【やさしい翻訳】本居宣長「紫文要領」結論(下)
21.歌の手本は三代集
質問がありました。「あなたは古代の歌を学べと言うが、どの辺までの時代を想定していているのか」私は次のように答えました。「中古以来、学ぶべき歌集の第一は古今和歌集(西暦905年成立)である。続く後撰和歌集(959)と拾遺和歌集(1007)、これらは総称して三代集と呼ばれているが、この三代集を手本として、言葉も心もこれにならって詠むべきことである」と。なお、歌の詠みぶりや禁制のこと、時代の変遷などについては、別所に詳しく論じたことがありますので(訳者注:宣長の処女作「あしわけをぶね」のこと)、今ここでは省きます。
22.古い言葉を新しく響かせよ
質問がありました。「藤原定家(1162-1241)の歌論書『詠歌大概』(1223)には、『情ハ新シキヲモテ先トス』とある。古歌の情にならって詠めという、あなたの主張と矛盾していないだろうか」私は次のように答えました。「藤原定家が『情は新しさを優先せよ』と言ったのは、『意味(こころ)』ということを言っているのである。『情』の字は単に「こころ」の音に当てたものに過ぎないので、漢字の意味に惑わされてはならない。この発言は、今詠もうとする一首一首の歌の意味(こころ)を、新しくせよと言っているのである。一首一首の意味は、古代の歌人がいまだ詠んでいないような新しいことを詠め、と言っているのである。私が古代にならうべきと言っている情(こころ)はそういうことではない。例を挙げて言えば、桜の花を雲かと思い、紅葉の葉を錦かと思い、涙で袖が朽ちると言い、海士も釣りするばかりなどと言う類いはそういう物で、およそ今歌に詠んでいることは、みな古代の心のありようである。あるいは、物に託して思いを述べること自体が、すべて古代人の心であると言えなくもない。かの『詠歌大概』で言うところの情は、そういう『こころ』ではない。桜の花を雲かと思い、紅葉の葉を錦かと見紛うといった心のほうは、古代の歌にならっておきながらも、そのなかで新しい意味合いの歌を詠め、と藤原定家は言うのである。だんじて、雪のことを詠んで『空の海から塩が降ってきた』などと、斬新な表現で詠めと言っているのではない。もしも古代の心にならわないで現代の心で新しく詠むとなれば、必ずこのような奇妙な表現が氾濫することだろう。だから私は、言葉も情も古代に学べと主張しているのである」と。
23.歌物語の歴史①(古今集)
質問がありました。「古今和歌集を第一として、後撰和歌集と拾遺和歌集までを手本として詠むべきで、そのために当時の生活感と心情をよく心得よとあなたは言う。しかしながら、源氏物語はそれらの作品より少し後に出てきたものだから、時代錯誤であり参考にならないのではないか?その上、紫式部が生きていた時代は、歌の姿も少し悪くなりかけていた頃であるから、この物語を読んで当時の生活感と心情を学ぶのは、よろしくないのではないだろうか」私は次のように答えました。「時の移ろいにしたがって、世の中の風俗も移り変わる中で、万葉集以前のことはさておき、平安京遷都(794)以降しばらくは、歌の道が絶えて行われなかった。宮中で話題にも全く上がらなかったほどだが、仁和の頃(885-889)から再び流行して、寛平・延喜の頃(889-923)からは盛んに行われることになった。この頃、世の中の風俗も次第に変わった。さらには、絵物語が世間にもてはやされるのも、寛平・延喜の頃からと見えて、おおかたの物語に描かれているのは、その頃の風俗習慣である。伊勢物語はこれより少し前であるけれど(訳者注:成立年代不詳。西暦900年前後?)、それほど風俗習慣が変わっているようにも見受けられないが、少しは異なるところもあって、文体も古風である。その他の物語も、おおかたみな寛平・延喜前後の風俗習慣が描かれていて、格別に変わったところもない」と。
24.歌物語の歴史②(源氏物語)
