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独学の型

久々の投稿。
最近はnoteではなく、自らのデバイス内に文字を書くことが増えた。やっぱ物書きってすごいですね、書けば書くほどプロの凄さがよくわかる。

さて、今日は学習についての話題です。
とあるコーヒー好きの若者が料理を学びたいそうな。うんうん、素晴らしい!コーヒーは料理そのものだと思っている私からすると、どちらの学びも双方に活きてくる。

ではどんな学びをするのか。日本にはいわゆる“○○道“という型を重んじる伝統がある。「学」という言葉が、いつどこから生まれたのかはさっぱり知りませんが、代表的なのは「論語」そしてそのはるか昔から存在する「易経」でしょうか。

学もってこれを聚め、問もってこれを辯ち、寛もってこれに居り、仁もってこれを行う。(文言伝)
 「学問」という言葉の出典。「これ」とは徳のこと。「学問」とは、学び、そして書物や師に問い、自問し、為すべきことを弁別すること。そして、学んだことを会得したら、「こうでなくてはいけない」と狭量にならず、人にも自分にも物事にも、寛容な心で思いやりをもって実行することが肝要である。(104p)

この本は「易経とは何たるか」みたいな要素は省いてますが、シンプルにわかりやすいです。

師に出会い、見て学び、自分に問い、先入観を捨て、実践し、省みる。こんな感じかな。

学びで重要なのは特に見ることだと思う。見るとは観る、つまり観察する事。これは「自らが主体的に対象を見ることであり、与えら流ものではない」と解釈している。だからこそ、学びの初期において観る対象は一流でなければならない。

幸い僕はいろんな学びはほぼ独学ですが、昔から基本の型を学ぶ師には恵まれてきた。いや、今でも恵まれている!型を学ぶと、その後の「破」であっても「離」であってもいつでも元の型に戻れる。

ニュートラルポジションと呼んでいるが、自分の味覚や知覚、感情などなど凡人には必ず迷いが生じる。その迷いが生じたときに、型が無いと戻る場所がわからなくなる。人生という旅の地図をたとえ無くしても、帰る場所だけは身体が記憶してるくらいじゃなきゃね。

さぁ今夜も独学しよっ!


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