日ひたむきに励ましあいながら奮闘していました。

そんな彼女たちにも空襲の影がせまってきます。
「子どもに文化的生活をさせたい」
という思いで必死に守る楓主任先生、
子どもからは慕われているけど、
まるで子どもと同じように手間のかかる新米のみっちゃん先生。






そして、東京大空襲の夜、悲劇が襲いました。
家族が空襲で命を落とした子どもが何人もでき、
一家全滅で一人だけ生き残った男の子もいました。
終戦を迎えて、
それぞれお迎えが来る中、
その男の子は両親でなく
親戚に引き取られていきます。

やがて、最後の子どもが家族の元に戻って、
ようやく疎開保育園は閉園しました。


生命を守る

私は疎開保育園というものがあったことを知りませんでした。
戸越、墨田とどちらも馴染みのある地域の保育園ということで、
特別思い入れがありました。


4歳の孫を見ていると、
この年齢のこんな小さな子どもを
手放さねばならない親の気持ちもよくわかりますし、
また、何としても子どもたちを守ろうとする先生の
気持ちも理解できました。

映画では主任の楓先生を演じた
戸田恵梨香さんにすっかり
感情移入をしてしまった私でした。


テロップで53人の子どもたちは生き残り、
今でもなお、親交を深めているということを知りました。




生きていることは素晴らしいことだと思います。
あの戦後の焼野原から立ち上がり、
明日を信じて一歩踏み出した祖父母から、
もっときちんと話を聞いておけばよかったと
今になって思います。

私の生まれる10余年前には、
まだ戦争をしていたという事実に愕然とします。
「もはや戦後ではない」と言われた時代に育った私。
辛い過去を忘れることは大切ですが、
忘れてはいけないことまで消し去ったしまったら、
また同じ過ちを犯してしまう危険があります。


2年も続く感染症対策で理由も何も分からず、
自粛させられいる子どもたちを見ていると、
いつでも、どこでも、
一番弱いところにしわ寄せがいくなあと思います。
ちゃんと守ってあげることができる大人になっているかしら…
おばあちゃんの年になって、
いえ、なったからこそ、わかることもあるんのですね。


子どもたちの命を守り抜いた保母さんたち
なんて清々しい笑顔なのでしょうか。

この世界に生きる子どもたちの命が
守られますようにと祈ります。






#あの日のオルガン
#東京大空襲
#集団疎開

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