見出し画像

🥢ひと味違う レストラン久右衛門🥢


10分前まで土砂降りの雨が降っていたという昨日の夜、
涼風のお迎えを受けて、久右衛門さんの玄関に入りました。

優雅な日本庭園



「女神湖夏至祭」ワークショップの成功を
お祝いしての会食。
ずっと楽しみにしていました。

このところの○○○感染拡大で
夜の会食は控えていましたが
ここは自然に溢れた里山にあるので
安心です。


ちょうどお店に向かう車の中で
夕方の日テレ 
ニュースエブリイで放映されているのを見る!という
絶好のタイミング。


レストラン久右衛門


レストラン久右衛門は東戸塚から
車で10分ほどの場所にあります。
600坪の敷地を擁する古民家を改装した落ち着いた雰囲気で、
回廊に囲まれたお座敷に案内していただくうちに
まるで時間を超えいくような気になります。

ゆったりとしたお部屋


アルコールなしの会なので
まずはノンアルコールカクテルで乾杯。

ノンアルコールカクテル 名瀬ブルー




お料理は見た目も美しく
お味も最高です。

一口アミューズ


前菜2
サーモンとほうれん草のキッシュ
初ガツオのマリネ 和風タブナード


里山の一皿
和風ジャーマンポテト
絶品パンと風味豊なオリーブオイル
魚料理
鮮魚と天使にエビのソテー アンチョビソース
肉料理
和牛ランプのステーキ シャリアピンソース
食事
しらすの焼きおにぎり 出汁茶漬け
デザート3種盛り合わせ
ゼリー。ローズマリーのアイス、バスク風チーズケーキ
ミニャルディーズ
ショコラ房特製チョコレート



そして一番素晴らしいのは
ここは、障害を持った方たちが就労していることです。



ショコラボのチョコレート


マリゴールドの魔法のイベントには欠かせない
ショコラ房のチョコレート!
一粒ひと粒に愛情のこもったチョコレートは
いつも大好評!





一般社団法人AOHは伊藤紀幸会長が2012年に創立しました。
横浜市営地下鉄センター南駅近くのチョコレート菓子工房
「ショコラボ」を運営しています。

わたしは工場とお店を見学に行きましたが、
白衣姿のみんなが熱心に生き生きと
チョコレートを作っている姿に感動。
働く喜びが感じられました。

福祉施設に作るお菓子は
地域のバザーなどで販売されることが多いのですが
ショコラボのチョコレートは
デパートやホテルのような高級な場所で販売されています。

お菓子作りを担う障がい者50人は
一般の約2.5倍に当たる
毎月約40,000円の賃金を得ることができます。

法人設立のきっかけは、
知的障害のあるご長男が得る賃金の低さを知り、
1人でも多くの障がい者や、
関わる人が自立できる仕組みを作りたいと思ったことです。

そう思う人は決して少なくないと思います。
伊藤さんのすごいのはここからです。

外資系信用格付け会社を退社して
2012年にショコラボを始めました。


そして、本格料理の提供と
障がい者の収入アップの両立を目指し、
古民家を約3年をかけて改装し、
2022517日に
グランドオープンしました。


食べておいしいだけでなく、社会貢献にもなるレストラン


「障がい者の活躍の場をもっと広げたい」
と考えていた伊藤さんは先祖代々受け継いできた
古民家の維持に悩んでいた近藤一美さんと
運命の出会いをします。

店の運営や調理は近藤さんの会社が支援し、
障がい者の皆さんが調理や接客、
お庭の手入れを担当します。

レストランの収益は全額障がい者の賃金となり、
まずは月50,000円、
ゆくゆくは月100,000円を目指します。

素敵な日本庭園を眺められるお部屋で
フレンチ中心のお料理は
地元の採れたて野菜をふんだんに使ったものです。

春には裏山で採った筍も
メニューに並んだそうです。

少し前には源氏蛍、
平家蛍も見ることができたそうです。
車椅子に乗ったお嬢さんが
いらした時は、
奇跡のように
蛍が10匹ほど近くまで飛んできて
大喜びされたというお話を聞き
なんとも温かな気持ちになりました。

地域の共生の居場所でありたいと願い、
障がい者たちも個々の特性を活かして
スキルを高め、自立につながればという思いの
伊藤会長。

久右衛門邸の歴史

お食事を楽しんだ上に
伊藤会長の「久右衛門邸の歴史」を
伺うことができたことは幸いです。

久右衛門邸の名前は御所有者の一族、
近藤家の当主になる方が久右衛門と名乗り、
代々受け継がれてきたことに由来しています。

竣工したのはなんと1836年。天保7年です。
天保は1830年から1844年までの14年間ですが、
江戸幕末将軍として11代将軍の家斉と
12代将軍の家慶が在任しました。

この家斉という将軍は特定されるだけでも
16人のい妻妾をもち、
男子26人・女子27人をもうけますが、
政治にはほとんど興味がなく
天保の大飢饉もあるような社会は混乱していました。

皆様ご存じの鼠小僧や、南町奉行遠山の金さんが活躍した時代です。
天保8年には大阪で大塩平八郎の乱が起こり、
さらに呼応するようにあちこちで反乱が起きました。

幕藩体制に崩壊の兆しも見え、
対外的にはモリソン号事件を筆頭に、
多くの異国船が入ってきて、
政治は混乱状態になっていきました。

1859年(安政6年)鎖国政策は解かれ、
横浜、長崎、函館、神戸、新潟と次々に開港していき、
日本から欧州に向けて大量の生糸が輸出されるようになりました。

これには訳がありました。
フランス・プロヴァンス州で1840年に蚕の微粒子病が流行り出し、
病はフランス全土に広がり、
1852年には欧州全土を覆い尽くしてしまいました。
その結果、生糸の原料不足が深刻となりました。

しかも、中国(清国)では1856年アヘン戦争が勃発して、
上海貿易が停止してしまいます。
そこで一躍脚光を浴びたのが日本の良質の生糸でした。

そこで西欧の商人たちはこぞって開港間もない横浜に殺到し、
そして近藤家は養蚕を家業にしていきました。

戸塚という宿場町


東海道五十三次の宿場町は
品川・川崎・神奈川・保土ヶ谷・戸塚・藤沢と繋がっていきます。
日本橋から戸塚までの距離は1018町(約42キロ)と言われています。

時速4キロとすれば10時間。
泊まるにはちょうど良い距離でした。
当初、保土ヶ谷の次ぎは藤沢でしたが、
だんだん戸塚に宿屋が増え、
藤沢の猛反対を押し切る形で幕府公認の宿場町となりました



伊藤会長の「講義」は30分以上ありましたが、
神奈川宿に住むわたしとしては興味深く
素晴らしい時間となりました。

お庭にはバリアフリーの道で行かれます


テレビで紹介されたので、
当分、予約が取りにくいかもしれませんが
ぜひ、一度お出かけください。


上質な「大人の遠足」

ここのチャペルでライブもできそう!
わたしの夢の種は蒔かれました。

ここで結婚式したい方、ぜひ!


素敵な花が咲きますように。

#古民家レストラン
#東戸塚久右衛門
#ショコラ房
#障がい者就労支援
#地域との共生

この記事が参加している募集

ご当地グルメ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?