続けて次のように答えました。「さて、問題となるのは源氏物語が書かれた一条院の頃(986-1011)であるが、寛平・延喜の頃と見比べると、歌の姿はやや変わったかと見受けられるけども、世の中の風俗慣習は同じことで、変わったところは見えない。貴族の風情や宮中のありさまなどは、ただ同じことである。そうである以上は、三代集の歌を学ぶにつけて、その当時の生活感と心情を心得るために、この物語を読むことは少しも時代錯誤ではないのである。もしも万葉風の歌を詠もうとしてこの物語を参考にするのならば、これは大いに時代錯誤であろう。万葉集の時代と源氏物語の時代では、世の中の風俗が大いに変わっているからである。三代集にある歌とこの物語では、心のありようが少しも変わらない。全く同じことである。したがって、歌を詠もうとする人は、いつもこの物語に眼を通し、心を尽くして、古代の生活感と心情をよくよく心得て、己の心を古代人の境涯に重ねて、古代人の心になって彼等の物の哀れを弁え知ったならば、今詠み出された歌といえども、古代の歌と変わることがないだろう」と。
25.紫式部が創作に至るまで
質問がありました。「この物語を読んで物の哀れを知るという次第を、もう少し詳しく聞きたい」私は次のように答えました。「この物語はまず、作者の紫式部が、世の中のありとあらゆることについて、見るところ、聞くところ、思うところ、触れるところの、物哀れな運命を見知って心に感じて、それを心に籠めておきがたくなったために、物に書くことで心を晴らしたものである。一般的に、心に思いがからみついて上手くほどけなくなったときは、人に語るなり、物に書き出すなりすれば、そのからまった所が解けて心が軽くなるものである。さて、作者の心に、常に思い積もった物の哀れを、この物語にことごとく書き出して、なおかつ読者に深い感動を与えようとして、何事も強く表現したものが、源氏物語である。世にある物哀れな事柄で、この書物が書き漏らしたことはないと断言できる」と。
26.読者が物の哀れを知るまで
続けて次のように答えました。「そういう物語を読んで、『なるほどそれはそうなる運命だろう』と思って感じるのが、すなわち読者が物の哀れを知るということである。そのように感じさせるために、作者はことさらに深く哀れを描き出す。深く描き出しているために、読者はますます感じやすくなって、たやすく物の哀れを深く知るのである。たとえば、人々が物思いをして、道理に合わぬほど深く思いつめている心のありさまが、この物語に書かれているのを読んだときに、『なるほどそれはそうなるべきことだ』と思われるのは、すなわちその人の心の内を推察して物の哀れを知ったからである。なぜ推察できたかと言えば、物思いせざるを得ないような、その人に固有の事情が詳しく描き出されているために、それを読む読者はその人の心の内を推察することができるのである。このことは万事につけて当てはまる。事情と心との間には常に、ある種の対応関係がある。こういう事情に直面すれば、こういう思いがあるものだ。こういう事情を聞いたら、こういう風に思うものだ。こういう物を見たら、こういう心地がするものだ。・・・などなど、あらゆる事情という事情を推察して感じることが、すなわち物の哀れを知るということである。このように物語の中のあらゆること、人々のふるまい、人々の心をよくよく推察して心得てしまえば、古代の生活感と心情は手に取るように分かる。花を見るときの心はこういう物、月を見る心はこういう物、春の心はこういう物、秋の心はこういう物、ホトトギスの声を聞いた心地はこういう物、恋するときの思いはこういう物、会えない辛さはこういう物、会えたときの嬉しさはこういう心と、事細かに書き表しているので、それらをすべて己の心に引き当てることで推察し、『なるほどそうなるべき運命である』と、登場人物たちの心の意味をよく心得れば、それこそが古代人の物の哀れを知るということであり、歌を詠むにあたっての大きな助けとなるのである」と。
27.この物語の他に歌道なし
歌が出てくる大元は物の哀れです。その物の哀れを知るには、この物語を読むのにまさる方法はありません。作者の紫式部が知った物の哀れから、この物語は生み出され、この物語を読むことで、読者は物の哀れを受け取ります。作者にとって、この物語は物の哀れを書き集めて、読者に物の哀れを知らせる以外に、いかなる意図もありませんし、読者にとっても、物の哀れを知る以外に、この物語を読む意義はありません。ここには歌道の真髄が書かれています。物の哀れを知る以外に物語もなく、歌道もない。だからこそ、「この物語の他に歌道なし」と言うのです。これから学ぶ者は、よくよく思い量ったうえで、物の哀れを知ることに集中してください。それだけが、この物語を理解する道です。歌道を悟る道です。
