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💌 12年前の手紙💌

昨日、久しぶりにFBの「過去の思い出」を見ました。

2012年2月8日に投稿していた記事が上がっていました。



15歳の男の子から手紙が届きました。
「こんにちは。私は高校1年の男子です。3月11日は中学校卒業式の前日でした。私達は卒業式の準備のされた紅白の幕の張られた体育館で避難所暮らしをしました。
私は母と二人暮らしです。津波は私の家、母の妹の家、母の実家の家、すべてを飲み込んでしまい、どこに行くあてもなく、高校進学ということもあり、東京の親戚が私のことを心配してくれ、東京に来る車があるからと手配をしてくれ、私は一人東京に避難しました。
母は今後のこともあるからと南三陸に残りました。
冬休みで母の住む仮設に戻ると3月11日の時来ていた服で戻った私の姿を見て、母がゴメンね!と申し訳なさそうに話しました。でも母が私にバッグを差出し、『あなたはね。何のの支援も受けなかったから、これがクリスマスプレゼントだよ。』と言われました。とてもうれしかったです。私はすぐに使いはじめました。すごく使いやすくてよかったです。本当にありがとうございました。大切に使います。」
何度も何度も読み返しました。どんなに大変な思いをしたか私には想像もつきませんが、小さなことに、感謝する気持ちを伝えてくれる心に感動しました。お手紙が届くと、お返事を書きながら、物資だけでなく、温かな心を贈りたいと思います。感謝の気持ちをもって前に進む青年たちは、この国の希望です。「会社、頑張ってください」という言葉に励まされて、また、東北を支援するために、いろんなことに挑戦しようという意欲がわいてきます。みんなで一緒っていいですね。

2011年3月11日に東日本を襲った地震と津波・・
東日本大震災と名前がつきました。

この日私はタイチェンライでニュースを聞いたものの
翌日からさらに山奥の村に行ったので
なんの情報も入らず、
気を揉んでいました。

帰国して第二のわが故郷と思っている
いわき市が大変なことになっていることを知り、
東北の教会や知人のつてを通して
支援の輪に加わりました。

気持ちはあっても何をどうすれば良いかわからず。
とにかく現地からの指示に従って
支援物資を送りました。


ファッションバッグ製造会社の専務をしていた私は
その時は夫だった社長と協議して
被災された方々に
リュック、ショルダーバッグ、
ポーチなど、
実用的なものから
可愛いレースのフリルのついたバッグまで
色々な種類のバッグを送りました。

300本以上は送ったと思います。
そのうち、会社にお礼状が届くようになりました。

全てを流され、最悪な状況の中でも
希望を持つことを忘れず、
感謝の気持ちを伝えることができる・・・
これはなんと素晴らしいことでしょうか。

私はいただいた手紙を読み
涙が止まりませんでした。

11年の歳月が流れました。

私は会社を退職し、
その会社も昨年廃業しました。

27才になった彼は、
今、どこで何をしているでしょうか・・・

お母さんを助けて、
しっかり生きていると思います。


多くの若者が希望を持って
人生を生き抜くことができるように
私たち大人は誠意を持って
見守っていきたいと思います。

#感謝の思い
#東日本大震災
#手紙





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