見出し画像

松代へ ❶ 皆神山

【松代に行ってみたい】

松代に行ってみたい…

1994年毎日新聞社主催の懸賞論文に応募して、入賞し、如水会館での授賞式の日にお目にかかった真田家の末裔の
よしこさんと松代のお話を聞いた記憶が浮かんできました。
(この懸賞論文のことは後日書きたいと思いますが、今は先に進みます。)

せっかく涼しい高地にいるの松代に行くとは…ということなど
すっかり念頭から外れていました。
行ってみたら、確かに暑いです。

【佐久間象山を知っていますか?】

地元の名士佐久間象山を祀る象山神社を見学しますが、
幕末に活躍した兵学者・朱子学者・思想家で暗殺された…
という記憶しかなく、
後で調べて、横浜とのつながりも深い事を知りました。

嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀に来航した時も、象山は藩の軍議役として浦賀の地を訪れた。この報告は江戸幕府老中阿部正弘に『急務十条』として奏上され、この機に松陰に暗に外国行きを勧めたとされる。
嘉永6年6月4日、浦賀に急行し、6月6日まで滞在し、同地で門人の吉田松陰・津田真道らと和戦の得失を論議した。
嘉永7年(1854年)、門弟の吉田松陰が再び来航したペリーの艦隊で密航を企て失敗するという事件を起こした。松陰から相談をもちかけられた象山もこの事件に連座し、伝馬町牢屋敷に入獄する羽目となり、さらにその後は文久2年(1862年)まで、松代での蟄居を余儀なくされる。

元治元年(1864年)、象山は一橋慶喜に招かれて上洛し、慶喜に公武合体論と開国論を説いた。しかし当時の京都は尊皇攘夷派の志士の潜伏拠点となっており、「西洋かぶれ」という印象を持たれていた象山には危険な行動であった(しかも京都の街を移動する時に供も連れなかった)。7月11日、三条木屋町で前田伊右衛門、河上彦斎等の手にかかり暗殺される。享年54。

現在、暗殺現場には遭難之碑が建てられている。

【竹風堂の栗おこわ】

お店もカフェもない静かな町です。

栗おこわで有名な竹風堂さんで一休みしました。
栗のぜんざいは絶品でした。



【大本営移転?】

さてさて、ここには有名な場所があるというので、
行ってみたところが大本営象山入り口でした。
ほとんど何も知らずに行ったその場所に着いた途端に、
身体が重くなって、気持ちが悪くなり、車から降りることができません。
見れば、慰霊塔があります。
写真を撮ろうとしても、力が入らず、動けないのです。

車で移動しようとしたら、左のミラーが動きません。
あれ?と後輩がいろいろ操作していますが、ビクッともしません。
おかしいねといいながら、仕方なく、
車を出し、「みなかみやま」に向かうことになりました。
気持ちが悪いのを悟られないようにして窓を開けて、
ハアハア息を吸っていました。

【パワーの源 皆神山】

「みなかみやま」はてっきり「水上山」と思っていましたが、
道路標識で「皆神山」という事がわかりました。

山路を登っていくと、そこに、岩戸神社がありました。
天岩戸(あまのいわと)、
え?なんでここに
天照大神がお隠れになった“岩の洞窟”があるのでしょうか? 
ますます、不思議な気分になってきます。




山頂に着きました。

そこにある看板は字が消えかかっていて、読みにくいです。

後から調べて、このように書いてある事がわかりました。




<<世界最大で最古の皆神山ピラミッド>>
皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動の抑圧)により、当時長野盆地が遊水湖沼(最後のウルム氷期の終末期で東・南信の氷解水による。)となっておりその岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮遊させ空間移動させるといったダイナミックな方法でした(従って現在でも皆神山山塊だけが非常に軽くて負の重力異常塊となっています。)。
この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮=ねじれ摩擦現象=起電=電流発生といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じこの磁力と重力制御(反重力)により物体(電磁反発飛昇体)が垂直に離着陸するようになったのです。古文書に出てくる「天の羅摩船(アマノカガミブネ)」等がこの飛行体です。
<<謎の皆神山ピラミッド物語>>
皆神山は、古い古墳時代や弥生時代更に遡って縄文時代やエジプト・インダス・黄河・シュメール各文明よりずっと古い、今から約2~3万年前(浅間山、焼岳ができたころ。飯綱・妙高・富士は約九万年前)の超太古ともいうべき遠い旧石器の時代に造られました(人口造山=ピラミッド、ピラミッドはギリシャ語源で三角型のパンの意。)。
この皆神山を造った人間は、古事記に出てくる須佐之男命(自然主義的な科学技術者の集団の総称)で現代科学とは全く異質ではるかに優れた高い知的能力をもつ人類でした(旧人ネアンデルタール人系)。
では、何のために造ったかというと、墳墓ではなく地球上の各地や、宇宙空間への航行基地として造られたのです。



