恋と学問 番外編その1、映画「東京物語」のこと。
映画監督の小津安二郎氏(1903-1963)は、本居宣長の遠い親戚にあたるらしい。
らしい、というのは投げやりな言い方かもしれないが、インターネットでしか聞いたことがなく、自分で調べたわけでもないから、こう言うしかない。
宣長の本姓は小津であった。宣長は20代のなかばから、義兄の先祖の旧姓である本居姓を、あえて名のったのであり、幼名を小津富之助といった。参考までに家系図を掲げておく。見てのとおり、宣長に本居家の血は流れていない。小津の直系である。
「宣長の小津家」と「安二郎の小津家」は、共に伊勢松阪の人であり、共に木綿商をなりわいとした。偶然にしてはよく出来ている。真偽のほどは分からないが、宣長と安二郎が遠い親戚だと考えたほうが面白いには違いないので、それを前提に話を進めさせていただく。
なぜ、こんな話をし出したのか?
ついこのごろ、「東京物語」(1953)を見直したのである。大学生のころにはじめて見て、それから10年以上たつ。2回目にして、はじめて涙が出た。心が落ち着くと、ふと、この映画の味わいは「もののあはれ」と近い風味がする、などと、突拍子もない考えが浮かんだ。
いや、結論を急ぐには及ばない。安二郎から宣長へと至った、個人的な想念の流れに沿って、今夜はゆっくりと、東京物語について述べてみたい。
物語は、広島県は尾道で独身の三女と暮らす老夫婦が、東京に暮らす長男と長女の家族、そして、戦死した次男の未亡人を訪ねる場面から始まる。
長男の家族は、荒川土手にほど近い足立区千住の地で、ささやかな医院を開いて暮らしている。老夫婦はまず、ここに逗留する。しかし、かまっているほど暇じゃないんだと言わんばかりに素っ気ない。
忙しい息子に気をつかって、老夫婦は近くで美容院を営む長女の家族のもとに移り、逗留する。ところが、ここでもよく扱われない。老夫婦はどこに行っても居心地が悪く、どうしたものかと悩む。
そこに次男の未亡人が手を差しのべる。勤め先に1日休暇を申し出て、昼は老夫婦を精一杯の東京観光でもてなし、夜は老父が旧友を訪ねると言うので、老母を狭い独り暮らしのアパートに招き入れて泊めてあげる。
どこまでも優しく、献身的な彼女に、老母は涙を流す。「あなたは本当にいい人ね」「いい人がいれば、息子や私たちに遠慮することなんか、ちっともないですからね」などと語る老母に、彼女はひとこと、「いいえ。私はいい人なんかじゃありません」と断言する。
一方老父は、旧友と場末の居酒屋で深酒をする。旧友が「俺は家族に夢を見すぎたが間違いだった」と嘆くのに、老父は「わしだってそうだ」と寂しそうに同意する。内心では、親の訪問をあそこまで冷たくされるとは思っておらず、家族というのは離れればそれっきりなのか、新しい家族を作ればおしまいか、と考えている。
翌朝、老夫婦は長女の提案で熱海に旅行することになった。家にいられても邪魔なので金銭をやって追い出した、と言えば言い過ぎかもしれないが、扱いに困っていたのはたしかである。
当時は若者の盛り場として人気があった熱海だ。旅館は深夜まで騒がしく、老夫婦は寝られない。翌朝、熱海の海を静かにみつめて、老父は「もう帰ろうか」と、つぶやく。老母も同意して、立ち上がろうとすると、思わずヨロけたので、「お前も寝れなかったんだろう」と老父は苦笑する。
老夫婦は家族に見送られて尾道へ帰った。それから幾日も経たずに、東京に電報が届く。いわゆる「母危篤」である。
長女は長男宅を訪れ、取り乱した様子もなく、「喪服はどうしようかしら」と尋ねる。「そうだな」「持ってったほうが良いわよね」「そうだな」
次男の未亡人の勤め先にも電話が鳴り響く。彼女は再び休暇を申し出て、承認される。
長男、長女、次男の未亡人が同じ汽車に乗って尾道に着く。老母はもう助かる見こみのない状態で今夜がヤマだと、医者である長男が残りの家族に話す。老父は「そうかあ、駄目なのかあ」と気の抜けた声でつぶやく。
その夜、老母は亡くなった。長女は大泣きする。亡くなった直後に、大阪で暮らす三男が駆けつける。仕事が終わってすぐに出たのだがと言い訳しながら、間に合わなかったことに涙を流す。
翌日、葬式の段取りを早々とまとめるのは、長男と長女である。昨夜大泣きしていた長女は、次男の未亡人と三女に「喪服は?」と尋ね、用意がないのを知ると、「準備が悪いのね」と言う。
その朝、老父はいなくなり、次男の未亡人が探しにゆくと、尾道の町の全景を見渡せる浄土寺の崖で見つかった。老父は呆然と眺めている。彼女はただ寄り添う。美しく、哀しく、無意味な時間が流れてゆく。
戻ると、しばらくして葬式が始まり、終えると、長男、長女、三男が帰った。次女の未亡人は、もう1日とどまることにした。
「あんたは子供たちよりも親切にしてくれた。東京に行った時、かあさんも、あんたと過ごした日が一番たのしかったと言うとったよ。ありがとう」
老父が告げると彼女は、「いいえ。わたしはいい人なんかじゃありません」と再び言う。「いや、あんたはええ人だ」
彼女は自然にあふれる涙をぬぐいながら、「いいえ。私、ずるいんです」
それでも老父は、独り言のように、やっぱりあんたはええ人だと告げた。
