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秋の立科へ⑥ 残照館


豆 cafe enjyu で無言館の場所を確認して、
外に出るともう陽が傾きかけている時間でした。
14時前にはお店に入ったので
1時間半も滞在したことになります。
ずいぶんゆるりと過ごしたものです。

17時閉館の無言館に早くいかないとと、
無言館を目指して歩き始めましたが、
お隣りの残照館に心が惹かれて、
中に入りました。


そこは残照館という建物で、
無言館の入場券があれば、
無料で入場できると書いてありました。

また、詩人・建築家・画家でもある
1939年に24歳で夭逝した詩人立原道造の足跡を
たどるという記念室もあります。

中に入ると、
白髪の80歳くらいの男性が
こちらへ歩いてきて、受付に入りました。


「すみません。私たちこれから無言館に行くのですが、
ここで入場券が買えますか?」
「ここでも買えるよ。この入場券があれば、ここはみれるよ」

「あの、無言館はどれくらいの時間で回れますか?」
「一日かかる人もいれば、すぐに出る人もいるよ」

話をしながら、
強いオーラを感じました。

そして、展示室に入った途端、
全く予想していなかった衝撃的な感情が私を包みました。
なんでしょう!この感覚。



壁のパネルが眼に入りました。



 2018年39年8ヶ月にわたって営んできた
私設美術館「信濃デッサン館」を閉館した。
コレクションの大半を長野県に寄贈詩、
一部を購入してもらった。
いらい、私は空っぽになったこの建物に近寄るのもつらかった。
自分で建てた美術館、自分であつめた絵を喪うことが、
こんなにも
哀しく淋しいものかと知った。
 このたび私は、その淋しさからのがれるために、
館名を「残照館」とかえて、
手元に残った絵をならべて再開することを決意した。
病をかかえた八十歳近い老人が、
アト何年この館を運営できるかわからないけれど、
好きな絵に囲まれて死ぬのなら幸せだと思った。
 私は芸術がわかって絵をあつめた人間ではない。
「何も誇れるもののない自分」を、
「画家がのこした絵の魂」のそばに置くことによって、
一人前の人間になりたかったというのが動機だった。
「信濃デッサン館」の絵は、新しく建つ県立美術館で観てほしいが、私にのこされた貧しい残りもののコレクションにも眼を凝らしてほしい。
 「残照館」とは、いつのまにか日暮れのせまった道を歩く男の感傷から生まれた館名で、
KAITAEPITAHは、私が半生を賭けて愛した大正期の夭逝画家村山槐多の「墓碑名」を意味している。
                 2020年6月吉日 
              「残照館」館主 窪島誠一郎


パネルを見ていて、

「あ、あの方が館主の窪島さんなんだ!」
と悟りました。

受付に座る窪島さんに
「窪島さんでいらっしゃいますね。
 ここはすごいですね。
 何にも知らないできてしまいましたが、
 なんか感動しました」
と言ったら
「そんなこと、とってつけたようにほめなくてよろしい」
と言われました。

そう、女学校時代の先生を思い出していました。
ちょっと気難しいそうに見えるけど、
繊細で、本当に心の温かだった先生。

100年前のスペイン風邪で亡くなった
村山槐多、エゴン・シーレ。






椅子に腰掛けて絵を眺めていたいと思いました。



病をかかえながらも、今を生きる窪島さんのもとには
多くの若い方も相談にきているそうです。
お隣のカフェ、山にあるお寺、お地蔵さん、
ここは「癒し」と「再生」の磁場があるのです。

後で調べたら、
残照館開館日は毎週土、日、月。
11時から16時。受付には窪島誠一郎さんが
できるだけ座っていらっしゃると
わかりました。



何も知らないで、
フラッと立ち寄ったのではなく、
やはり大きな力によばれていたのです。

そして
いよいよ無言館へと向かいました。



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