<<皆神山ピラミッドの祭神は知力・体力の神>>
超太古の宇宙航行基地である皆神山の祭神は従って高度の知的能力集団でみんな宇宙航行や宇宙基地に関係する次の四神です。

・熊野出速雄命(クマノイズハヤオノミコト)
宇宙船「天の羅摩船」等の航行の技術・管理を引き継いだ最後の集団で、北信地方の開拓祖神

・少名毘古那神(スクナヒコナノカミ)
宇宙船で皆神山航行基地を離着した大国主命(オオクニヌシノミコト)の参謀集団

・泉津事解男神(ヨモツコトサカオノカミ)
皆神山航行基地をはじめ全宇宙基地を管理した集団

・速玉男神(ハヤタマオノカミ)
地球周回軌道の人工衛星(宇宙航行の中継基地)の技術者の集団

このように皆神山は、神々が活躍した基地であり、宇宙船で現れたり姿を消したりしたので自然人たちは神聖な山=高天ガ原(タカマガハラ)として崇め、後世に伝えたものです。



皆神山は修験道が盛んだったと上述しましたが、それが感じられる建築物としてあるのが、こちらの随神門と「熊野出速雄(くまのいずはやお)神社」のお社です。熊野出速雄神社のお社は、修験道建築に認められる特徴が残存しており、長野県宝の指定を受けています。

なお、神社の鳥居は、随身門を正面にぐるっと後ろに振り返ってみると、あります。鳥居は平成18年の建立です。


創建は718(養老2)年、1300年の歴史を有する熊野出速雄神社。


お祀りされているご祭神は出速雄命(いずはやおのみこと)。そのほか伊邪那岐命、伊邪那美命など、脇座にお祀りされている神さまも含めて計7柱となります。まさしく“皆神さま”。そんなことから、熊野出速雄命神社は「皆神神社」と尊称されているんですよ。

出速雄命は北信地方開拓の祖神であり、諏訪大社のご祭神の子どもの神さまです。そのご利益は、五穀豊穣、天下泰平。伊邪那岐命、伊邪那美命の夫婦神もお祀りされていますので、人間の生活をカバーする幅広いご神徳があるといえそうです。


3つ目は、皆神山の一番高いところに鎮座する「富士浅間神社」。木花咲耶姫命がお祀りされています。不思議なお社で、お社の裏には石で囲われた穴が開いており、結界が張られています。




最後の鳥居をくぐって時から、身体に変化が出てきました。
そして「富士宣言神社」の前に立った時です。
重かった身体がどんどん軽くなっていき、
ゆっくり、深い呼吸ができるようになってきました。
びっくりです。
先程から襲っていた気持ち悪さが消えていきます。
深呼吸をしていくうちに、
みるみる 頭に酸素が行き渡ってきます。

裏に廻ると、ますます気持ちが軽くなっていきました。


何があったのか、よくわからないままですが、
帰りの足取りも軽くなり、
このような不便な場所にしては、
たくさんの参拝者がいることに多少驚きながら、
出会う人たちに挨拶して、車に戻りました。

そして、さくらんぼ狩も楽しみましたよ。

杏もあともう少しで旬を迎えそうに
実っています。

【一粒万倍日】

そして、上田に向かいます。
雨が降り出し、雷が鳴り始め、
上田駅に着く頃には、土砂降りの雨です。

折り畳み傘などなんの役にもたたない激しい雨の中、
駅に飛び込み、5分で新幹線の切符を買い求め、
ホームに滑り込んできた「はくたか」に飛び乗りました。

やれやれと思いつつ、携帯を取り出し、
FBを見ていると、
目に飛び込んできたことばが
「一粒万倍日」でした。なにこの日?

そして皆神山を調べると、
すごいパワースポットだったのです。

そして、このお話は次回へと続きます。

#松代 #佐久間象山 #松代大本営 #竹風堂
#皆神山 #パワースポット #木花咲耶姫

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?