28.教戒と思えば哀れは冷める
過去の注釈書はおおむね、この物語の主題は教戒にあるとみなして、読者に自戒を求めてきました。これはこの物語の「魔」(訳者注:宣長独特の言い回しで、「大敵」とでも現代語訳すべきだろうが、あえてそのままにする)です。決して、教戒のための物語と思って読まないでください。私はこの「魔」のために学ぶ者が惑わされて、この物語の本当の主題を悟ることができないのを悲しむゆえに、本書(紫文要領)でこのように詳しく論じて、作者が伝えたかったことを明らかにし、学ぶ者の惑いを解こうとしたのです。そもそも、教戒の物語として読むことを、この物語の「魔」であると私が主張するのはなぜかと言うと、教戒の物語という前提で読むことが、読解のさまたげになるために、そのように主張しているのです。さまたげになると主張するのはなぜかと言えば、教戒の物語という前提が、物の哀れを冷ましてしまうからです。物の哀れを冷ますものは、この物語の「魔」ではないですか?また、歌道の「魔」ではないですか?・・・さて、教戒の前提がなぜ物の哀れを冷ますのかと言うと、おおかた儒学と仏教が説く教戒は、人の心に「育てて成長させるべき善き心」と、「抑えて戒めて成長をとどめるべき悪い心」の区別を設けるのです。そして、「物の哀れを知る」という心の中には、その教戒が「育てて成長させるべき善き心」とみなす心もありますが、同時に「抑えて戒めて成長をとどめるべき悪い心」とみなしている心も多く含まれています。そのために、教戒の前提で読むときは自然と、物の哀れを知ることについて抑制が掛かってしまうことが多くなりますから、そのような心構えで読むと物の哀れが冷めるのです。ゆえに、この態度をさまたげになると言い、「魔」と呼ぶのです。
29.道徳と文学、それぞれの本領
この物語も、歌道も、儒仏の道を伝えることを意図しておらず、物の哀れが本当の主題でありますから、こうした道徳めいた書籍と同じように理解してしまうと、本来の意図から大きく離れてしまいます。儒学、仏教、歌物語、それぞれが持つ意図と用途は、それぞれに異なることを弁えずに、あの道とこの道を混同して心得るのは無知蒙昧なことです。儒学には儒学の本領があり、仏教には仏教の本領があり、物語は物語の本領があります。にもかかわらず、あれとこれとを無理に引き合わせて論ずるのは、牽強付会の説というものです。歌物語を批評したければ、歌物語が意図すべき本領を基準にして行うのが、正しい論の立てかたというものです。歌物語以外の書籍がめざす意図が、どれほど善いことであったとしても、それを歌物語に引っかけて心得ようとするのは、牽強付会の邪説です。儒仏の説が教戒の道を本領とすることを羨んで、歌物語もその方向に読み解こうとするのは、とても意地汚く見苦しいことです。どうしてそのようなことをしてしまうのでしょうか?歌物語は歌物語で、儒仏とは別の本領があることを知らないためです。また、別の道を持ち出して論ずると、この道の本領が発揮されず、さまたげられるということを知らないためです。
30.桜は日用の薪ではない
教戒のことは、その方面の書籍が他にいくらもあるのですから、わざわざ遠回りをして、この物語を持ち出すまでもありません。この物語を教戒の方向で読み解くということは、たとえて言えば、花を見ようと植えておいた桜の木を切って薪にするようなものです。このたとえで、私が言いたいことを心得てください。薪は日用の必需品で、無くては困るものですから、まさか薪を悪く思って憎むわけではありません。この場合、薪にするべきでない木をそれにしたのが憎いのです。薪にするのにふさわしい木は他にいくらもあるはずです。わざわざ桜を切らなくても、薪に事欠くことはありません。桜という木は元より、「この花を見てくれ」と思って植えておくものですから、それを薪にすることは、植えた人の思いにも背くことになります。桜をみだりに切って薪にするなど、あまりにも心ない行為ではありませんか?
桜というものは、ただいつまでも、物の哀れの花を咲かして、それをめでるのが本分です。
(終わり)
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