いよいよ、帰る日、未亡人を見送るのは三女である。老父はまた浄土寺の崖で思い出を眺めているらしい。いまだ結婚を知らない三女は、今回のことで家族というものに幻滅したと、彼女に訴える。「家族ってこんなにつまらないものかしら。私は違うと思う」「いいえ。それは仕方がないことなのよ」「どうして?お義姉さんも、いつかそうなってしまうの?そんなのいや。お義姉さんだけは変わらないで」
彼女は東京に帰った。老父は浄土寺の崖から、汽車がゆくのを見送った。ただし、果たして彼の目に汽車の姿が映っていたかは、誰にも分からない。
さて、以上で「東京物語」のストーリーを私なりに整理してみたわけだが、見終わってすぐに、一緒に見ていた人が私に話しかけてきた。
「長女みたいな人って、よくいる。ふだんは冷たい態度のくせして、死んだ時にかぎって大げさに泣いて」
私は全然違う感想を述べた。
「いや、あれも真心なんだ。長女の涙はウソじゃない。失われて気づく大切さ、亡クテゾ人ハ恋シカリケレ(藤原俊成)という、あの心だ。この監督は本居宣長の遠い親戚だと言われるが、宣長だったら長女も物の哀れを知る人だ、と言うだろう。この監督もそれを伝えたかったに違いない。つまり、この映画が伝えたかったのは、各人各様の、物の哀れなんだ。この映画に物の哀れを知らない人は出てこない。最もよく知る人は未亡人と老父に違いないけれど」
「何を言ってるのかよく分からないけど。それはそうと、未亡人はなぜ自分のことを、ずるいと思っているんだろう?」
「君はどう解釈するの?」
「私は、そうだな。内心では、すでに夫を忘れかけていて、前を向いて生きている現実があるのに、夫の家族の前ではそんな風を見せないで、しおらしい未亡人を演じている所が多少あるから、それをずるいと言ったんじゃないか、と思ったけど」
これはまた私と全然違う感想だった。と言うより、他人の感想を聞くことで、そこに生じた違和感から、己の感想を知ったと言うほうが、より正確かもしれない。
「君の解釈はおそらく正しい。正しいけれど、僕は違う感想をもった。それは、彼女がじつは、夫の家族を、ある意味で、利用していることへの自覚だ。彼女は夫の家族に尽くしているあいだは、戦争の記憶からも戦後の現実からも自由になれる。忘れさせてくれる。でもそれは卑怯なんだ。本来なら彼女には、己の人生を、運命に与えられた新しい局面から、切り開く義務があり、そのことを知っているのに、夫の家族を思いやることで、義務から逃げることができてしまう。そして、現に自分がそこに、寄りかかっていることを自覚しているから、私はずるいという言葉が出てきた。そんな風に思ったんだ」
相手は、私の整理されていない言葉にひとこと、「その見方は分かる」と言ってくれた。
本当は未来をみているのに、家族の前では過去に囚われたフリをしているという説。過去に囚われたほうが未来を忘れられて居心地がいいから、そのために家族に尽くしているという説。ふたつの説が出たわけだ。
両説は論理的に矛盾している。共存できないはずである。にもかかわらず、両説とも未亡人の心理において正しいのだと思う。そしてそれが「物の哀れを知ること」なのである。
彼女は矛盾したふたつの心情を共に抱えており、どちらが己の本当の心なのか分かっていない。彼女は己の心が分からないのだが、どちらにせよそれが、ずるい心情だということは分かっている。
彼女の心根の美しさは、ずるいとか、ずるくないとか、物事の正否を知っていることに由来するのではない。己の心さえ分からないからと言って、愚かなのでもない。彼女は己でもよく分からない心を、ひたすら味わうことに徹している。
物の哀れを知るとは、物事を正否に分けて理解する合理の道とは別の道で、それは物(運命)を味わう道である。分からないモノを、無理に分かろうとすれば、分かる程度のモノに、対象を変形するほかはない。そうではなく、モノ自体を味わおうとすれば、わりきれないままに対象を受けとめるしかない。そこに哀れが生じる。そこに彼女の精神の美しさがある。
唐突だが、源氏物語の第2帖、帚木の巻に、「雨夜の品定め」と呼ばれる有名な話がある。光源氏とその友人たちが、雨夜のつれづれに理想の女について語り合う場面だ。議論は白熱し、紆余曲折し、結論は出なかった。理想の女がどんなものか、ついに分からなかった。紫式部は「いずれとつひに思ひ定めずなりぬることこそ世の中や」と、話を閉じる。本当に大事なことは知りえないのが人生なのだと分かった、と言うのだ。宣長はこの文章を注釈して、この物語の「極意也」(岩波文庫版、紫文要領、87頁)と言った。
未亡人の生き方も、これと似ている。この世には知りえないモノがあることを知り、それならばと、そのモノを味わうことに徹する、という生き方。すべてを理解しようとする合理とは異なる、知性の働き。つまり、物の哀れを知ること。運命を愛すること。
以上に述べたような次第で、小津安二郎と本居宣長は私のなかで完全に交わった。まったくもって、会話の功である。あの会話をきっかけにして、さまざまに連想が積み重ねられてゆき、今となっては、小津映画の根本的な主題は物の哀れを知らすことにある。さすが宣長の遠戚である。・・・・などと、積極的に「曲解」するようになった。
※ モノ=運命の説は、本編の第3夜を参照されたい。